甘口辛口

「ソラリスの陽のもとに」から「ハーモニー」へ(2)

2012/7/27(金) 午前 11:49
「ソラリス」から「ハーモニー」へ(2)

ハリーの模造品であるアンドロイドは、自分が何者であるか知りたがっていたが、やがて彼女は、クリスと他の研究員の会話を盗み聞きして、自分が人間ではないこと、ソラリスの海によって作り出された疑似人間であることを知るようになる。

ある日、彼女はクリスに話しかけた。

「私は、あなたの反応を調べたり、あなたを脅迫するために作られた道具だったのね、でも私は、心だけは自分のものだと思っている」

別の日、<ハリー>が暗い顔をしているので、クリスは尋ねてみた。

「死にたいと思っているのかい?」
「出来ることなら」

緊迫した会話が続くうちに、ついにクリスも自分の気持ちを彼女に打ち明ける。「ソラリスの陽のもとに」から、その部分を引用してみよう。

<彼女が質問した。
「わたしは……あなたの、その、前の女性に…‥よく似ているの?」
「とてもよく似ている。でも、今ではもうわからなくなった」
「それは、またどうして?……」
 彼女は顔をあげて、大きな目で私を見つめた。
「きみにさえぎられて思い出せなくなってしまった」
「それでも、あなたは、あなたの愛しているのがその女性ではなくて……わたしだということが……このわたしだということが、ほっきり言えるの?」
「そうだ、ぼくが愛しているのはきみだ。もしもきみが本当に彼女だったとしたら、ぼくには愛せないかも知れない」(「ソラリスの陽のもとに」)>

こうした会話は、やがて二人の未来の話に発展する。クリスは彼女を連れて地球に戻り、二人で静かに暮らすことを夢見るようになったのだ。クリスがそのことを親しい研究員に語ると、相手は呆れたように言った。

「君が愛する彼女は、君の脳に映っている昔の恋人の影に過ぎないという事実を忘れているようだね。君が彼女と言い争うとしたら、それは君が自分自身と論争するようなものなんだぜ。それに、彼女を地球に連れて行ったら、どんなことになるか考えてみろよ」

<ケリー>は、ソラリスの海が発するエネルギーを受けて生きているのだった。彼女が食事をしなくても生活出来るのは、外からエネルギーを供給されているからだった。彼女がソラリスのエネルギー圏外に出てしまえば、その瞬間から単なるマネキン人形と化し、活動を完全に停止してしまうのだ。

クリスが思い悩んでいる間に、ステーションでは大きなプロジェクトが進行していた。それは、クリスの脳電図と脳の活動の一切を、X線ビームの振動に移し換えて、ソラリスの海に送るというプロジェクトだった。以前に強力なX線を投入して海の一部を破壊してしまったが、今度はX線の強度を海を傷つけない程度にすることになっていた。

プロジェクトが開始された。

クリスは頭に電極を巻き付け、X線投射装置の前に座って、長い人類の歴史について思いめぐらせた。多くの先人たちが、無私の精神で次々に真理を明らかにしてくれたことによって、人類の現在があった。現存の人類も過去の成果を受け継いで、平和と協調の世界をより完全なものにするために努力している・・・・・

実験が終わって半月ほどすると、海に変化が現れた。

海から黒い色が消えてなくなり、波の山の部分は明るいバラ色、波の谷の部分は鈍い真珠色をした薄膜に覆われはじめたのだ。そして、海の泡が、クリスタたちに挨拶するかのように、ステーションの窓近くまで飛翔して来るようになった。これまで「観察ステーション」に敵意を示していた海が、うって変わって好意の表情を見せ始めたのである。

次の夜になると、海が燐光を発し始めた。それは、プラズマの活動力が、局部的に高まったことによる典型的な兆候だった。

クリスが<ハリー>と共に生きようとしたら、地球に帰ることを諦めてステーションに残るしかなかった。いまや、ソラリスの海は人間に好意を示すようになったのだから、クリスがステーションに留まったとしても、それを妨げるものは何もなくなったのだ。

SF小説「ソラリスの陽のもとに」は、ここまで進行して来て、クリスがどう行動するかの判断を読者に任せて終わっている。

「ソラリス」は、読者にアメリカ型SFとは全く異なるSFが存在することを教えてくれた。が、それ以後にSFの新境地を示しているような作品が現れているであろうか。そうした疑問に応えるような作品に、伊藤計劃の「ハーモニー」があると耳にしたので読んでみた。

「ハーモニー」は、物語としての骨格がやや弱いために、読者に強烈な印象を与えることはないけれども、この小説が描く未来社会は、これまで誰も描いたことのないようなものだった。

政府は、国民の健康管理に努力して、すべての国民に「WatchMe」という恒常的な体内監視システムを取り付けさせている。そして少しでも体に異常が認められると、一家に一台ずつ配置されているオートメーション薬品工場が動き出して必要な薬品を合成し、それをターゲットとなる部分にピンポイントで送り込むのだ。

そのほかにも、さまざまなシステムが活動していて、人が有害な飲み物(酒類)を摂取すると、救急車に似たクルマが駆けつけて来るから、国民は麻薬は勿論のこと、アルコールにもタバコにも、手を出さないようになる。公的な健康コンサルタントが個々の国民に対して絶えず助言するため、デブもやせっぽっちもいなくなっている。

かくて、国民の体型は均質化され、差異といえばマネキンAとマネキンBの違いしかなくなる。こうなれば、ひとそれぞれの表情も失われ、「生気を抜かれた健康さ」とでもいうべき表情を共通して浮かべるようになる。人間は、進歩すればするほど死人に近づいて行くのだ。

人は生まれてから百数才で死ぬまで、どんな病気になることもなく、どんな不快な光景を見ることもなく、愛情に溢れすぎている世界に住み、ゆっくり首をしめられるようにして死んでいくのである。

こういう完璧な世界に息苦しさを感じ、最後の抵抗として自殺を計画しても、そのための手段はすべて失われているから、死のうと思ったら餓死するしかない。この作品の中に現れる少女は、餓死することにも失敗し、その後、福祉国家に反逆を企てるのだが、彼女は何かしら福祉社会を憎悪した三島由紀夫を思い出させるのである。