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石原慎太郎の愛国心(2)

2013/3/30(土) 午前 9:53
石原慎太郎の愛国心(2)

およそ竹島問題、尖閣諸島問題ほど愚かしい二国間紛争はない。

これらの島がどこの国に帰属することになろうとも、これらに関係する諸国の「国益」には何の影響もないのである。これらの島を得たからといって、その国にとってプラスにはならないし、これらを失ったとしても、その国にとってマイナスになることもない。ただ、漁業権の問題や、海底に眠る地下資源取得に関する問題は残るけれども、これらは島の領海を関係国の「入会地」にすることで、そして、地下資源については、関係国が資金を出し合って共同開発することで解決できるはずだ。

これらの点を考えて日中両国の首脳は、尖閣諸島問題を棚上げにしておくこと、つまり、両国間の紛争を「停戦」状態にしてノータッチにしておくことを選択したのであった。だが、一部中国人が、「愛国無罪」のスローガンを掲げて日本側を挑発する行動に出たことから、話がややこしくなった。

こうした紛争に際して試されるのは、関係国の民度のレベルなのである。文化水準の低い国民が暴走しても、文化水準・経済水準の高い国民は慎重に構えて、直ぐには敵対行動に出ない。古くはヒトラーの暴走に対して、イギリスはミユヘン会議を設定して平和裡にことを納めようとしたし、新しいところでは北朝鮮が韓国の大延坪島を砲撃したときにも、韓国は本格的な反撃に出ることを控えている。

今回の中国側愛国者による暴走に対して、日本側はことを穏便に納めようとして、「大人の対応」をしたのだが、自称愛国者である石原慎太郎は、中国人の挑発に立腹して、個人所有になっている尖閣諸島を東京都が買い取り、この島に役人を常駐させ、港湾用の施設を作る計画を打ち出したのだった。

慌てたのは、日本の政府だった。石原慎太郎にこんなことをされたら、中国が硬化して何をするか分からない。そこで政府は、彼に先んじて島を所有者から買い取って尖閣諸島を国有化した。

これに憤激した中国人は、中国全土で反日暴動を展開しはじめる。中国に進出している日本企業は、この暴動で甚大な被害を受けたが、その原因を作った張本人は石原慎太郎なのである。以来、日中関係は、悪化の一途をたどり、マスコミは、「日中戦わば」というような特集を組みはじめた。もし戦争が始まりでもしたら、戦争犯罪人の筆頭にあげられるのは、間違いなく石原慎太郎なのである。

いまや政治家としての石原慎太郎の資質に対する疑問が、各方面で一斉に高まり、東京都知事をやっていた頃の彼の威光は過去のものになり果てた。「週刊朝日」によると、日本維新の会の内部でも、こんな光景が見られるようになったという。

──3月22日昼下がり、国会内で行われた日本維新の会の代議士会のことだった。
平沼剋夫副代表(73)がマイクを前にこう報告している。

「私、今日から石原さんが出てくると言いましたが、電話がかかってきて『80歳だからもうしばらく養生する。(3月30日の)党大会には出る』ということでした。欠席ということでございますので、ご理解をいただきたいと思います」

その報告を受けて会場からは大きな拍手が起こったという。ここは、拍手をする場面ではなく、石原の病気を心配してしーんとなる場面だったのである。

「やべ、思わず拍手しちゃったよ」
「拍手する場面じゃないでしょ」

拍手をした後で新人議員らは、こういって互いをたしなめ合っていたという。

また、同誌は、こんな記事も載せている。

<「石原王国」はまさに崩壊寸前。選挙の顔としての慎太郎氏の存在感の低下は目を覆うばかりだ。ある関係者はこう明かす。
「6月の都議選や7月の参院選で、共同代表の橋下徹大阪市長(43)と石原氏との3連ポスターを予定しているが、候補者が『石原さんはちょつと』と言い始めた」>

時代の空気は、変わりはじめているのである。

どこの国にもいる愛国者たちは、自国のやることは絶対に正しく、これに反対する相手国は邪悪な敵だと信じて疑わない。彼らは、また、自国を批判する同胞を「自虐病にとりつかれた裏切り者」だと断定する。

しかし、こういう愛国者に対しては、「愛国は亡国」という反論が寄せられ、「ならず者の最後の逃げ場が愛国」というような冷評があびせられるようになってきたのだ。石原慎太郎自身も「暴走老人」と自称せざるを得なくなっている。

彼は例えば、中国を名指しするに当たって「支那」と呼んでいる。中国人が「支那」と呼ばれるのを嫌っていることを承知で、こういう言い方をするのだ。こんな石原の発言を聞いて喝采するのは、お仲間の「愛国者」たちだけである。国民の多くは都知事の肩書きを持っていた彼が、こんな非礼な発言を続けることに対して眉をひそめていたのだ。

「ババア」発言をふくむ彼の暴言・失言も、無位無冠の作家のいうことなら許されるかもしれない。けれども、都知事から国会議員になり、一党の代表になった人物が口にする言葉ではない。都知事時代の石原慎太郎を見ていて一番滑稽だったのは、言動のすべてがダーティーで、唯我独尊の高慢男だった彼が、教育問題に口を出して、都民や国民に教訓を垂れていたことだった。

政治家が学校教育に干渉して、公教育の内容を変えさせるような先進国は、どこにもない。かのヒトラーでさえ、公教育の内容に容喙することが出来なかった。だから、彼は若い世代にナチズムを注入するにあたって、学校の外にヒトラー・ユーゲントという青少年団体組織を作らなければならなかったのである。

「落日」を迎えている石原慎太郎を俎上に載せて批判することには、多少のためらいがある。けれども、石原慎太郎のような政治家を根絶するために手を貸すことは、戦後の日本を眺めてきた私たち老人世代の義務なのではなかろうか。