甘口辛口

民放ドラマ「家政婦のミタ」

2011/12/4(日) 午前 11:17
民放ドラマ「家政婦のミタ」

この何年間か、民放ドラマを見たことがなかったが、「家政婦のミタ」の評判が高いので、試しにのぞいてみることにした。チャンネルを合わせる時点では、以前に1〜2回見たことがある「家政婦は見た」というドラマの復活版だろうと思ったいたが、内容は全く違っていた。「ミタ」というのは、「見た」ではなく家政婦の姓だったのである。
この「三田」と名乗る正体不明の家政婦は、雇い主の命令とあらば、何でも実行するスーパー女性で、母親のいないサラリーマン家庭に乗り込むや、家族のために八面六臂の活躍をするのだ。

ストーリーが面白かったから、次週もこのドラマを見て、結局、三回分を見てしまった。三回続けてみていると、作品の長所と短所が自ずと明らかになってくる。

ドラマとしての「家政婦のミタ」の長所は、登場人物が本音をぶっつけあって、直情的に行動するところなのである。ミタが雇われた阿須田家の当主は、別に愛している女がいることを妻に打ち明けて、妻を自殺させてしまうし、そういう父を激しく憎む長女は、父への敵意を公然と示し、二人の息子も父への侮蔑を隠そうとしないのである。妻の父親は、婿と顔を合わせるたびに娘を死なせたことを面罵する・・・・。

家族・親戚の敵意に囲まれた父親は、家を出て一人でアパート暮らしを始める。そして、窮地に立つたびに、やたらに土下座して相手に詫びるのである。登場人物のそれぞれが、叫んだり、怒鳴ったりして、おのれの意志のまま、感情のままに行動するところが従来の民放ドラマとは異なるのだ。

私が民放ドラマを好まないのは、登場人物がウエットで、変に良心的で、作品に日本的湿潤性があふれているからなのだ。その点、「家政婦のミタ」に出てくる男女は、大人も子供も、いじいじしていない。明快に行動する。見ていて爽快感があるのである。

だが、原作者が勢い余って登場人物の性格を一面的に描きすぎるところに弱点がある。人間はもう少し複雑で、弱気だから大胆な行動に出たり、相手を愛しつつも憎んだりするものだ。そうした人間の多面性を無視すると、作品にリアリティーがなくなる。「家政婦のミタ」には、リアリティーを欠いた紙芝居的場面が多すぎるのである。最新回には、家政婦がこれまでひた隠しにしてきた過去を語る場面があったが、彼女が語る話の内容が余りに紙芝居風だったので、少しも心に残らなかった。

もっとも、これには原作者に同情すべきところもある。

阿須田家は母親に死なれ、父親も家を出てしまったから、家政婦は主として残された子供たちを相手に仕事をすることになる。すると、どうしてもドラマの中身は「お子様ランチ」式にならざるをえない。子供たちの中に、一人だけ鋭敏で聡明なものが混じっていたら作品の奥行きも一層深くなったろうけれども、阿須田家の子供たちの知的レベルはそろって平均並みだから困るのである。

アメリカのホームドラマ「デスパレートな妻たち」にも、子供がいろいろ出てくるが、いずれも個性的で、シャープで、それ故にリアリティーがあった。ドラマのなかに、大人も及ばない図抜けた秀才や、既成道徳に反旗をひるがえす革命児が現れるようになれば、日本のTVホームドラマも成人の鑑賞に耐えうるものになるに違いない。

「家政婦のミタ」が、そのレベルに向かって、一歩でも前進したドラマになることを期待している。