甘口辛口

高橋和巳の「悲の器」(3)

2013/11/6(水) 午前 9:21
「悲の器」(3)

正木典膳は、わが国の法学研究をリードするトップの学者だったが、それだけでなくその独自の理論によって世界的にも名の知れている法学者だった。それが家政婦から「不法行為訴訟」によって訴えられ、自分もこれに対抗して「名誉毀損訴訟」で反訴するというぶざまな事態に追い込まれてしまったのだった。

作者の高橋和巳は、この作品を正木典膳による自己正当化の手記という形にして小説化している。ということになれば、当然正木に有利な手記になるはずだが、著者はこうなった責任は正木自身にあると暗示するのである。作者は表面、正木の悲運に同情するポーズを取りながら、正木の破滅が自業自得であることを読者にそれとなく感じ取らせるという高等戦術をとっている。

正木典膳は某大学の法学部で教授陣の一端を担っていた。法学部を率いる宮地博士の下には助教授や講師や助手がいて、いずれも師である宮地博士の後を嗣いで「法学部長」のポストに就くことを狙っていた。弟子たちは皆、「休息なき競争意識と優越への意志」に駆り立てられ、「ちょっと油断をすれば突き落とされるのではないかという不安」と、「常に後を追いかけられているような緊張」のなかで日々を過ごしていたのである。

宮地研究室では、「国家」という学会誌を出していたから、師に命じられてこの雑誌の編集責任者になるのも、弟子たちが奪い合うポストのひとつになっていた。だが、時代が戦時色を濃くして行くようになると当局の検閲の目が厳しくなって、編集責任者になった弟子たちはリベラル、あるいは左翼的な論文を掲載したという理由で、次々に追放されたり、投獄されたりするようになった。

そんな状況の下で編集責任者を命じられた正木典膳は、当局の逮捕の手が自分に伸びてきそうな気配を感じるやいなや、するりと検事に転身するのである。当時、助教授になっていた彼には、そういうコースを選択する資格があったのである。

戦後に思想弾圧の危険がなくなると、正木は再び大学に戻って教授になった。以前のライバルたちはすべて姿を消していたから、彼は時局便乗のオポチュニストという陰口をたたかれながらも、宮地学部長の養女を妻にして、宮地の退官後に易々とその後を襲って法学部長になるのだ。そして、彼は学会をリードする法学理論家として大学内外から敬意を払われるようになった。正木は、その手記の中で、「自惚れではなく、私は数年前から斯界の最先端に立った」と書いている。

その正木典膳が家政婦から訴えられるというスキャンダルの当事者になったのだから、マスコミが騒ぐのも当然だった。家政婦の米山みきは職業軍人の妻で、夫の米山大尉が死去した後、二人の子供にも発疹チフスで死なれ、天涯孤独の身になっていた。だから癌を病む妻を抱えて家政婦を求めていた正木が、住み込みで働いてくれるように頼んだとき、彼女は直ぐに承知したのであった。

正木と米山みきが身体の関係を持つようになったのは、まだ正木の妻が生きていた頃だった。妻が死んでからは米山みきと正木の関係は更に深くなり、正木にとってみきは内縁の妻同様の存在になっていた。だが、正木は、妊娠したみきが出産する許しを求めたときに、これをはっきりと拒否してしまう。正木はみきが彼との結婚を望んでいることを承知で、みきが彼の子供を産むことを拒んだのだ。

その正木が、少々婚期が遅れているとはいえ、まだ27才の栗谷清子と婚約したのを知って、米山みきは猛然と反撃に出るのだ、大学の法学部長として世間体を気にしている正木を、あえて訴えて出て世の晒し者にするという方法で。

栗谷清子は正木と知り合いの大学教授の娘で、彼女がピアノの発表会を開いたときに、その切符を正木が売りさばいてやったことで縁が出来、以後、時々二人は食事を共にするようになっていた。正木が彼女に求婚したのは、その若さや美しさに魅惑されたからだったが、相手の方も彼の年齢のことをあまり気にしないで、自分を本気で愛してくれていると信じられたからだった。

正木と米山みきが相互に相手を訴え合って泥仕合になったとき、正木にとって意外だったのは世間が米山みきの味方になり、彼を非難する声が高くなったことだった。そして、そのなかでも耐え難い思いをさせられたのは、これまで陰に陽に庇護してきた実弟の一人が彼を弾劾する文章をマスコミに発表したことだった。正木は父の死後、乏しい給料を裂いて三人の弟の学費を出してやり、それぞれを医師、大学教授、神父にしてやっていたのである。その弟の一人(神父になった弟)が公然と彼を攻撃して来たのだ。

大学でも、彼が講義するために教室のドアを開けたら、受講するはずの学生が一人もいないというようなことがあり、ある日、彼は遂に学生たちと正面衝突してしまうのである。

それは「警職法反対闘争」で学生たちが盛り上がっていた時のことだった。学生たちは、教授陣にも共同闘争することを求めて、法学部の学部長室に押しかけてきた。正木は単独で学生たちと押し問答をす羽目になったが、このとき学生の鞄が正木の腰に当たり、彼が転倒するという事件が起きた。それは偶然の結果で学生に悪意があってのことではなかったから我慢できた。それよりも正木を怒らせたのは、一人の女子学生が憎しみをこめて彼を「卑劣漢」と罵ったことだった。

正木は、その場で警察署長に電話して学生たちを学部長室から退去させて欲しいと頼み、その後で学生たちを告訴するという挙に出る。その頃、全共闘系の学生が教授を吊し上げるという「暴挙」はあちこちで起きていたが、それで教授が学生を訴えるというようなことはなかった。しかし正木典膳は、法の専門家として、告訴に踏み切ったのであった。そのことで、彼は大学教授としての職を失い、学者としての生活を失うことになる。

彼が大学を去ったのは、学生たちが授業ボイコットという手段で正木に抗議したため、大学側が事態を平穏におさめるため彼に辞職することを求めたからだった。

正木典膳は、若い恋人の栗谷清子にも裏切られている。正木が大学を辞職した後で、「これまでの二人の関係を清算したいから、そちらにある私の手紙を返して欲しい」という封書を届けていた彼女は、意外な行動に出たのである。ある日、彼が米山みきとの訴訟に出廷すると、栗谷清子が証人席に呼び出されていた。正木が驚いて見ていると、彼女は米山みき側の証人になって、その立場から証人台に立っているのであった。

病死した妻の日記が出てきたので読んでみると、そこにも意外なことが書いてあった。妻は、養父宮地博士の周辺に群がる弟子たちのうちで、自分以外の別の男を愛していたのである。そして、彼女は「神さま、神さま、ああ、わたしのこの生活は、地獄でごさいました」とも書いている。妻は、彼との間に二人の子供をもうけながら、結婚生活を地獄だったと神に訴えているのだ。

高橋和巳は、自分の創造した正木典膳という人物が破滅した理由をどう説明しているのだろうか。それは、神父になった実弟が兄に語った次の言葉の中に明記されている。

「あなたは愛の分配者になろうとした。自分たち兄弟に対し、弟子に対し、友人に対し、下僚に対し、そして女性に対して、法と知識の名において神になろうとした」

正木典膳は法と知識という権威をバックにして、周囲の人間たちを冷たく裁いてきたから、すべての人間から裏切られたというのだ。つまり高橋和巳は、正木典膳を着筆最初から否定的人間の典型として描こうとしていたのである。

しかし、ここに一つの疑問がある。もし、作者が正木典膳を否定的人物の典型として描こうとしたのなら、どうして正木はあれほど魅力があるのだろうか。私が先輩面をして出世主義の後輩に「悲の器」を読むことを強いたのは、これを読めば正木典膳を通して昇進を目的にして生きることの空しさを悟るようになるだろうと考えたからだった。正木がこれほど魅力的に描かれていなかったら、私は「悲の器」を読むことを勧めはしなかったのだ。

正木典膳が否定的な人物になりきっていないのには、次のような理由があるからだと著者自身「後書き」に書いている。

  「長い制作の過程で、私もまた単純な原理に気づかないわけではなかった。それは文章表現なるものは、本来、表現しょうとする対象を肯定するための操作であるらしいということだった」

(つづく)