甘口辛口

自分を相対化すること(1)

2014/4/10(木) 午後 6:10
自分を相対化すること

録画しておいたテレビ番組のひとつを今日視聴してみた。NHKテレビが「こころの時代」の時間に放映したもので、「小さき者に導かれ」というタイトルがついている番組である。録画しておいたのは、このタイトルに興味を感じたからだった。

「こころの時代」が取り上げる番組には、高僧とか名僧といわれる仏教僧が宗教の神髄について語るといった趣旨のものが多い。だから、「小さき者に導かれ」というようなタイトルをつけた番組が放映されるのは、異数のことなのである。

番組に登場したのは、以前に早稲田大学の学生寮で舎監をしていた東海林勤牧師だった。

東海林牧師は、軍事政権下にあった韓国で捕らえられた徐兄弟を救出するために尽力しているし、ベトナム戦争が続いていた時期には、「良心的兵役忌避者」であるアメリカ兵を2週間自宅でかくまってやってもいる。彼は、こうした活動の過程で知り合った韓国・アメリカ・日本の名も無き庶民から、人間はいかに生きるべきかについて多くの教訓を学び取ったのであった(キリスト教徒にとって「小さき者」とは、幼い子供のことではなく、名も無き庶民を意味している)。

在日朝鮮人の徐兄弟は、早稲田大学を経てソウル大学で学んでいるうちに、民主化運動に参加して逮捕され、長兄は死刑の判決を受けている。彼は焼身自殺をくわだてたが失敗して、顔や身体がケロイド状になるという悲運にもあっていた。このことを知った早稲田の学生たちは徐兄弟を救出する運動を展開し、学生寮の舎監だった東海林勤もその運動に加わって日韓両国の間を往来するようになったのだった。

牧師が兄弟の母親と一緒に面会に出かけたとき、母親は刑務所の矯導課長から、徐兄弟を釈放して欲しかったら、彼らを説得して軍事政権を支持させるべきだといわれる。だが、母親は、「こどもたちは、それぞれ考えた末に行動に出たのだから、自ら判断して出処進退を決めさせる」と課長の言葉をキッパリ拒否している。母親は、二人の息子を信頼していたのである。牧師は横でこの問答を聞いていて感動する。

東海林牧師は、徐兄弟を支援しながら、こんなことを考える。

「暴力と欺瞞は両輪の関係にある。力を持った人間は、暴力を行使しながら、欺瞞に満ちた説教を上から押しつけてくるものなのだ」

この番組で、牧師と対談する役目をひきうけていたのは、今は作家になっている徐兄弟の末弟だった。彼も対談の途中で、次のような感想を漏らしている。これも記憶に残ることばだった。

「神を絶対化する人間は、自分自身を絶対化するようになりますね」

この番組を見ながら、愚老は東海林牧師の言葉からは、安倍首相の顔を思い浮かべた。彼は、日本を最大の暴力行為である戦争への方向に誘導しながら、「愛国心を持て」という欺瞞に満ちた説教を上から押しつけている。

徐兄弟の末弟の言葉からは、「神は絶対なり」と叫びつつテロに走るイスラム教徒らを思い出す。安倍晋三やイスラム過激派だけでなく、大抵の人間は自分を絶対化する誘惑に駆られている。こうした弱点を克服し、自己相対化の道に進むには、素朴で純粋な「小さき者」こそがよき導き手になるのである。