甘口辛口

詩人と詩人が結婚したら(2)

2012/2/21(火) 午後 2:05
詩人と詩人が結婚したら(2)

Kは色白で小柄な女性だった。それに、いかにも温和らしい性格に見えたので、三木卓は、自宅に居座る形になったKとの関係が長く続くことを願った。しかし同棲数日後に、早くも「事件」が起きるのである。

三木が何気ない口調で、「そろそろ、風呂に入りたいねえ。今夜、わかしといてくれないか」と頼んで出勤し、夜になって帰宅したら家の中が真っ暗になっていた。誰もいない家に入って電灯をつけると、テーブルの上に置き手紙があった。

「わたし、すこし考えごとをしたいので、チャーチヤンのところへ泊まりに行きます。どうもすみません」

チャーチヤンというのは、Kにとって姉貴分になる友人で、Kと同じ会社で働いている。三木が翌日にチャーチヤンのところへ電話してみると、相手は、「彼女、おこっていたわ」という。三木にはKがなぜ怒っているのか、理由が分からなかった。それで、さらに質問を続けると、「お風呂をわかせって、いわれたって、プンプン怒っていた」とのことだった。三木は、うろたえて、

「お風呂なんて、だれだってわかすじゃありませんか」
「もしかしたら彼女、お風呂をわかしたことがないのかも」
「えーっ」

その夜、三木が酔っぱらって遅く帰ってきたら、家にあかりがついて、Kが帰って来ていた。

「チャーチヤンから叱られちゃったわ。それで急いで戻ってきたの」

Kは、それ以上何も言わない。三木も黙っていた。

この騒動の顛末を作品に記した後で、Kは、こう書くのである。

<しかしぼくには、からだのあたたかい女が、どうしても必要だった。Kがともかく帰ってきた以上、不可解なことがあっても、もう二度と逃がすまい、と思った>

同棲が続いているうちに、Kが妊娠した。Kからその話を打ち明けられた三木は、相手の肩に手を置いていった。

「ねえ、こうなったら、結婚しよう。なにがあっても、しよう」

間もなく、胎児は自然流産で流れ、出産の件は立ち消えになってしまった。だが、結婚するかどうかという問題は残った。三木には、Kがこの問題をどう考えているか、皆目見当がつかない。

<(kは)どうやら自分は一人で生きるべき人間なのだ、と思いこんでいる様子だった。「妹といっしょに、暮したこともあったけれど、他人ってだめなの」
「だめって」
「一人でいるのが、好きなの」
「ああ」
 ぼくがいった。
「ぼくも、そうだよ。・・・・でも女の子は別だよ。女の子といっしょに暮すなら、それも好きな女の子と暮すなら、それはなんとかなると思うのさ。だってこうしていっしょにいて、きみはすっかり溶けこんでいて、対立なんか少しもしていないじゃないか」
「それは、そうだけど・・・・」
Kはいった。
「わたしって、そういう性質じやない」
「そうかなあ」>

三木は、自ら切り出した結婚を是非とも実現したかった。彼には、あたたかな女体がどうしても必要だったのだ。それで三木は、煮え切らないKを口説き続け、とうとう彼女に、うんと言わせる。すると、次には結婚式をどうするかが問題になる。

三木が、「おれは、結婚式なんていう恥ずかしいことは避けたいが」というと、Kも、「わたしも、そうしたい」という返事。二人は、ハガキに挨拶を刷って、それぞれの実家に郵送して、この問題にけりをつけた。

──次の「事件」は、結婚通知を出した翌月に起きた。

三木は月末になったので、給料の全額をKに渡した。彼は父が給料袋ごと母に月給を渡すところを見慣れていたからだ。かなり日数がたったあとで、彼はKに、「少し小遣いをくれないか」と頼んだ。

「お金?ないよ」とKは意外そうな口ぶりで、「あなた、くれたんじゃないの。もう使っちゃったわ」

Kは、三木が渡した給料を自分へのプレゼントだと思い、全額を店で見て気に入っていた上下のスーツを買うのにつかってしまったのだ。

だが、それよりもっと深刻な問題は、Kが会社に通うことを拒み始めたことだった。出勤時間がKより遅かったが、三木は先に起きて、寝ているKを起こしにかかる。三木が相手の手をつかんで引っ張ると、Kは逆らって片手で布団を握って布団ごと引きずられてくる。

そんなにイヤならと、三木はKをつれて会社社長のところに辞職の願いに出かけた。社長は辞めるというKを一言も慰留しないで、上機嫌で承諾する。さあ、困ったことになったと三木は思った。自分一人で暮らすのも大変だったのに、これからは失業したKまで養って行かねばならないのだ。

安月給の三木には、匿名のアルバイト原稿を書いて家計をおぎなうしかなかった。Kも仕事を探すけれども、何処に勤めても直ぐに喧嘩して、長くつづかない。三木が次第に不機嫌になって行けば、Kも黙りがちになる。

ある夜、三木が窓の外の暗闇をじっと眺めていた。その時の夫婦の会話を、三木は作品に記している。

<気づくとぼくは、窓の外の暗闇をじっとながめていた。眺めるともなく眺めていた。すると、うしろからKが肩にさわってきて、小さな声でいった。
「そんな怒らないでよ。わたしは窮鳥なんだから」  .
「なんだって?」
「ほら、窮鳥ふところに入れば猟師も殺さず、っていうでしょう。ですから」
 ぽくは、意味がわかると、返事が出来なくなった>

結婚してからの4年間、三木はアルバイト探しに必死になっていた。そんな明け暮れが続くうちに、彼は状況をかえる必要があると考えるようになった。とにかく転職して、週刊誌のアンカーでも何でもやることだ。徹夜つづきだってがんばる。そして自分たちのこどもをもつのだ。

<ぽくは、Kにいった。
「こどもをつくった方がいいよ。そうしないか」
Kはおどろいてぼくを見た。ぼくはいった。
「いじわるをいえば、ぼくはあとでこどもをつくることができる。しかし、きみはもう二十九になる。いつまでも、いまのままでいると、こどもを持てなくなるよ」
「でも、こわいわ。急にそんなこといわれても」
      ・・・・・・・・
Kは、こどもを産むことをおそれていた。女はこどもを産むものだ、と男は考えるが、産む身になってみると、これはたいへんなことなのだ。自分のなかにえたいの知れない変化が起るのであり、激痛や出血もある。未体験の若い女であるKが、こわがるのも当然である>

説得しているうちに、Kは「いいわ。やってみる」と承知した。そして、とうとうKは妊娠し出産に成功するのだ。

(つづく)