甘口辛口

日本人による兵役拒否(1)

2014/3/4(火) 午後 1:40
日本人による兵役拒否

戦争中の日本人は、国民全員が一人残らず火の玉のようになって、勝利を目指して突き進んでいるように見えた。だから、国内には、軍国主義に反対するものや、兵役を拒否する若者が一人だって、いるようには思えなかった。愚老も徴兵年齢に達した仲間たちと共に、これはもう戦場に引っ張り出されて死ぬしかないなと、覚悟していた。

戦争が敗北に終わってから十数年して、ある日、風変わりな小説を読んだ。狂人のふりをして、徴兵検査を逃れた男を主人公にした作品であった。その叙述にリアリティーがあるところからみて、それは事実に基づいた文学作品らしかった。読み終わってから愚老は、成る程、こういう手もあったのかと感じ入ったのであった。

それから4,5年すると岩波新書が「兵役を拒否した日本人」という本を出して、灯台社に所属する3人が戦時中に兵役を拒否していたことを明らかにした。そして、それから又何年かすると、トルストイ翻訳者の北御門二郎が、「ある徴兵拒否者の歩み」という自伝を出版して、トルストイに導かれて徴兵を拒否した委曲を明らかにしている。愚老は、これらの本で、戦時下のあの過酷な時代に兵役を拒否する意志を明らかにして国家権力と闘った若者がいたことを知った。そして、日本人も捨てたものではないなと思った。

安倍政権のもとで、日本が再び軍国主義への道を歩み始めた現在、日本人はこれら先人の行跡に学ばねばならないのではないか、そんな気がしてきた。それで、北御門二郎の自伝を取り上げることにしたのだが、それに先だって、まず、著者である北御門二郎の経歴から紹介しようと思う。

大正3年に熊本県で生まれ、平成6年に91才で亡くなった彼は、1992年「九州タイムアウト第18号」に寄稿した「非国民のすすめ」と題する文章で、簡単な自己紹介をしている。

           「非国民のすすめ」
<私がよき意味でのインターナショナリズムを目指すきっかけになったのは、旧制第五高等学校一年生の時の、トルストイの民話との出会いでした。特にその中の『イワンの馬鹿』は、トルストイと私とを決定的に結びつけたのです。
 私の若き日の、極端に忠君愛国・富国強兵のスローガン一色に染め上げられていた世界で、『イワンの馬鹿』の絶対的非暴力の理念に目覚めさせられたことによって、忽ち私は非国民となり、売国奴となり、思想刑事のブラックリストにのせられる身となりましたが、私としては軍隊・牢獄・警察・絞首台といった暴力機構に基づいて一部の人々が多数の民衆を酷使し搾取する、国家という名のいわば虚構物よりもずっと大事なものの存在に気付かされていましたので、甘んじて非国民の称号を拝受させて頂きました。
そのことが私の兵役拒否につながり、帰農生活につながり、トルストイの翻訳につながり、三大長編『戦争と平和』『アンナ・カレーリナ』『復活』の翻訳をきっかけに、ブレジネフ政権時代のソ連へ招待されるきっかけとなり、ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイの墓の前で泣くきっかけとなり、私の非国民性はますます増幅されて行きました。
 非国民であるためには、夢々愛国心などという美名(?)に迷わされないで下さい。愛国心は常に戦争の大義名分になります。
 この私にとって、世界中で最も身近かな存在は、もともと会った事も見たこともない、いわゆる異国人のトルストイであることを思うだけでも、人間にとって国境などあり得ないことを痛感させられます。
 トルストイに出会うことでイエスや孔子や釈迦やソクラテスや老子等々の古今東西の聖賢に出会わされた私は、彼等が異口同音に愛を説き仁を説き慈悲忍従の教えを説いて、絶対的非暴力の理念を高く掲げていることを知らされました。
 どうか皆さん、みんなで誘い合って人間としての原点に帰り、喜んで非国民となり、絶対的非暴力、悪への絶対的非服従の理念に基づく全世界のNGOの会員になろうではありませんか >

北御門二郎とトルストイの出会いについて、もう少し詳しく紹介すれば、彼は旧制高校一年生のある日、友人の家を訪ね、そこにトルストイの「人は何で生きるか」という本があることに目をとめた。彼はその場で読み始めたところぐんぐん引きつけられた。同じ家にあった「イワンの馬鹿」を読んだら、彼はもっと激しいショックを受けた。

日中戦争が始まろうとしている時代のことだったから、絶対平和を説くこんな本を読んだことは一度もなかったのだ。

彼はその後、東京大学の英文科に進むが、英語よりもロシア語の習得に夢中になっていた。彼は「アンナ・カレーニナ」を翻訳で読んで以来、この作品をどうしてもロシア語で、読んでやろうと思いたち、更に進んで、トルストイの全作品を原典で読むためにロシア語をマスターする決意を固めていたのだった。

北御門二郎はトルストイに傾倒するようになってから、聖書も熱心に読むようになった。彼の母はギリシャ正教の信者で、彼も幼い頃に洗礼を受けていたけれども、それまではあまりキリスト教に関心がなかったのだ。

彼のロシア語学習熱はいよいよ高まり、日本人と結婚しているロシア人女性の家に一ヶ月逗留してロシア語の直接指導を受けるようなことをしている。そして、ついにはそのロシア人女性の紹介で満州のハルピンに渡り、現地在住のロシア人宅に住み込んでロシア語を学ぶことになるのである。

(つづく)