甘口辛口

「ビッグダディの流儀」を読む(3)

2013/5/22(水) 午後 4:05
「ビッグダディの流儀」(3)

林下清志の告白本を読んでいて、これがポイントだなと思われたのは、「人生は駅伝」と語っている部分だった。彼はこうした考え方に到達するまで、「人生はマラソン」だと思っていたのである、生まれたときがスタートで、死ぬときがゴールになっているマラソン競技。

以前の彼は、ニーチェ風の優越感に取り憑かれていた。

<子どものころは自分は選ばれし民だ″なんて思っていたことがあります。
 同級生の顔を見ながら、
「こいつらはたぶん、偶然この世で存在しているんだろうな。俺はそうじやな
い。こいつらとは存在価値が違うんだー・」
 と考えていました。
 ホント、生意気なガキですよね。なぜだかわからないけれど、そんな選民意
識が生まれながらにあったんです>

そのエリート意識が人生体験を積んで自然に薄らいで行くと、今度は、「自分は何のために生きているのだろう」という疑問に悩まされはじめた。その疑問が解けたのは、結婚して子供が5人ほどになった夜のことだった。布団の上で子供とじゃれ合っているうちに、「そうだ、オレはこいつらを世の中に送り出すために、生きてきたのだ」という想いがひらめいたのであった。

彼は考えた、──そもそも、何か凄いことをしてやろうなどと考えていたことが間違っていたのだ。オレは、生きているうちに何事かを成し遂げなければならない、などと考える必要はなかった。オレはただ、駅伝のタスキを次の世代に渡すだけでいいのだ。

我々は、自身を宇宙のなかの微細な点として位置づけるときに、正しい空間感覚を持つことが出来る。それと同様に、群れをなして現代を生きている同世代者のなかから、自分だけをピックアップして、その人生を成功か失敗か論じるから迷いが生じる。井上ひさしも、「私たちは中継走者だ」といっている。自分を駅伝走者、中継走者として時の流れのなかに位置づけるときに、初めて人類の過去と未来を一挙に展望する長大な時間感覚を持つことが出来る。人は、広大な空間感覚と時間感覚を併せ持つことがなければ、自分というものを正確に捕らえることが出来ないのだ。

自分を駅伝走者として位置づけたことで、林下は次のような心境で生きるようになったと書いている。

<俺にとっては、嘘をつかない、誰も恨まないっていうのが、いちばん楽な生
き方なんですよ。
 そのためには、毎日とにかく面白く暮らすこと。そして何年も前のことを振
り返って、歯ぎしりするほど悔しがったりしない。
 例えば、別れた元妻の佳美が浮気したこと、出ていったことにしても、あ
いつのせいで……″なんて思うことはしない。
 今を面白く暮らしてさえいれば、誰も恨まなくてすみますから。だから、今
を面白く暮らすことに一生懸命にならないと>。

しかし林下は以前から、「毎日を面白く暮らす」男だったのである。前妻の美奈子に、初対面でいきなり結婚を申し込んでいる彼は、元妻の佳美にも唐突に結婚話を持ち出している。林下が佳美と初めて会ったのは、彼が岐阜県多治見市の接骨院に勤めていた時だった。林下は、事務員として採用された佳美が初出勤した日に、彼女に仕事の説明をする役を受け持った。

このとき彼は 仕事の説明をしながら、いきなり、「どうだ、接骨院の仕事って面白そうだろ、俺の嫁さんになって一生やるか?」と言っている。仰天した佳美は、帰宅して親に、「プロポーズされた」と話したという。

昔から、彼は面白く暮らすために、衝動的とも見られる行動を重ねて来た。仕事を転々と変えるのも、あちこちに引っ越すのも面白い暮らしを求めたからであり、妻との間で結婚と離婚を繰り返してきたのも、同じ理由からだった。彼は、「もう、ムリ」といって、妻と別れるのだが、その離婚や別居の理由がもう一つハッキリしない。

「人生は駅伝だ」と悟ってから、自分の生き方が変わったと林下清志はいう。だが、我慢が足りずに離婚したり、転居したり、仕事を変えたりするところは、一向に変わっていないようにみえる。もし、開悟によって彼に変わった点があるとしたら、自身の衝動的な行動が引き起こした困難を甘んじて受け入れるようになったことではなかろうか。

とにかく、私はビッグダディ関連のテレビ番組を見て堪能し、さらに林下と美奈子告白本を読んで堪能し、人生についていささか悟るところがあったのである。林下一家の皆さんに感謝したいと思う。