甘口辛口

日本的二大政党制の悲劇

2012/5/2(水) 午後 10:08
日本的二大政党制の悲劇

小選挙区制が発足したときから、日本に二大政党制が成立するかどうか、疑問に思っていた。小沢一郎などが、小選挙区制になれば二大政党制が実現し、政権交代がスムースに行われると宣伝していたからだ。

二大政党制は、戦前の日本でも、ちゃんと実現していたのである。政友会と民政党という二大政党があり、曲がりなりにも交互に政権を担当していたのだ。ところが、この二大政党は、そろって地主層・資本家層などの既成勢力と癒着していて、両者の政策には差がなかった。こうなると、両者は対立する相手方の欠点ばかりを拾い出し、明け暮れ泥仕合を演じることになる。こういう光景を見せつけられて、政党政治に絶望した戦前の日本人は、これに代わる新しい政治システムを求めるようになった。

戦前の日本には、既成政党に代わるものとしてリベラル・左派を選ぶか、軍部・右派を選ぶかという二つの選択肢があったが、国民は「昭和維新」を叫ぶ後者を選び、太平洋戦争へと突き進んで行った。もし、日本人が明治期の自由民権運動、大正期の大正デモクラシー運動の伝統を受け継いで、リベラル路線左派路線を選択していたら、日本が敗戦の憂き目を味わうこともなかったのである。

そして、戦後になると、自民党が38年間も政権を独占するという異常な時代がやってきた。これには、欧米の先進国も、すっかりあきれ返り、戦後の日本は果たして民主国家か、という論議が彼らの間で真剣に交わされたほどだった。およそ民主主義国家で、単一政党が40年近くも政権を独占し続けることなど、あり得る筈がなかったからだ。

だからこそ、自民党政権が退場し、非自民政権が成立したとき、欧米諸国はわがことのように喜んで、心から歓迎の意志を表明したのだった。だが、非自民政権を構成した諸党派が民主党の旗の下に結集し、二大政党対立の形勢が生まれると、戦前の二大政党対立時代を再現したような憂鬱な光景が繰り広げられことになる。

最近の事例でいえば、民主党も自民党も消費税を10%に引き上げるという方針では一致している。にもかかわらず、自民党は二閣僚の引責辞任を求め、これが実現しない限り審議に応じないと言い張っている。一方、民主党側にしても本当に消費税を引き上げる積もりがあるなら、自民党の言い分を呑めばいいのだが、そうする気配もない。国政が停滞するのは、似たもの同士の自民・民主の両党がこうした泥仕合を果てしもなく演じているためなのである。

では、どうして、両党はこんな相似形になったのであろうか。

その理由は、両党がエスタブリシュメントと結び、既成組織の便宜を図ることを優先課題にしてきたからだ。朝日新聞の「天声人語」は、民主党を評して各自の当選を目的にした非自民の選挙互助会だと言っている。政治手法が、両党とも互いによく似ているといいたいのである。

だが、もっとハッキリ言えば、民主党議員の多くは、もともと自民党から立候補したかったのだ。が、選挙区にはすでに二代目・三代目の世襲自民党議員が頑張っていて、割り込む隙がないので民主党から立候補した。民主党には旧民社系の議員もいるが、この中にも本来自民党から立候補したかったが、それが不可能だったから民社党から立候補したという議員が相当数いる。

こうしてみてくると、民主党が第二自民党とか自民党分派とか言いたくなるような性格を持っている理由が分かるのである。現在の国会は二大政党体制といいながら、実質的には自民党の一党支配が今もなお続いているのだ。こういう現状を目にしたら、国民が戦前の二大政党対立時代と同様に、新たな政治勢力の出現を待望したとしても不思議ではない。

政治革新を求める現代日本人の前に、選択肢として右派と市民派の二つが与えられている点も戦前と似ている。このうちの右派が、「大阪維新の会」というように「維新」の看板に掲げているところも戦前の日本を思わせる。

政党政治が何も決められず、機能不全に陥ると、日本人は昔も今も「維新」をスローガンに掲げる右派に期待する。戦前の日本人が「昭和維新の担い手」として期待したのは、軍部内のファシストたちだった。今、戦後「維新」のリーダーとして国民が期待しているのも、橋下徹であり、石原慎太郎であって、この両名もファシストの血をひく独裁的な人物なのである。橋下の政治手法が、マスコミによってハシズムと命名されているのも、故あることなのだ。

軍ファシストの面々といい、橋下・石原といい、どうして日本人はこうした危険で怪しげな男たちをリーダーにかつぎたがるのだろうか。日本人は過去の悲劇をすっかり忘れ去ったのだろうか。

政治が機能不全に陥ると、独善的なファシストに人気が集まること、これは、戦前の皇国思想が民衆の間に今もなお生き残っているためだろうか、そうだとしたら、日本の民主主義は、まだまだ、未熟だといわなければならない。