甘口辛口

ポリシーのある生活(2)

2012/4/18(水) 午後 1:13
ポリシーのある生活(2)

へそくりを貯めたり、廃物を大事に保存したりした母にも、確固たる人生観があり、それで家事を整え、二人の子供を育てていた。

彼女は夫の方が天才肌で、才能もあり、能力も高いことを知っていた。女学校を出ただけの自分には、大学出の夫のような能力はない。だから、私は努力をして、足りないところを補って行かなければならない。そうすれば、最後には自分のような努力型の人間が勝つはずだと彼女は信じていた。

彼女は、子供たちも、努力型の真面目な人間に育てるつもりだった。怠けてはいけない、少しずつで良いから、いつも前を向いて、一歩でも先に前進しなさい、と二人の子供に教えていた。息子の博嗣がオモチャを買ってとねだっても、完成された玩具を買ってやることはなかった。子供が自力で組み立てて完成するようなオモチャなら、高価なものでも買ってやったのだ。母は絶えず緊張して生きていた。それが彼女の生き方だった。

父・「相田秋雄」

父は常々、自分は墓に入るつもりはない、そんな無駄なことは絶対にするな、と息子に言い聞かせていた。人間、死んでしまえば、みな同じなのである。体は単に抜け殻に過ぎない。焼いて灰になれば、それで一巻の終わりなのだ。霊魂だの怨念だの、そんなものがあろうはずもない。父はそういったことに対しては、きっぱりと割り切って考えられる人間だった。

父の葬儀の際、喪主として挨拶に立った森博嗣は、「父は野を行く哲人のような人でした」と語っている。母が努力型の女だったとすると、父は哲人型の人間だったのである。

父よりも長生きするからと、へそくりに励んでいた母は、案に相違して夫より先に死んでしまった。72歳だった。母の死を知らされて森博嗣が病院に駆けつけると、病院に来ていた父が、すぐに葬式の手配をしてくれという。彼は、「坊主に頼むのはイヤだから、宗教に関係のない葬儀にしてくれ」と注文しただけで、葬式の具体的な段取りや進行などの一切を息子と娘に任せてしまった。

葬式というものは、いかにも面倒なものだ、どうしてこんな無駄なことに時間と大金を費やさなければならないのか、本当に馬鹿馬鹿しいかぎりだ、と考えていた父は、葬式には、母の姉弟と、父の兄妹だけを呼んでいる。
葬式が盛大でないと、死んだ者が浮かばれないなどと言う奴がいるが、その死んだ者が浮かばれる状態というのは何なのだと、父は言う。浮かばれたら、誰が喜ぶというのか。役所に死亡届を出して、遺体を焼き場へ持っていってそれで終わり、これで十分ではないか。

父は母が死ぬ前から、建築業の仕事を人に譲って引退していた。引退後の父は、自室にこもり、お気に入りの肘掛け椅子に座って、ラジオを聞くか、黙って何か考えていた。母が死んでからも、その生活に変わりはなかった。

大学の助教授になっていた森博嗣は、時々、実家に立ち寄ってスーパーで買ってきた食料を届けていたが、やがて一人暮らしの父に毎日食べるものを届けることにした。父の性癖を知っている息子は、決まった食べ物を届けることにしていたが、たまに気を利かせて新規の食べ物を届けると、それらは冷蔵庫の中に入れっぱなしになって賞味期限が切れていた。

父・息子の二人で外食するときも、父は同じファミレスで、同じハンバーグ定食を注文する。父には父の決まった生活システムがあり、一人暮らしになっても、頑としてそれをかえないのである。

父は一度だって息子に一緒に暮らそうと言ったことはない。実家に訪ねていったときにも、さあ用事は済んだのだから、さっさと帰りなさい、と急(せ)かされる。一度だけ父は森博嗣夫婦が暮らすマンションを訪れたこともあったが、そこに一時間もいなかった。お茶を飲んだら、父はさあ帰ろうかな、と立ち上がるのだ。早く自分の家に帰り、自分の椅子に座って、のんびりとしたいのである。

父は、一人でいたいのだった。人と話をすること、他人のために気を遣うことが煩わしい。そういう人なのである。だから、普通によくあるような、寂しがり屋の老人では全然ない。若者に相手をしてもらいたいのではなく、放っておいてほしいのだ。

父は温かな季節には体調もよく、一人で散歩などをしているようだったが、秋口以降になって寒くなると何事に対しても消極的になり、まず、家から出ないようになった。外に出ないようにしていれば、着替えをしなくてもすむからだった。

博嗣が休みの日に訪ねていったら、父はリビングを薄暗くして椅子に座ってうたた寝をしていた。父は寝間着の上にガウンを羽織っているだけだった。父によく聞いてみると、彼は夜も布団ではなく、椅子に座ったまま寝ているという。一度、布団に寝てしまうと、トイレのために起きるのが大変なので、すぐに立ちあがって動くことが出来る椅子に寝ているのだ。

冷蔵庫の中の食料が減っていない理由を質問してみると、父は食べることさえ面倒になっているらしかった。テーブルの上の大きな灰皿には、吸い殻が山盛りになっている。息子は、火の用心についても父に注意しなければならなかった。

この父は、子供の頃の息子にとって完璧な人間だった。何事にも慎重で用心深く、絶対的に信頼できる人格者で、息子が将来にこうなろうとしている目標だったのである。その父親に、自分が注意しているのだ。一ヶ月ほどして、博嗣が父を訪ねると、父は老人ホームに入りたいから適当なところを探してほしいと頼んできた。一人でいることを無上の快楽にしていた父も、単独で生きることの煩わしさに耐えられなくなったのだ。父は財産への執着もなくしていた。もう金を使うことも面倒になってきたのである。

父と同居するという発想は、息子の側にもなかった。一家に二人の男がいるのは不自然であり、父は基本的に個人主義だから、友達や話し相手がほしいというような気持ちはない。父が望むところは、自分を一人にしておいてほしいということだけで、自分の部屋にこもってテレビを見、ラジオを聞いていれば、それで十分なのだった。

年老いたときに世話を見てもらうのは、金で雇われた他人の方が気が楽だ。自分の息子や娘に、そういったことをしてもらいたいとは思わぬという点で、父と息子の考えは一致していた。

森博嗣は父が老人ホームに入ってから、週に2,3回父を訪ねている。

住む場所が変わっても、父は以前と同じような生活をしていた。肘掛け椅子は、自宅のリビングにあったと同じように個室の中央に置かれ、父はそこに深く座ってテレビを見ていた。

変わったのは、ヘビースモーカーだった父がホームの規約に従ってタバコを吸うことをやめたことだった。

<年老いて死を迎えるということは、そうやって、少しずつ自由を奪われることなのだろう。子供の噴から成長し、一所懸命働いて、少しずつ獲得してきた自由を、今度は手放していかねばならない。すっかり手放してから、あの世へ旅立つのである(「相田家のグットバイ」)>

尊敬する父の老いて行く姿を眺めながら、森博嗣は、こんなふうに考える。

<動物の生き方としても、子供が老いた親の面倒を見ることは自然界にはない。だからそれは、もともと不自然なことなのである。人間だけがそれをしてきた。それが人間の美徳とされてきた。

・・・・親は子供と一緒に暮らしたいものだ、子供に面倒を見てもらうことが本当の幸せだ、と二人(森博嗣夫妻)はまったく考えていない。親がそもそもそれを望んでいないのである。自分の始末は自分の中でつける。それが人間の尊厳であり、すなわち幸せだという価値観である。

・・・・(この問題は)他者に対して、こうあるべきだと非難したり、説教するようなものでは基本的にないはずである。ただ、感謝をしなければならない、ということは確かだと感じられた。親がそう考えて生きていたこと、自分たちに負担をかけないように考えてくれたことは、まちがいなく子供に対する愛情の現れであり、ありがたいことである。

それをなにかの形で返すことができるとしたら、自分も子供たちに、その愛情を持つ以外にない。親に直接返すことはできない。それが自然の摂理、生物の生態というものだろう。

親孝行という言葉があるけれど、それは親の面倒を見ることではなく、人間として成長し、立派になり、親の生き方を真似つつ、自分の人生を歩むことだ。それを、紀彦(森博嗣)はこの歳になってようやくはつきりとわかった。息子や娘になにかをしてもらいたいとは、これっぼっちも思わない。ただ、彼らは彼らの人生を一所懸命に生きてくれること、それだけを願う、それが親として一番嬉しいことなのである(「相田家のグットバイ」)>

(つづく)