甘口辛口

皇室の自己改革

2013/11/21(木) 午後 10:13

天皇制というものが、これだけ確固としたものになると、皇室を変えようとしても、外部の力ではではどうにもならないようになっている。

例を挙げれば、明治時代の皇室は一夫一婦制をとっていなかった。だから、明治天皇は大奥に通う将軍のような性生活を送っていた。山岡鉄舟は毎夜女官部屋を「襲撃」する若き明治天皇をいさめるために途中の廊下で待ち受けていて、柔術の手で天皇を投げ飛ばしていたという。こんな有様だったから、大正天皇は正妻の子ではなかった。

大正天皇以降は一夫一婦制が守られるようになったが、これはもちろん、天皇の意志によらなければ実現できないことだったから、これは近代における「皇室の自己改革」の第一歩だったのである。改革の第二歩が何であったかといえば、敗戦後の昭和天皇による「人間宣言」がそれだった。

この人間宣言を受けて、三島由紀夫などは、「すめろぎはなどて人となりたまいし」と嘆いたものだ。だが、理性を備えた日本人はすべて、「何をいまさら」と、にが笑いしただけだった。戦争中は仕方なしに天皇は生きている神、つまり「現人神」だと口にしていたけれども、脳疾患にかかっているもの以外、本気で天皇を現人神と信じているような日本人は一人もいなかったのである。

昭和天皇は続いて、私生活にもメスを入れて、それまで保育係の役人に一切の世話を任せっきりにしていた子供たちを手元に呼び集めて自ら育てることにした。「マイホーム天皇制」の発足である。これは画期的な改革で、これ以来、天皇は国民が畏怖して仰ぐ存在ではなくなった。家庭生活を楽しむマイホームパパに変化したのである。

そして時代は平成に移り、現天皇は美智子皇后と相談して、皇室の葬送を改革する方針を打ち出したのだ。これまでは天皇が逝去すると、大葬と称して民間の一切の祝賀行事は中止となり、歌舞音曲も制限された。今後はそうした制限を最小限度にとどめ、葬礼行事を簡素化することに切り替えたのである。その眼目は、国費に与える負担を最小限度に圧縮することにあった。

ここで思い出されるのは、都市計画のために美智子皇后の実家が取り壊されることになったときの騒動なのだ。工事用の車両や工事関係者が皇后の実家に近づくと、年配の女性らが集まり、これを阻止し、「皇后さまのご実家ですよ。なぜ、壊すんですか」と抗議したのである。工事用の車両、関係者が近づくたびに追い返されるので、問題はマスコミによって大きく取り上げられた。だが、事が皇室に関わる問題なので、解決のめどがつかないまま徒に時が流れるばかりだった。

しかし、この問題は皇后の一言でけりがついたのである。皇后は、実家を移築などして国費を費やしては申し訳がない、遠慮せずに取り壊して下さいと言い切ったのだった。こんなふうに美智子皇后が一歩退いて身を処する姿勢は、天皇との合葬を辞退したことにも現れている。皇后のこの姿勢は、陰に陽に天皇を動かし、今回の葬送方式の変更にも大きく影響していると思われる。

この美智子皇后を座標軸にして、次の皇后となり、あるいは国母となる皇太子妃・秋篠宮妃を比較してみよう。心配になるのは紀子妃の方である。

紀子妃は秋篠宮との結婚が決まったとき、宮内庁に駆け込んで群衆に接するときの美智子皇后のビデオを借り出している。彼女は自分を歓迎すする民衆にどのように手を振ったらよいか知りたかったのである。つまり彼女は秋篠宮の妻になるということは、群衆に向かってにこやかに手を振る立場になることを意味すると考えていたのだ。彼女の自己顕示欲は尽きることを知らず、義姉が適応障害でバッシングを受けていることにつけ込むように過剰適応と評される行動を見せつけている。

皇太子妃は内外の社会福祉に関心があり、アメリカのハーバード大学を卒業後、イギリスのオックスフォード大学に入学、そして帰国してからは東大に学士入学している。この学士入学のためには、百人以上の応募者のうち合格者は僅かに数名という超難関の試験に合格しなければならない。彼女は米・英・日三カ国の最難関といわれる大学に学んだことに満足せず、最新の情報を求めて、現在、国連大学に通っている。

皇室は歴代の天皇のもとで改革を進め、着々と近代化してきた。だが、まだ改革すべき問題を多く抱えている。その第一は、宮内庁の職員を思いきって削減することである。天皇の仕事は国事行為だけなのだから、10数名の秘書がいれば十分なのだ。天皇一家の家事補助要員もやはり10数名で事足りる。もっとも、そのためには第二の改革が必要になるけれど。

東京見物にきた外国人が呆れるのは、東京の中心部に広大な立ち入り禁止区域があることなのである。国民の立ち入りを禁じている真空地帯──皇居である。

日本の国土は、天皇の私有地ではないし、日本国民は天皇の使用人ではない。天皇も日本国民の一人にすぎず、他の日本人と同等の権利と義務を持っているだけだ。としたら、僅か数人の天皇一家で東京中心の超一等地を独占し国民の立ち入りを禁じていることに何故恐れを感じないのだろうか。

そもそも現在皇居になっているのは江戸城跡であり、徳川家の造営した本拠なのである。それを幕末期に官軍が奪い取って、皇居にしたのだから、天皇一家が皇居を出ることになったとしても、あまり強い喪失感に襲われずに済むはずだ。

天皇が転居するとしても、京都の御所に引っ越す必要はない。皇居はあれほど広いのだから、その一角にプライベートな住宅を作り、公務のためにはそこから霞ヶ関の役所に通うという方法もあるし、都内の適当な場所に小型のビルを作って、そこを住居兼用の役所にする方法もある。そうすれば、いずれにしても私的使用人である家事補助要員も僅かな人員で済むのだ。

私は断言してもいいだろうと思う、やがては皇居が国民に解放されて皇居前広場と併せて巨大な公園になり、その下には高速道路や電車線路の交錯する地下空間が出来るだろうと。そして、それは革命や戦争によって可能になるのではなく、皇室が自己改革を重ねてゆくことによって、数世代後に実現するであろう、と。

これが痴人の夢に終わらないためには、雅子妃はさらに研鑽を続けてほしいし、紀子妃には、その自己顕示欲を抑制し、やたらに宮内庁に要求を突きつけることを遠慮してもらわなければならない。