甘口辛口

「死ぬ気まんまん」の佐野洋子(1)

2013/7/5(金) 午前 10:22
「死ぬ気まんまん」の佐野洋子

久しい間、佐野洋子の著書「死ぬ気まんまん」を読みたいと思いながら、そのままになっていた。やっとその気になって、先日、この本を彼女の「神も仏もありませぬ」などの著書と一緒にインターネット古書店に発注した。

注文した本が届いたので、まず「死ぬ気まんまん」と一緒に届いた佐野のほかの著書を調べてみる。そしたら、予想と違って「ほんの豚ですが」という本は絵本だった。私は題名の感じから、これをエッセーか小説ではないかと思っていたのである。これを手にとって挿絵の豚を眺めているうちに、私は以前にこの絵本を読んだことがあるのを思い出した。確か、この本もインターネットで注文して、読後にその感想を自分のブログに書いているはずだった。

とにかく「ほんの豚ですが」について自分がどんなことを書いているか確かめてみようと、以前にアップしたブログをさかのぼって点検してみたら、私は佐野洋子の著書について2回感想を書いていたが、「ほんの豚ですが」に関する記事はなかった。佐野洋子関連の文章の一つは、彼女と母親との壮絶な葛藤について取り上げたもので(「役に立たない日々」)、もう一つは、彼女の本「神も仏もありませぬ」の読後感を記したものだった(「佐野洋子の慧眼」)。

「ほんの豚ですが」に関する記事がなく、その代わりに「神も仏もありませぬ」の感想が記載されているところをみると、同じ本を二度購入したのは「神も仏も」の方だったのである。私は、改めて自らの老耄を憫笑せざるを得なかった。

気を取り直して、「死ぬ気まんまん」を読んでみる。

佐野洋子はこの本で、ガンで死ぬことを恐れるどころか、自分はむしろガンによる死を待ち望んでいるという心境を語りたいらしかった。彼女は医師から「余命2年」という宣告を受けているのである。

ここで彼女のガンについて説明しておけば、佐野洋子の乳ガンを見つけてくれたのは、耳鼻咽喉科医の女医だった。佐野がそれまでに聞き知っているところでは、乳ガンは小豆大のコリッとした固まりのはずだっやが、彼女のものは雑煮の餅みたいなものが左側の乳房にあるだけだったから、彼女はそれがガンだとは夢にもおもわなかったのである。しかし耳鼻咽喉科の女医は、患部を触った後で、「すぐ病院に行きなさい」と命じた。佐野が、自宅から六十七歩の近さにある病院に行って診察してもらったら、乳ガンであることがハッキリした。それで、取り急ぎ患部を切除することになったのだった。

佐野洋子はこのいきさつを「役に立たない日々」で明らかにしているのだが、その文章が、彼女らしい流儀を発揮するのは、このへんからであった。彼女はこう書いているのだ。

「手術の次の日私は六十七歩歩いて家にタバコを吸いに行った。毎日タバコを吸いに帰った」

佐野洋子は、これでガンの処理は完了と思っていた。だが、ガンは骨に転移していたのである。ある日、外出してガードレールをまたいだら、ポキッとした感じがあった。それで、病院の整形外科に行ってレントゲンを撮ったら、この前、乳房切除をしてくれた医者が顔色を変えた。

医者は、すぐに癌研を紹介してくれた。癌研では専門病院を紹介してくれる。以下に転載するのは、佐野洋子でなければちょっと書けないような文章である。

<「私はラッキーだった。担当医がいい男だったからだ。阿部寛の膝から下をちょん切った様な、それに医者じゃないみたいにいばらない。いつも笑顔で、私、週一度が楽しみになった。七十パパアでもいい男が好きで何が悪い」>

「いい男が好きで何が悪い」と啖呵を切った後で、彼女の文はいよいよ佳境に入る。初めての診察の際、彼女は医師と次のような会話を交わしている。

「あと何年もちますか」
「ホスピスを入れて二年位かな」
「いくらかかりますか死ぬまで」
「一千万」
「わかりました。抗ガン剤はやめて下さい。延命もやめて下さい。なるべく普通の生活が出来るようにして下さい」
「わかりました」

佐野洋子は、自由業で年金がないから九十まで生きたらどうしようとセコセコ貯金をしていたが、あと二年しか寿命がないとしたらそんな貯金は必要ない。彼女は病院からの帰途、近所のジャガーの代理店に行って、売り場にあった一台の車を注文した。

「それ下さい」

ジャガーに乗った瞬間、シートがしっかりと彼女を受け止めてくれて、あなたを守ってあげるよと言っているみたいだった。

(つづく)