甘口辛口

もし日本が占領されたら

2012/12/23(日) 午後 7:15
もし日本が占領されたら

まず第一に言っておきたいことは、何があろうと戦争だけは絶対にやってはならないということだ。これは、すべての国についていえることだが、特に日本に関しては、この点を強調しておく必要がある。

なぜ日本だけを特別扱いにするかといえば、日本人の男性は軍隊に入るとガラリと性格を一変させて、弱者に対して嗜虐的になり、民間にいたときには考えられなかったような破廉恥な行動に出るからだ。

たとえば、戦時中の兵営では、泥棒が横行していた。

たいての新兵は、いざというときの用心に幾ばくかの現金を隠し持って入隊する。除隊した経験者に聞くと、金を財布などに入れておくと盗まれるから、「お守り」の中に隠しておくがよかろうという。それで私も、親がなけなしの金を工面して用意してくれた十円札を腰のベルトにくくりつけたお守りの中に入れて入隊したのだが、入隊して一月ほどたって、念のためにお守りをあけてみたら、紙幣が煙のように消えていた。

これには、腹を立てる前に、その手並みの鮮やかさに感心してしまった。お守りは幅1.5センチ、長さ5センチほどの名刺型の小さな布製の袋に入れてある。私はこのお守りの木札と抱き合わせるような形で、十円紙幣を折りたたんでいれておいたのだった。お守りはズボンのベルトにくくりつけてあるから、昼間は盗まれる心配はない。夜になると、ズボンは上着などと一緒に枕元にたたんで置いてあるから、寝ている間に盗まれることもないはずだった(戦争末期に召集された私たちは、兵営ではなく学校の空き教室にマットを敷いて寝起きしていた)。にもかかわらず、まんまと金を盗まれたのである。

だが、仲間の金をちょろまかすくらいなことは、ご愛嬌と言ってよかった。

隊内で新兵いじめに精を出していた古兵たちは、戦場に出れば現地の住民の食料を略奪し、女性を強姦する。そして、捕虜や住民を縛り付けておいて、度胸試しと称して新兵らに銃剣で刺殺させる。中国の民衆が日本兵を「悪鬼」と呼んだのも、無理からぬ話だった。

自民党の安倍晋三総裁は、戦前の日本を「美しい国」と呼び、戦後レジュームの下にある現代日本を堕落しているという。だから、彼は昔の日本を「取り戻す」と言うのだが、安倍総裁は目を見開いて身辺を眺めてみることだ。

総裁のお仲間である右翼の面々は、「2ちゃんねる」にたむろして、どれくらい口汚く他国誹謗を繰り返しているか、そして、総裁が「教育改革」によって増やそうとしている愛国者たちが、街頭に繰り出してどんな乱暴なことをしているか、「ネットと愛国」などの本を読んで研究してみることである。

戦後の日本人は安倍晋三の主張とは反対に、戦前・戦中の日本人よりも良くなっている。だが、学校現場におけるイジメの多さや、右翼・ヤクザがいまも一般市民に因縁をつけて脅迫しているところを見ると、戦争になったら日本兵は、また非人間的な行動に出るのではないかと心配される。

戦争に反対するとき、日本人は自分たちを戦争の被害者の立場に置いて反対しているけれども、本当は自国の軍隊が加害者になる危険性があるという理由から反対すべきなのだ(疑うものは、野間宏の「真空地帯」を読むべし)。

右翼は、日本人が平和主義を国是にしていたら、わが国は他国から占領されると反論する。ロンドン大学教授の森嶋通夫などは、そうなったら日本人はサボタージュで抵抗すればよいという。

人が国を作るのは、第一に自らの人命を守るためだ。戦争中は、国や天皇を守るために多くの国民が死んでいったが、これは本末を転倒した行動だったのである。武器を取って戦えば、必ず国民の誰かが死ぬ。これを防ぐためには降伏して、他国の属領になるか、サボタージュとレジスタンスによって占領軍を退去させるしかないのだ。

森鴎外は、問題が起きたら、最悪の事態に対する覚悟を決めた上で、そうならないように努力せよといっている。平和主義を取る国民は、まず、最悪の事態として武力を振りかざす敵国に国土を占領されることを覚悟する。その上で、そうならないように外交面で努力するという二段階論を取らなければならない。もし、日本国民がこの二段階論に立って一致して行動すれば、相手国に無言の脅威を与えることができる。それだけでなく、国際的な支援もえられるに違いないのである。

文春に石原慎太郎が「寄らば斬るぞ」の構えで中国に臨めというような馬鹿なことを書いたら、翌月号の文春読者欄に石原の文章を読んで胸がすっとしたというような賛意を表する投書が寄せられている。日本国民の意識が戦後レジュームのもとで、本当に変わるには、まだ、相当な時間が必要かも知れない。

伊藤仁斉は江戸時代に、主君のために死んで行く武士たちを眺めて、「主の命あるを知って、おのれの命あることを知らず」と評した。仁斉が死んでから300年あまりがたつけれども、彼の言葉はまだ日本人の心に届いていないようである。