甘口辛口

小さな独裁者(2)

2011/11/17(木) 午後 0:12
小さな独裁者(2)

読売グループのなかで絶対的な権力を握っているナベツネ氏に、清武球団代表が反旗をひるがえしたのは何故だろうか。事件の背景を知るために、最近号の「AERA」と「週刊朝日」を読んでみた。

問題は球団代表であり、且つGM(ゼネラル・マネージャー)である清武英利が、急速に力をつけてきたことにあったらしい。ジャイアンツは、これまでチームを強化するために他球団のスター選手をFA制を利用して引き抜いて来たのだが、清武GMは自軍の若手選手を育成してチームを強化する方針に切り替えて成果を上げ、押しも押されぬ存在になって来たのだった。自信をつけた清武GMは、周囲からミニ・ナベツネと呼ばれるほどの権力を身につけるに至った。

そのミニ・ナベツネが、本物のナベツネから小僧扱いされ、理不尽な決定を押しつけられたとしたら、腹も立とうというものだ。事件の推移を時系列で追ってみよう。

@10月20日=清武は、球団社長兼オーナーの桃井と共に、読売新聞本社のナベツネ氏を訪ねて、来期のコーチ人事について報告している。ナベツネ氏は、この人事案を了承して、OKを出した。

A11月4日=ナベツネ氏は、記者団に対して、「俺は人事案について何も報告を聞いていない。俺に報告しないでコーチの人事をいじくるなんてことが、あっていいのかね」と怒りの発言をする。

B11月8日=ナベツネ氏は、記者団に対して、「来期の巨人軍監督は原辰徳にやらせるが、今はその先のことを考える余裕はない」と語る。記者たちの間に、「渡辺会長は原監督の任期を来年までとして、その後、落合博満を監督にするのではないか」という推測が走る。

C11月9日=読売新聞社の主筆室で、ナベツネ氏は清武GMに、「一、二年後に君を社長にする」と語る。また、「江川卓をヘッドコーチにするために交渉中だ。成功の確率は、99,9パーセントある。今のヘッドコーチ岡崎は降格させる」と告げる。清武GMが反論すると、ナベツネ氏は、「お前は、もうGMじゃない」と告げ、「俺は、最後の独裁者だ」と言い放つ。

D11月11日=清武GMは文部科学省の会見室に記者団を集めて、これまでの経緯を暴露し、ナベツネ氏への反撃を開始。「不当な鶴の一声で、愛する巨人軍を、プロ野球を私物化するような行為を許すことは出来ません」と涙ながらに語る。

――清武GMの発言は、マスコミが「清武の乱」と表現したほど激しいものだった。彼は上司のナベツネ氏を渡辺会長と言わないで、「渡辺氏」と呼ぶなど、意を決した態度を見せた。

上記の@からAに移る間に、誰にも分かる断絶があるが、これはナベツネ氏がたくらんだ結果による断絶というより、単なる老人のボケ現象と思われる。このボケ現象は、あちこちに認められる。Cでは、清武GMに対して、「そのうちに球団社長にしてやる」と甘い餌をちらつかせておいて、相手がちょっと気に入らないことを言うとガラッと態度を変え、GMの肩書きを取り上げると脅迫している。これなどもボケ現象にほかならない。

ナベツネ氏は、取材に詰めかけた記者たちを「無礼者」と叱りつけたり、古田敦也選手会長が「オーナーと会いたい」と語るのを仄聞して、「無礼なことを言うな。たかが選手の分際で――」と罵るほど傲慢な老人である。今回の清武GMの告発に対して、さぞや怒りを爆発させているだろうと思ったら、清武が反省すれば許してやらないでもないという趣旨の談話を発表している。自分の側にも非があることを自覚しているのである。

ナベツネ氏と同じように、独裁者であることを自認している愚かな男がいる。大阪府知事を辞任して、大阪市長選に立候補している橋下徹である。この二人は、独裁が民主主義と相容れないことを百も承知の上で、自らを独裁主義者だと誇らしげにPRする。既往の行動やら、これから実行しようとする目論見を正当化するためだ。

一国を動かすようなスケールの大きな独裁者は、自らを「独裁者」と呼ぶことはない。「民衆のため」「民主主義を実現するため」の政治を行うと呼号する。彼らは、独裁が民主主義の反対概念であり、人々から独裁者と見られることが身の破滅をもたらすことを知っているからだ。自分を独裁者と呼ぶのは、その者が小型の独裁者だからであり、内心で自己の行動にやましさを感じているからなのだ。

第二次世界大戦後の国際政治を眺めると、間隔を置いて反独裁の運動が津波のように起きている。最初の波は東欧に起こり、スターリンの死後、東欧のいくつかの独裁政権が崩れ去り、継いでキューバ革命に端を発した民主化運動が南米各国の独裁政権を倒し、最近ではイスラム圏諸国で独裁者が次々に政権の座を追われている。

注目すべき点は、反独裁の運動が二段階で進行することだ。エジプトを例に取れば、ナセルによる王政打倒が第一段階で、そのナセルの独裁を民衆が倒したのが第二段階になる。第二段階を経過しないと、民主主義が確立されることはないのである。

ナベツネ氏や橋下徹が誇らしげに独裁者であることを自認するのは、彼らを擁する集団が第一段階にあるからだ。二人は独裁と民主主義が両立しないことを知りながら、あえて自分が独裁者であることを誇示して、社会常識に挑戦している。日本の民主主義が未熟で、民衆が強力な指導者を求めていることを察知しているからだ。

ナベツネ型や橋下型の自称独裁者が大手を振って闊歩しているうちは、日本の民主主義は第一段階にあり、彼らが追放されてようやく第二段階に進むことになる。読売王国からナベツネ氏が引退し、橋下が大阪市長選挙に落選すれば、読売系企業も大阪市民も、そして日本国民も民主主義の恩恵に浴することが出来る。