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井上ひさしの戦術(2)

2012/8/5(日) 午前 11:12
井上ひさしの戦術(2)

数日前に、桐原良光の「井上ひさし伝」を読了した。

この本には、井上ひさしの娘の一人が、小学校三年生当時、学校に提出した作文が載っている。

<        ふうふげんか
 おとうさんは、おかあさんをなぐって、うちを出ていってしまいました。そうして一時間ぐらいたってかえって きました。
おかあさんは、「一かい出ていってしまったなら、もうかえってこないでください」といいました。
でも、おとうさんは、「とまるところがないからかえってきた」といいました。
おかあさんは、「よろしい」といいました。
そうしてなかよくなりました。 おわり >

これを読むと、井上ひさしが前妻の西館好子に暴力を振るっていたことは間違いないと思われる。井上自身も、藤本義一と対談した時、自らの暴力を認めて、こういっている。

「前に一度、女房殴ったら鼓膜が破れちゃって、もうそれからだめですね」

これに続けて井上ひさしは、殴り合いはお互いさまだったと打ち明けている。

「ぼくも殴られますよ、今ごろは、ハイヒールとかね、ここに傷があります」

彼はそういいながら、ワイシャツの袖をめくって、相手に傷跡をみせている。

彼は、フェミニズムを擁護し、女性の人権を守るために奮闘する一方で、妻に対して暴力を振るっていたのである。井上ひさしには、人間として矛盾したところがあり、彼の伝記を読んでいると、その辺のところが面白いのである。それで私は何でもいいから彼の作品を読んでみたくなり、インターネット古書店に彼の本を注文すると同時に、自転車に乗って行きつけの大型古書店に出かけ、店頭にある彼の本を探すことにしたのだ。

そして知ったことは、彼がすでに過去の人になっているらしいということだった。井上ひさしの著書は、古書店の棚に一冊も見当たらなかっただけでなく、インターネット古書店の目録にも彼の全集は勿論、作品集も載っていなかったのだ。

いろいろ調べてみたところでは、新潮社から「井上ひさし全芝居」という戯曲だけを集めた叢書が出ているほかは、彼の主要作品を集めた作品集や叢書を出している出版社は何処にもなかった。

こうなれば、仕方がない。本来は、まず作品を読むことから始めて、次に、その背景になっている生育環境を調べてみるという順序を踏むべきだったが、私は今回その順序を変えて、彼の生育環境を調べることから始めたのである。

まず、井上ひさしの両親から見て行くと、父親も母親もありきたりの人物ではなかった。

父親の修吉は、山形県川西町の薬屋の息子で、大学を出てから小田原の病院でインターンとして修行中に、同じ病院に勤めている見習い看護婦のマスという娘と親しくなり、駆け落ち同様にしてマスをともなって故郷の川西町に戻っている。

小田原にいた頃から青年共産同盟に加入していた修吉は、帰郷すると、いきなり自家所有の田を小作人に与えて農地解放をやり始めた。敗戦前にこんなことをやり出したのは、作家の有島武郎くらいのものだったから、文学青年の修吉はその影響を受けたのかもしれない。

驚いたのは祖父や親戚で、「若旦那は気が狂った」ということになり、祖父は悩んだ末に孫を警察に突き出している。そのため、修吉は前後三回留置場に入ることになる。修吉は、井上ひさしが5歳の時に脊髄カリエスで死去してしているから、残された妻のマスは、ひさしを含む3人の男の子を一人で育てなければならなかった。

夫の跡を継いで薬屋の女主人になったマスは、戦争が始まると隣組の会合に顔を出すようになった。ある夜、隣組の会合でマスは、「この戦争は負けますよ」と言ってしまった。以前から、「赤い一家」として近所から白眼視されていたところへ、この発言だったから、マスはスパイだということになり、息子のひさしも「スパイの子」ということになってしまう。

学校に行っても、学校から帰ってきても、「スパイの子」といじめられるので、井上ひさしは子供なりに作戦を練った。そして、相手が母親のことを言い出す前に、相手が言おうとしているものより、もっと激しい言葉で母を批判することにしたのだ。すると効果抜群、ひさしは母親を引き合いに出して周囲からいじめられることがなくなった。

とにかく母親には、お手上げだった。

父母が授業参観するとき、先生が生徒に何か質問する。生徒が黙っていると、母がうしろから大きな声で、「ひさし、分かっているんでしょう、答えなさい」と命じるのだ。しかし、こういう母だったからこそ、戦中・戦後の食糧難時代を切り抜けることが出来たともいえた。マスは、思い出の手記に、こう書いている。

<駅前通りの私の店は買出し部隊には恰好の場所に見えたらしく、米買いの仲立ちを依頼されるようになり、また保有米の一部を金や物に換えたい農家が米を持ちこんで依頼して行く。一俵の仲立ち手数料が百円でしたから、一日三俵も仲立ちすれば親子四人のくらしはどうやら賄えたものでした>

母親は、戦後になると女性のための月経帯を創案し、これに「マスコバンド」という名前を付けて売り出している。これは、よく売れて、4,5人の従業員を雇い入れてミシンを踏ませるまでになった。さらに彼女は米の闇商売で儲けた金で、「ローズ美容室」と命名する美容院を開設している。これも大繁盛で、髪にパーマをかける客がどっと押し寄せて、僅か三ヶ月で投資した金の全額を回収できたほどだった。

やること、なすこと、すべてが当って小金を貯めこんだマスにも、魔がさした瞬間があった。旅回りの浪曲師を家の中に連れ込んで、同棲をはじめたのである。男はマスに殴る蹴るの暴力を振るうようになり、挙げ句の果てにマスの持っているすべての金や通帳をまきあげて、姿を消してしまった。

マスは、男に騙されて泣き暮らすようなやわな女ではなかった。彼女は男が土建屋になって、一関市の堤防工事を請けおっていることを突き止め、男のところに乗り込み、金を取り戻したうえで、男が始めていた土建業を引き継いで土建業「井上組」を立ち上げるのだ。彼女は、作曲家を目指して音楽学校に通っていた長男を呼び寄せて母・息子協力して井上組を運営することになる。

井上ひさしの生活が一変するのは、母が土建業を始めたからだった。

(つづく)