甘口辛口

不運な女たち(1)

2013/4/10(水) 午前 9:17

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鹿島田夫妻

4月9日の信濃毎日新聞に、作家鹿島田真希さん(36)が夫を介護しながら執筆を続けているという記事が載っていた。夫の賢三さん(37)は、脳の一部が萎縮し身体が不自由になるという難病を患っている。

以下に、その新聞記事の概要を紹介しよう。最初に紹介したいのは、夫との生活について語る鹿島田真希さんの言葉だ。

「私の信仰はキリスト教です。東京・お茶の水にあるロシア正教の大聖堂ニコライ堂に通っていました。信者の仲間に紹介されて神学校の学生だった夫と知り合いました。穏やかな人柄にひかれました。2003年に結婚。司祭を補佐する補祭となった夫の妻として、ニコライ堂の職員宿舎で暮らしていました。夫がホームパーティーを開くと、料理をつくって信者さんをもてなしました」

結婚から3年すると、賢三さんの体に変調が現れ始めた。表情が乏しくなり、手や足の動きが鈍くなった。日本に百人しかいないという難病に取り付かれたのである。

知的な面での衰えはないけれども、体全体の麻痺が進行し、室内では、這って移動し、外出するときには車椅子を利用しなければならなくなった。

「夫は教会を退職し、ニコライ堂職員宿舎を出てアパートを借りました。でも、よぐ倒れるので壁は穴だらけなんです」

ここで取材の場に同席していた賢三さんが、言葉をはさんだらしい。

「先日は階段から落ちて、ガラスを割つて血だらけになりました」

真希さんが、それを引き取って、

「私も酔っぱらって転んだりするので、『お互いさまでいいよね』と、笑うんです。日常の中で破天荒なことが起きるのを楽しんでいます。暮らしが快適になるようにエ夫するのは賢三です。食べこぼしで服を汚さないように、ネットショッピングで食事介護用のエプロンを購入したり」

賢三さんは、病気になっても、身近な家族に八っ当たりすることもないし、自分の不幸を嘆くこともなかった。彼は、心が強かった。だが、家計は苦しさを増す一方だった。 

「ヘルパーさんをお願いするのも減らさなければならなくなりました。小説を書くことで食べていくしかないと覚悟を決めて、散らかり放題になった部屋で、ヘッドホンで音楽を聞きながら執筆しました。でも考えが甘かったですね。食べものがなくなって100円ショップでひき肉を買って飢えをしのぐような生活でした」

その頃、鹿島田さんは主な文学賞を総なめにして芥川賞も3回候補になっていたが、受賞には至らなかった。彼女は午前中仕事に集中し、仕事を終えると午後から、缶酎ハイを飲むようになった。鬱屈することがあったのである。次第に飲む量が増えていった。

「飲み過ぎなんじゃないの」と、賢三さんが声を掛けても、鹿島田さんは飲酒をやめられなかった。飲んでは吐く様子を見かねて、賢三さんが専門家に自宅訪問を依頼したら、アルコール依存症の治療を勧められた。

「夫がネットで探してくれた断酒サークルに通ってみたんですが、どうも違う。私にはキリスト教という信仰があるのに何をしているんだと思って。それでお酒をやめました」

約2カ月間、静養し意識が清明になったころ、真希さんは自分が夫に助けられていることを実感した。彼女は初めて、夫を主役にした小説を書いてみようと思った。そして、推敲すること10回で完成した作品が、芥川賞を受賞した「冥土めぐり」だった。

「夫は聖書を日本語、英語、ロシア語で暗記しているんです。『この部分はどう思う?』と毎日、話し合う。私は精神的なメンター(助言者)として夫に敬意をもって接しています。私は何かとイラツとするんです。でも、夫は絶対に怒らない」

真希さんの最後の言葉は、こうだった。

「怒ると問題が大きくなることを学んで、私も怒らなくなりました。失敗しても許してもらえるという安心感があります。夫がいなければ、私の人生はもっと貧しいものになっていたでしょうね」
      
──この新聞記事を読んで、私は鹿島田真希の「冥土めぐり」についてブログに書いたことがあるのを思い出した。その文章を探し出してみると、それは朝日新聞土曜版の「身の上相談」欄に投稿された文章に関連したブログだった。タイトルは「不運な女」となっていて、三回続きの長い記事になっている。

私が「不運な女」として最初に取り上げた「身の上相談」欄への投稿者は、相談文に、「まもなく70歳になる独身女性。大学を出て公務員として半生を過ごしてきました」と自己紹介している。それから彼女は、自身の両親について述べはじめるのだ。

そもそも、両親の夫婦仲が悪かったのである。母は美人で頭がよかったが、父とはカネで繋がっているだけだったし、その母が愛している子供といえば、自分に似た容貌の姉だけだった。父親も男の子しか関心がなく、弟だけを可愛がっていた。両親のどちらからも無視されていた相談者は、子供の頃から病気やケガは自分で薬箱を探して治して来た。その結果、彼女は、「自分は人の愛し方も、愛され方も知らずに生きてきた」と自覚するようになった。
彼女は、大学を出て公務員になったけれども、周囲から能力を認められながら、出世できず、万年スタッフとして過ごしている。そして、弟も姉も家に寄りつかないため、退職後の彼女が一人で両親の介護をすることになった。その両親も2年前にあの世に旅立ち、相談者は一人残された。こうなって、やっと相談者は時間を自分自身のために使うことが出来るようになったのである。

両親に愛された姉や弟は親の面倒を見ないで、両親から冷遇されてきた娘が面倒を見ることになったというような話を時々聞くことがある。私は、こういう女性を「不運な女」だとして、この70歳になる相談者を取り上げたあとで、芥川賞作家の鹿島田真希さんに登場を願ったのである。「冥土めぐり」を読んで、この芥川賞作家も「不運な女」の一人だと感じたからだ。

(つづく)