甘口辛口

「身の上相談」いろいろ(2)

2012/3/6(火) 午後 3:40
身の上相談いろいろ(2)

「身の上相談」欄は、日本だけでなく世界各国の新聞・雑誌に載っているらしく、伊藤整全集(第24巻)を読んでいたら、アメリカの新聞に載っている身の上相談記事が一つ紹介してあった。

その相談内容は、次のようなものだ。

「アン.ランダーズ様、うちの十六歳になる娘が精神的打撃で参りそうになっています。十日ほど前に、うちの娘が妊娠しているといぅ噂を立てた人がいるのです。それが学校中の評判になりました。全く無実なことなのですが、この種の噂というものが拡がったとき、それをとめる方法があるでしょうか? 夫は、校長に相談してよそへ移そうと言っています。娘は、結婚した上の娘のいる田舎町へ移って、そこで学校を終えたいと言っているのですが……」

回答は、次の通り。

「お嬢さんの学校を変えてはいけません。また田舎へ行ってもいけません。一日も休まずに登校することが、その噂が嘘であることを証明する唯一の方法です。その噂を恐れて、お嬢さんを逃げ出させるのはいけません」

世界各地の「身の上相談」欄は、上記のような形式を取っているらしい。まず、相談者が自身の惨めな現状を述べて、そこから脱出する方法を質問する。回答者は様々な方法を示して、相談者をより良き状況まで導いて行く。この方式を、相手をマイナス状態からプラスの状態まで引き上げる「上昇志向」型の身の上相談とするなら、これとは逆の「下降志向」といったらいいような身の上相談があるのだ。

「下降志向」型身上相談を実践したのは、深沢七郎だ。これを継ぐものが、朝日新聞の「悩みのるつぼ」欄でいえば、車谷長吉なのだが、車谷の回答例を探すのは時間がかかりそうなので、深沢七郎の回答例をホームページから拾って引用することにする。

深沢七郎は昭和42年から、「話の特集」誌に「人間滅亡的人生案内」と銘打った人生相談欄を開設している。彼は、「人生案内」の回答を提示するにあたって、「下からの人間平等論」を基盤にしている。これまでの人間平等論がどんな人間も高貴な魂を持っているというような「上からの平等論」だったのに対し、深沢はすべての人間が自分第一主義という利己性を原点にして生きているという立場からの人間平等論に立って、議論を展開するのだ。

深沢への質問。

<僕は今18歳です。今年高校を卒業してから現在まで、何もせずフラフラしています。大学へ入る頭も気もサラサラありませんでした。かといって就職する気もまったくなしです。今の僕は何もする気になりません(体は至極健康です)。僕は以前から人生や日常生活その他全てに本物でありたいと思っています。本物(抽象的な言い方ですが今の僕の全てです。)になるには大学へ入り教養を身につけ、社会に出て、人間を知らねばだめでしょうか。
それとも本物なんて所詮この世の中にはないものなのでしょうか。何もかもが空しく思え、見えるんです>

これに対する深沢の回答。

<「本物になるには大学へ入り教養を身につけ、社会に出て、人間を知らねばだめでしょうか」とはなんというアキレタ考えでしょう。
人生や日常生活その他全てに本物でありたいと思っているとはなんとアサマシイ考えでしょう。
あなたのいう本物とはなんでしょう。人間には本物なんかありません。
みんなニセモノです。どんな人もズウズウしいくせに、ハズカシイような顔をしているのです。どんな人もゼニが欲しくてたまらないのに欲しくないような顔をしているのです。人間は欲だけある動物です。ホカの動物はそのときだけ間に合っていればいいと思っているのに人間だけはそのときすごせるだけではなく死んだ後も子供や孫に残してやろうなんて考えるので人間は動物の中でも最もアサマシイ、不良な策略なども考える卑劣な、恐ろしい動物です。だから、本物などある筈はありません。
「大学へ入る頭も気もサラサラありませんでした。就職する気もまったくなしです」というのは最も当り前の考えです。誰だってそんなことはしたくないのに他人がするからそうしなければいけないというふうに思い込んで、錯覚でそういう道をすすんでしまうのです。だから何もせずフラフラとしていられるだけはそうしていたほうがいいでしょう。
また、「自分が安っぼい人間に思えて毎日がいやになる」なんてとんでもない考えです。安っぼい人間ならこんな有難いことはありません。安っぼいからあなたは負担の軽いその日その日を送っていられるのです。安っぼい人間になりたくてたまらないのに人間は錯覚で偉くなりたがるのです。
心配なく現在のままでのんびりといて下さい。いちばんおすすめすることは行商などやって放浪すること、お勤めなどしないこと、食べるぶんだけ働いていればのんびりといられます。>

すべての人間は自分のことしか考えていないエゴイストなのに、うわべを繕って善人らしい顔をしている。ニセモノしかいない世の中を生きるには、自分を本物のように偽装することをやめ、本来の安っぽい人間に立ち戻って、自分の好きなことだけをして、気楽に生きることだ、と深沢は勧告するのである。

こういう「下からの平等論」に立つ作家や批評家には、車谷長吉のほかに竹林無想庵、辻潤、稲垣足穂、高橋新吉、金子光晴などがあり、坂口安吾もこのグループに入る。彼らは、それぞれ低人主義とか退歩主義とかを唱えて、時流を白眼視している。彼らの提言には、硬直した現代人の姿勢を解除する力がある。人をしてリラックスしたスタイルで人生に臨ませる効果があるのだ。

彼らのニヒリズムは、過労死の瀬戸際に立っている現代人に対する解毒剤として効果がある。持薬として、これを服用したら、いかがだろうか。