甘口辛口

居場所は輪の外に

2014/5/10(土) 午前 10:19
居場所は輪の外に

今も記憶に残っているTVの一場面がある。もう50年以上前に見た本当に何でもない場面なのだが、いまだに頭から離れないのだ。

ニュース番組を見ていたら、スタジオで何かの事件について報道していた。その後で、マイクを街頭に移動し、街頭でその事件についての一般人の意見を求める段取りになった。その場面に選ばれたのが日比谷公園で、マイクは昼食後の休憩中らしい女子社員の一団に差し出されたのだった。

注意をひかれたのは、その女性たちがいずれも高学歴のインテリらしい様子をしていたことだった。揃ってスタイルがよく、器量も悪くない。マイクに向かって、最初に発言したのは、このグループの「オピニオン・リーダー」らしき女性で、彼女がなめらかな口調で意見を述べると、アナウンサーはその場にいた女性の一人一人にもマイクを向けた。すると、全員が最初の発言者の意見に同調する見解を語ったのだ。

その見解なるものが妙に手が混んでいて、結論は同じだが、それぞれ独自の表現、独自のニュアンスで語られ、単純な鸚鵡返しの同意ではないのである。彼女らは、さりげない様子を装いながら、自分たちがリーダーの意見に盲目的に従っている訳ではないことを明らかにしようとしていた。

(ああ、これが丸の内オフィス・レディーの生態なのだな)と、その時に思った。

女子社員たちは、グループを作って行動する。すると、その中から自然にリーダーが生まれる。グループのメンバーは、このリーダーの意に逆らうまいと腐心し、何か問題が起きると、すべてリーダーの意見に従う。だが、その時、自分がリーダーに盲従していると取られると、本人のプライドが傷つくし、ボスも喜ばない。そこで、同じ賛成意見を述べるにも、別の賛成理由を案出したり、表現法に手を加えたりする。すると、ボスは自立している多様な個性によって自分が支持されているという自信を強くして、ほくそ笑むのである。

こういう光景を見ていると、学校や職場で女性が生きて行くのは大変なことなんだなと同情を禁じ得なくなる。彼女らは、輪の中に入っていないと不安なのである。輪の中を自分の居場所にしていないと落ち着かないのだ。彼女らが思い切って輪を出て単独者として生きて行く覚悟を決めさえすれば、気疲れすることなくちゃんと生きて行けるのになと思う。

ここで、朝日新聞の「ひととき」欄に載っていた「気ままな青春、これから」と題する文章を引用すれば、その冒頭部分は、こうなっている。

<若かったころ、年なんか取りたくないとずっと思っていた。けれど最近、年を取るってそんなに悪いものじやない、結構楽しいよ、と思うようになった>

なぜ年を取るのが、楽しいと思うようになったのだろうか。71才になる筆者の田村さんは、「一人を楽しめるようになった」からだと語り、それに続けて、こう記すのである。
<若いころは仲間や友人がいないと寂しく思ったものだ。今は、一人で旅をするのもいいものだと実感している。・・・・若いころは友達と話したりはしゃいだり、写真を撮り合ったりと忙しかった。今はぼけ一つとその場に静かに身を置くだけで、ぬくぬくと幸せを感じる>

田村さんは、一人でいることイコール孤独なのではないという。そして、こんな近況を語るのである。

──高尾山から帰って、まだ昼間だったけれど一人で缶ビールをぐびぐび、ぷふぁーと飲んでみた。おいしかった。若いころや子育て中にあり得なかった幸せ感だ。

この印象的な文章は、「なんやかやと、今までの生の中で今が一番、素で生きられて青春を楽しんでる気さえしている。年をるって、悪くない」という「晩年の浄福」を語る言葉で終っている。

輪を出て単独者になるということは、居場所を失うということでもないし、居場所が自分の個室だけになるということでもない。輪を出れば、世界が、宇宙が、無限の広がりが自分の居場所として感じられるようになるのだ。すると、田村さんの言い方を借用すれば、素の自分を感じて、素で生きているという実感がもてるようになる。「浄福」とは、素で生きるときに感じられる幸福感なのである。