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下僕根性からニヒリストへ(4)

2014/1/24(金) 午後 0:02
下僕根性からニヒリストへ(4)

合理主義者は、人情の手厚い社会では住みにくさを感じて社会全体を冷眼で見るようになるのだが、これは本人にとっても社会にとっても不幸なことだった。世俗とは異なる合理的な価値観を持ちながら現実と妥協して、江戸時代の「隠れ切支丹」のように生きなければならなかったからだ。

日本のインテリ層には、昔からこの「隠れ切支丹」型の人間が実に多かったのである。戦前の日本ではミリタリズムが支配し、「天皇制絶対主義」といわれる社会体制のもとで左翼思想が根絶されていたように見えるけれども、不思議なことに過半のインテリはマルクス主義を信じていたのであった。

あのファシズムが吹き荒れて時代にも、大学で社会科学系の講座を担当する教授陣は、たいていがマルクス主義系の学者たちだった。学生たちはこの系統以外の右派系の学者らを小馬鹿にして相手にしなかったのだ。だが、マルクス主義系統の学者たちは、河上肇などをのぞいて実際運動には参加しないで講壇マルクス主義者に留まっていたし、その薫陶を受けた学生たちも、卒業すると、それぞれしかるべき職場におさまり、「改造」「中央公論」などの総合雑誌で社会主義風な論文やエッセーを読み、鬱をはらすことで満足していた。

この流れは、戦後になっても続いている。

敗戦後の学生たちは、群を為して「マルクス・レーニン主義」に走り、彼らの反体制運動は安保反対闘争で頂点に達した。ところが、学園内や街頭で虎のように荒れ狂っていた彼らは卒業すると猫のようにおとなしくなり、企業や官庁の忠実な戦士に変身してしまったのである。

こういう光景を見慣れている年配者は、自分の息子や後輩が社会変革を説いても平然と聞き流し、「そんなことを言っているのも、今のうちだけだよ。キミも、いずれは間違いなく変わよ」と応じる。そして、若者たちは、間もなく予言されたように事なかれ主義の「社会人」なるのだ。

ところで「隠れ切支丹」が肝心の信仰を捨てるとどうなるだろうか。

社会に対する不信感に加えて、自分自身に対しても不信感を抱くようになり、本当のニヒリストになってしまうのである。これまでは、周りからニヒリストと見られていただけだったが、今や自分でも自身を侮蔑の目で見るようになり、一切の価値観を喪失し生きながら地獄に堕ちるのである。

では、地獄を出て、「慈の世界」に出る方法はないのだろうか。この点を考える前に、素材として愚老が1年半前に当ブログにアップした拙文を引用しておきたい。

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           「 脳科学者の至福体験」(2012/5/11(金) 午後 5:44 投稿)

テレビで、「奇跡体験を語る」という番組を見た。

ジル・ボルティ・テイラーというアメリカの女性脳科学者が、38歳の時、突然左脳の血管破裂による脳卒中の発作に襲われ、そのため、彼女は歩けない上に、しゃべれないという赤ん坊同様の無能力な状態に陥ってしまったが、その反面、たとえようがないほどの幸福感にも包まれたというのである。

38年の間に感じ続けていたストレスが一挙に消え失せ、彼女は宇宙の全分子・全エネルギーと一体化したような感覚に包まれたのだ。

脳卒中の症状から脱するまでには数年かかったけれども、回復後の彼女は、自身の体験を脳科学者としての視点から解明して一冊の本を書いている。この著書は全米で50万部を売り上げるベストセラーになった。有名人になった彼女は、各地で講演するようになり、私がTVで見た番組も、スタッフが講演会場にTVカメラを持ち込んで、彼女の講演をそのまま採録したものだった。

彼女によれば、右脳の役割は世界が伝えてくるあらゆる刺激をイメージの形で受け入れ、全宇宙の「今」の姿を把握することにあるという。個人は世界を構成する分子の一つに過ぎないから、右脳の次元では「私」の存在は意識されない。右脳の中にあるのは、「全体」の相であり、その全体が示す「今」の相なのである。

左脳は、右脳が受け入れた「全体」のなかからその一部分を切り取って、「私」の意識、自我意識を構成する。そして、「今」を分解して私の「過去」と「未来」を作りあげる。左脳は、自分の必要とするものを右脳から取り込むだけで、それ以外のものを切り捨ててしまう。

だから、脳卒中のために左脳が働かなくなれば、右脳のとらえている「全体宇宙の今」の姿だけが意識されることになる。すると、この静寂で壮大な「全体宇宙の今」のイメージが、人を至福の境地に導くのである。

ジル・ボルティ・テイラーは、人々が右脳の世界を見るように努力すれば、個人として幸福になるだけでなく、世界平和実現のために貢献することになると語って講演を終えている。講演が終わると、聴衆は総立ちになって、拍手していた。

ホームページで紹介した私の「宗教的体験」なるものも、ジル・ボルティ・テイラーの体験と同じものではないかと思われる。この女性脳科学者の場合は、脳卒中の発作で左脳が活動が停止したために右脳の提示する世界像をナマな形で見ることになったのだが、私の場合は、左脳に溜まっていたエネルギーが、右脳の側に跳躍して「全体宇宙の今」を照らし出したために至福感が得られたのだった。

私はジル・ボルティ・テイラーが左脳の働きとしたものを「表自己」と命名し、彼女が右脳の働きとしたものを「裏自己」と命名している。人間の内面は表と裏の二層構造をしていると考えたのだが、彼女は人間の意識活動を左脳と右脳の二つに振り分けて説明している。不遜な言い方を許してもらえるなら、私の「仮説」は、彼女の研究によって生理的な裏付けを与えられたことになるのだ。

長く生きていると、個人的な面でも刺激になるような情報が次々に入ってきて、興が尽きないのである(了)。
(つづく)