甘口辛口

自決前後の三島由紀夫(1)

2013/7/21(日) 午前 9:17
自決前後の三島由紀夫

若松プロダクションが2012年に制作した「11.25自決の日、三島由紀夫と若者たち」という映画をWOWOWで見た。こんな映画が作られていたとは、これまで全く知らないでいたのである。事実に基づくこの作品を見ているうちに、これまで三島由紀夫に関して抱いていた二、三の疑問が解けたような気がした。

巷間伝えられたところによると、事件後、三島を解剖したら彼の肛門内から森田必勝の精液が発見されたという。この話が本当なら、三島と森田必勝は討ち入り前に男同士で最後のセックスをしていたことになる。

しかし、この話は到底信じられなかった。私は、そもそも三島がホモだったということ自体を疑っていたのである。

三島は、独身時代に二人の女性に求婚している。純正ホモの男が自発的に女性に求婚するなどということがあり得るだろうか。幸か不幸か、この求婚は稔らなかった。女性は二人とも三島の申し出を拒否したからだった。

三島は見合いもしている。その見合い相手の一人に、美智子皇后がいたということにも驚かされる。

三島は、こうして積極的に結婚相手を求める一方で、ある料亭の娘と三日おきに逢い引きして持続的な性的交渉を重ねていた。ホモの男性が、女性とも性的交渉を持ち、両刀使いの性生活を送る事例はある。だが、三島の場合は女性との交渉が中心で、男性との性的交渉はほんの添え物に過ぎなかったのだ。吉行淳之介は、女性相手に「色道修行」を続けながら、作家的好奇心から男性とのセックスも試みている。三島も吉行と同じような動機から男性との性交渉を試みたのではないだろうか。

転んでもただでは起きない三島は、その後自分はホモだと触れ回るようになった。彼は自分に世の視聴を集めるため、「鬼面人を驚かす」行動を好んだが、自分がホモであることを公にしたのもこの種の一連のパフォーマンスの一つとしてだったのだ。

男性とのセックスを試みる場合、吉行は男役・女役のうち男役を選んだが、三島は女役になって相手から抱かれる方を選んでいたといわれる。

分裂した性格を持っていた三島は、表面、唯我独尊の傲慢な姿勢をとり続けながら、その裏では、強者に臣従することを喜びとする自虐的な感情も併せ持っていた。幼年期から青年期に入るまでの三島は、家庭内で絶対的な権力を握っていた祖母の部屋で寝起きし、喜んで専制的な祖母の支配に服従していた。

青年期になって祖母の手を離れた三島は、祖母に変わる絶対的な権威として天皇を選んでいる。彼は、作家仲間に「天皇陛下万歳」というとき、幸福感にとらわれると語り、東大に乗り込んで、全共闘の学生たちと論争したときにも、学生たちに、「君らが天皇という言葉をひと言でもいってくれたら、よろこんで君らと共闘する」と告げている。

では、森田必勝の方はどうだったろうか、彼にはホモの傾向があったろうか。

森田は全共闘系の学生の多かった早稲田大学にあって、民族右派の日本学生同盟に所属していた。彼は三島由紀夫が「楯の会」を発足させると、直ぐこれに加わって自衛隊に体験入隊するなど、三島と行動を共にしている。彼は知的なタイプの学生ではなかった。三島に向かって、「私は先生の作品を読んでも、ちっとも分かりません」と自白するかと思えば、行動右翼の指導者に、「人を殺すには、どうしたらいいですか」と問いかけ、「日本で一番悪い奴はだれですか」と自分が暗殺を企てていることを暗示するような学生だった。

森田は、テロの必要性をにおわせる三島の挑発的な言葉を聞いて、三島に対する傾倒の念を日に日に強めていった。三島は安保条約改定の打ち合わせのために渡米する首相を引き留めようとして、左派の学生たちが飛行場に押しかけるのを見て、「首相を渡米させたくなかったら、殺してしまえばいいじゃないか」と放言している。

三島の言動が過激になっていくのを見て、三島に協力して「楯の会」を立ち上げた持丸博は次第に三島と距離をとり始めた。持丸は「楯の会」の中にあってナンバー2の地位にあり、「学生長」というポストについていたから、持丸を支持する学生もあり、そしてまた、持丸グループとは反対にテロに賛成して三島に決起を促す急進派の学生もあって、その頃、「楯の会」は分裂の兆候を示し始めていた。

こうしたときに、森田必勝はまるで恋文のような血書を三島に手渡すのである。彼は、そのなかで、三島のためとあらば、何時でも死ぬことを誓っている。当時の三島由紀夫は、一部の先輩作家から見捨てられ、親しい友人とも絶交し、三島の劇作品を上演してきた文学座も彼に離反するということがあって、孤立無援の感を深くしていたところだった。そんな時期に、森田は日本学生同盟から脱退して三島一筋の立場を明らかにして、三島に自分の生命を預けるとまで誓ってくれたのである。森田必勝の存在は三島を大いに喜ばせたに違いなかった。

三島はそれまでコンビを組んできた持丸博が「楯の会」を去ると、森田を学生長のポストに据えた。三島と森田がホモの関係になったのは、三島が森田をナンバー2の地位に引き揚げ、その後、森田が明け暮れ三島に供奉するようになってからだろう。
(つづく)