甘口辛口

子供返りする老人(1)

2013/12/28(土) 午後 7:57
子供返りする老人

愚老にとっては、2013年は妙な年だった。馬齢を重ねた結果として「子供返り」の現象が現れて来たのである。

人間、年を取れば食が細くなって行くもので、ここ数年は三度の食事に茶碗一杯の飯を食べるのにも苦労するようになっていた。それが今年になって、朝食だけは苦労なしに茶碗一杯の飯を軽々と食べられるようになったのだ。理由は簡単で、炊きたての飯に生卵をかけて食べることにしたからだった。こうなったのは、子供の頃の記憶がよみがえって来た為なのである。

愚老が子供の頃は、卵が高価だったから、そう簡単に卵かけご飯を食べるわけにはいかなかった。だからこそ、たまに熱いご飯に生卵をかけて食べるようなときには、「ほっぺたが落ちるほどおいしいな」と思ったのだった。だが、戦後、卵が安く手にはいるようになると、昔あれほど美味だと思った卵かけご飯を口にすることがほとんどなくなった。それが、一杯の飯を食べるにも難渋するようになって、唐突に子供の頃の卵かけご飯を思い出したのである。

子供返りの現象は、卵かけご飯だけではなかった。今年になって、急に「赤玉ポートワイン」を飲みたくなったのだ。うまれつき愚老は、「アルコール分解酵素」が不足しているため、自分から酒を飲みたいと思ったことはない。だが、子供の頃、風邪をひいて寝ていたとき、「これを飲んでごらん。体が温まるよ」といって母親が赤玉ポートワインをグラスに一杯飲ましてくれたことがあった。これが、とてつもなく美味だったのである。

そのときには、「天上の美味」と思った赤玉ポートワインのことを、その後、すっかり忘れていた。中年になって、身体にいいと聞いて、試しに赤ワインを購入したことがあったが、このときにも「赤玉ポートワイン」を思い出すことはなかった。にもかかわらず、今年になって、やはり唐突に「あれは、まさに天上の美味だったな」とポートワインのことを思い出して、これを毎日猪口一杯ずつ飲むようになったのだ。

そして「直木三十五全集」である。

その昔、戦前の子供たちが夢中になって読む本といえば、「少年講談全集」か、立川文庫だった。それを卒業して中学生になると、吉川英治の「宮本武蔵」や白井喬二の「富士に立つ影」に進むのだが愚老の場合は直木三十五の「南国太平記」だったのである。

小学校の教員だった父親の書棚には、文学書では改造社刊行の「現代日本文学全集」・夏目漱石全集の他に仮綴じ本の「トルストイ全集」があるだけだった。ほかにも未だいろいろあったらしいが、父が病気で入院したとき、金に困って蔵書の半ばを売り払ったと聞いている。売られずに残った本の中に直木三十五全集の片割れが何冊かあり、それが「南国太平記」であり、「源九郎義経」であり、雑文集だったのだ。

直木の作品で最初に読んだのは「源九郎義経」で、これは「南国太平記」に次いで評価の高い作品なのだが、これを読んだとき愚老はまだ小学校の六年生だった。が、6年生ともなれば、いかに成人向きの小説とはいえ、物語のポイントは大体わかるのである。

今でも覚えているのは源義朝の愛人だった常磐御前が、義朝没落後に敵だった平清盛に囲われ、今度は清盛の子をはらむ場面だった。妊娠を知った常磐御前が、「またこんな身体になってしまって」と嘆くところが小学生にとっても印象的だったのだ。大人の世界には、今まで敵として憎んでいた男の子供を妊娠してしまう女もいるということを愚老は初めて知ったのであった。

中学生になると、「南国太平記」にすっかり魅惑された。そして、それ以上に直木が雑誌「文藝春秋」に載せた雑文の面白さに新鮮な驚きを感じた。例えば、彼は「鍵屋の辻」というエッセーで、少年講談で英雄だった荒木又右衛門が伊賀の地で敵とどう闘ったかを資料をもとに解説していた。彼は斬り合いの最中に、背後に回った敵方の中間に木刀で腰のあたりを二、三度殴られているのだ。これが木刀でなくて真剣だったら、荒木又右衛門は返り討ちになっているところだったのである。

そうした実録開示のエッセーも興味があったが、それよりもっと面白かったのは作家仲間の誰彼を取り上げたゴシップ記事だった。彼は、当時の人気作家が奥さんと碁を打ちながら口喧嘩する場面とか、某作家の夫人に関する何ということもない噂話を題材にして、読んでいて思わずにやりと笑ってしまうような読み物に仕立て上げるのである。菊池寛は、直木のゴシップ記事を読めば、彼が天才だということが分かるとまで絶賛している。

しかも彼はこれらの原稿を頼まれると、編集者に「これで一服していてくれ」とタバコの箱を手渡し、相手がその一本を吸い終わらないうちに頼まれた原稿をたちまち書き上げてしまうという速筆の才を持っていた。愚老は、直木三十五の世界をもっと知りたいと思ったけれども、現代日本文学全集を読みあさるようになると、芥川龍之介や徳富蘆花に目が行って、直木のことはすっかり忘れた形になってしまった。

その後も、直木の本に触れることなく過ぎていたが、愚老は子供の頃一度飲んだだけだった「赤玉ポートワイン」のことを忘れなかったように、直木三十五のことも忘れないでいたのである。そのくせ、退職してからインターネット古書店を通していろいろな個人全集を購入するようになったにもかかわらず、ついぞ直木の全集を注文することなく過ぎていた。それが遂に、「赤玉ポートワイン」を飲み始めるのと、軌を一にして直木の全集を唐突に注文する気になったのであった。

(つづく)