甘口辛口

死ぬ前にしたいこと(1)

2012/10/27(土) 午後 11:38
死ぬ前にしたいこと

カナダ・スペインの合作映画「死ぬまえにしたい10のこと」は印象的な作品だったから、私は以前に自分のブログで、この映画について感想を書いたことがある(http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/tuika31.html

「死ぬまえに・・・」が、どういう内容の作品かといえば、カナダのバンクーバーに住む主婦アンが23才の若さで余命2ヶ月のガンという宣告を受けるところから始まる。そこで、彼女は、死ぬ前にこれまでしたいと思ったが果たせないでいたことを次々に実行に移すことにしたのだ。では、アンは何をしようとしたか。彼女には幼い娘2人と失業中の夫がいたから、家族のために最後まで奮闘したかというと、さにあらず、日本人にとっては、かなり抵抗を感じさせるようなことを実行し始めるのだ。

アンは、ガンの宣告を受けたことを誰にも告げないで、ノートにこれからしたいこと10項目を書き出すのだが、その10項目の中には、年来の夢だった爪にマニキュアを施すことなどが書き込まれている。そして、夫以外の男性と関係を持ちたいという不倫願望の項目まで書き込んであるのだ。

アンは生まれて初めてキスしたボーイフレンドと結婚し、17歳で最初の子供を出産している。高校時代に早すぎる結婚をした彼女は、もっと成熟した大人同士の恋愛を体験したいというひそかな願望を抱いていたのである。

アンは、コインランドリーで知り合ったリーという中年男と恋に落ちる。そして、リーとの交渉の中で彼女は初めてこれまで知らなかったような深い喜びを体験する。彼女は愛するものたちに宛てた多くの録音テープを遺して死んで行くが、最も哀切を極めているのはリーに宛てたテープで、彼女はその中で繰り返し、二人のための時間があまりにも短かったことを嘆いている。

だが、映画の最後の場面になると、アンは一種のあきらめに到達している。彼女は、夫と二人の娘が明るい表情で一緒に立ち働くのをスダレ越しに眺めながら、あれが自分亡き後の光景なのだ、自分からはああいう人生が奪われてしまうのだとつぶやき、もう「失われた人生に未練はない」と自分自身に言い聞かせるのである──

この映画をテレビで見たのは、ずっと以前のことだったから、その内容をすっかり忘れていた。ところが、最近、テレビで、「最高の人生の見つけ方」という映画を見ているうちに、「死ぬ前にしたい10のこと」を思い出したのだ。

「最高の人生の見つけ方」は、やはり癌を患って、余命6ヶ月と宣告された二人の男の物語だった。この二人は、一方のカーターが自動車の修理工なら、他方のエドワードは有り余るほど金を持っている大富豪で、二人の境遇は全く違っていたが、年齢が共に70代であり、同じ病室で暮らしていた関係で彼らは親しくなったのである。

カーターは、病室暮らしのつれづれに、死ぬ前にやっておきたかったことを紙に書き出してみる。その中には、「スカイダイビングをする」とか、「荘厳な風景を見る」という項目が入っていた。その紙を見たエドワードは、「世界一の美女とキスをする」という項目を書き加えて、カーターにこれらの項目を実行するための旅に出かけようではないか、そのための費用は全部自分が出すから、と提案する。

こうして冒険旅行に出た二人は、エドワードの用意した飛行機に乗って上空から地面めがけて飛び降りたり、万里の長城上の回廊を相乗りのバイクで疾走したりする。そんな旅を続けるうちに、エドワードは不和だった娘と和解し、初めて顔を合わせた孫娘と接吻したりする。彼は、世界一の美女にキスすることに成功したのである。

「最高の人生の見つけ方」は、おそらく「死ぬまえにしたい10のこと」からヒントを得て作られた映画だ。私は、「最高の人生の・・・」を見た後で、「死ぬまえにしたい10のこと」について書いた自分のブログを読み返し、不思議な心のたかぶりを感じた。自分もこの二つの映画の登場人物たちのように、思い切って「冒険の旅」に出かけるべきではないかと思ったのである。

老人は、それぞれに持病や体の不具合を抱え、無理をしたらそれらが悪化して死病に発展するのではないかと心配している。だが、同時に、健康に留意するあまり、したいこともしないで寿命を二年か三年のばしたところで何になるかとも考えている。

新聞などを読んでいると、癌におかされている老人がヒマラヤ登山に挑戦したり、市民マラソンに参加して完走したりするニュースに接することがある。そんなことをしたら病気が進行し、死期を早めることになるではないか、と部外者は考えるが、こうしたイベントにあえて参加する癌患者は、常々、死を覚悟しており、何もしないで病院で死んで行くよりは、自分を奮い立たせて何事かを成し遂げて死んで行くことを望んでいるのである。

そうした気持ちは癌患者だけでない。客観的な事実として死に近づいている老人も同じようなことを考えている。私が二つの映画を見て、心のたかぶりを覚えたのは、何故だろうか。癌を病む人々と同じ心境になったからだった。

老人は、自分が何時死んでも不思議でない年齢に達すると、意識の底で死を覚悟するようになり、あえて言えば死を待ち望むようになる。他方では、生きていたいという本能的な自己保存欲求もあって、老人の心の中ではこの二つの気持ちが押し合いをはじめるのだが、心がたかぶりを覚えるのは、生存欲求を圧倒するほどに死を望む気持ちが強くなったときなのである。

次に、死を覚悟するようになった老人の心理をもう少し見てみよう。

(つづく)