甘口辛口

夏目漱石の妻(2)

2011/11/3(木) 午後 9:12
夏目漱石の妻(2)

漱石の妻鏡子は、「漱石の思い出」の中で周囲から漱石と別れるように勧められたが、それを断って敢えて結婚生活を続けて来たと語っている。なぜ離婚しなかったかといえば、彼女の言い分によると、精神医の呉博士の診断を求めたところ、夫が精神病であることが判明したからだという。病人であることが分かった以上、そんな夫を見捨てて離婚することは出来なかったというのである。

鏡子は、漱石と別れなかったのは、精神病の夫を哀れんだからだといわんばかりの恩着せがましい言い方をしたから、漱石の弟子たちを怒らせたのだ。

鏡子は貴族院書記官長中根重一の長女で、恵まれた環境で育った。にもかかわらず、彼女は小学校しか出ていない。小学校を出た後は、家庭教師について勉強したといっているけれども、この話には何となく胡散臭い感じがある。本当は、彼女は登校拒否児だったのではなかろうか。

鏡子は漱石がイギリスに留学中、夫から毎月手紙が来るのに、彼女の方からはほとんど手紙を出していない。夫から何故手紙をよこさないのだと責められた鏡子は、窮余の策として長女に作文を書かせて、それを自分の手紙の代替品にして夫のもとに送っている。彼女が手紙を書かなかったのは、ちゃんとした文章を書くことが出来なかったからではないか。

夏目漱石が愛したといわれる女たちは、いずれも才媛タイプの女性であり、それぞれ、しかるべき学校を出ている。彼が最も愛していた養家先の娘れんは、その頃の女性の最高学府だった東京高等女学校に学び、三宅花圃と首席を争うほどの才女だった。

ほかに漱石は兄嫁の千世や友人の妻大塚楠緒子を愛していたといわれる。彼女らはいずれも聡明で文学に対する造詣が深かった。漱石がこれらの女性と深い関係に入らなかったのは、好きな女性の前に出ると固くなって動きがとれなくなる含羞癖のためだった。養家先のれんの場合などは、養父母が漱石と二人を婚約同士のように遇していたのに、漱石がハッキリした態度を示さなかったために、れんは平岡という軍人と結婚してしまう。

れんに結婚され、一人取り残された漱石は、れんのことを忘れるために都落ちして四国の松山中学の教員になっている。彼は、その地で気に入った娘を見つけて結婚する積もりだった。それで、彼は友人に「田舎ものを一匹生取る」つもりだと冗談めかした手紙を書いている。

松山で田舎娘を生け捕りにすることに失敗した漱石は、次の任地の九州熊本で、見合い結婚によって中根鏡子を妻にしている。漱石は、歯並びが悪い癖に平気で口を開けて笑う鏡子の繕わぬところに惹かれて妻にしたが、直ぐに鏡子に失望し始める。

漱石と鏡子は、何から何まで違っていたのである。漱石は神経質で几帳面、朝型の勉強家だったが、鏡子の方はずぼらで朝寝坊だった。

水と油のように溶け合わぬ二人は、一緒に暮らしているうちに、それぞれが隠し持っていた問題点を増悪させることになる。漱石は、神経衰弱、被害妄想、関係妄想、幻聴などを悪化させ、鏡子はヒステリーを激化させたのだ。

漱石は、「道草」の中で鏡子のヒステリーをこんな風に書いている。

<幸にして自然は緩和剤としての歓斯的里(ヒステリー)を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三(漱石)は時々便所へ通う廊下にうつ伏になって倒れている細君を抱き起して床の上まで連れて来た。真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端にうずくまっている彼女を、後から両手で支えて、寝室へ戻って来た経験もあった。                       
そんな時に限って、彼女の意識は何時でも朦朧として夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただ幻影のように映るらしかった。
 
枕辺に坐って彼女の顔を見詰めている健三の眼には何時でも不安が閃めいた。時としては不憫の念が凡てに打ち勝った。彼は能く気の毒な細君の乱れかかった髪に櫛を入れてやった。汗ばんだ額を濡れ手拭で拭いてやった。たまには気を確にするために、顔へ霧を吹き掛けたり、口移しに水を飲ませたりした>

鏡子のヒステリーは家の内部だけでなく、戸外の第三者の目にも映るようになった。漱石の勤務する旧制熊本高校長の娘は、鏡子が髪を振り乱して門外に茫然と立ちつくしているところを見たし、悪阻に苦しんでいた鏡子が増水した白川に踏み込んで入水自殺しようとするところを漁夫に発見されている。

やがて、鏡子は漱石の関係妄想や幻聴・幻想が彼の失恋から来ているのではないかと考えるようになる。石川悌二の「養家と恋人」という論考によると、鏡子は夫に取り憑いている幻魔を取り除くために、御札を三寸釘で柱に打ち付ける祈祷を始めたという。前々から、彼女は事あるごとに易者や祈祷師に頼っていたが、今や自ら呪殺の祈祷を始めたのである。

鏡子のこうした行動は、漱石を嫌悪させた。漱石は再三にわたって鏡子に離婚を迫ったが、彼女の実家は没落していて、帰るべきところは既になくなっていたのだった。石川悌二によると、鏡子がしきりに漱石の狂気についてPRするようになったのは、離婚を求める夫の言い分を無効にして結婚生活を続けるためだったという。
(つづく)