甘口辛口

米食民族の人生行路(1)

2014/9/8(月) 午後 5:33
米食民族の人生行路

当ブログへ以前に<画学生の「静かな旅」>という一文を書き込んだことがある(http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/tabi.html)「静かな旅」という本は、フランスの女性画家が東洋画を学ぶために中国に留学したときの体験記なのだが、この本の中で彼女は中国の絵画を学ぶためには、中国思想を習得して悟りの境地に至らなければならないといっている。

<中国の絵画を学ぶためには、独特の筆遣いを習得することから初めて、中国絵画の背後に流れる仏教や道教の思想を体得することへと進まなければならないのである。そしてそこから、さらに自己抑制へと進んだうえで、最後に習得したことの一切から離れて自由にならなければならない。そして最後には愚直な人間になり、「うつけもの」として生涯を送らねばならない・・・(「静かな旅」ファビエンヌ・ヴェルディエ)>

こうした考え方は、欧米の人間にとっては異様に聞こえるかも知れない。

世に出たときには、洋の東西を問わず若者たちは成功を求め、あるいは自己実現を求めて奮闘する。だが、壁にぶつかったときに、欧米の若者たちは、とにかく現世において成功することを第一義として危機克服のためのハウツー物を読みあさったりするが、東洋の若者はむしろ無欲な心境になることを第一義にして、成功することを二次的な問題と考えようとする。問題の根本的な解決を求めて、勝利者になることよりも、敗者となることを選び、賢者になるよりも凡愚な人間になることを選ぶのだ。

無論、欧米の若者にも世俗と縁を切って聖職者になる者もあるし、東洋の若者にも成功を求め、東奔西走する者も多い。いや、こういう若者が大部分かもしれない。が、おおざっぱな傾向として、西と東では人間の生き方についてこうした差異があるから、フランスからやってきた女流画家は中国の絵画を学ぶには「うつけもの」になる必要があると断定したのである。

問題は、西と東ではどうしてこうした違いが生まれてきたかという点なのだ。

いろいろ考えてみると、原因は西欧の主食は麦から作るパンであるのに対し、東洋やインドでは米を主食にしているからではないかという気がするのである。では、パン食と米食の何処が違うのか、といえば麦と米では単位面積あたりの人口扶養量に差があるところがが違うのだ。インターネットで、この点について調べてみたら、次のような記述が見つかった。

<米は一粒から200粒ほどできるけれど麦は20粒ほどしかできない。また稲作は二期作も可能だが、麦は連作できず、三圃制度がとられている。 これらのことをあわせ考えると、生産性の違いは数倍あることになる>

要するに、同じ面積の農地が養い得る人口はパン食の西欧に比べて、米食の東洋はその数倍あるということなのだ。これこそ東洋諸国が過密人口を抱え込んでいる理由であり、仏教・儒教・道教が生まれた原因なのである。

マッチ箱のような家が軒を連ねてひしめき合っている東洋の社会では、人々は我を張らず、礼節を守り、禁欲的に生きなければならない。こうした過密社会で生きる若者は、当初「その他大勢」の一人として生きていることに抵抗を感じて「脱凡俗社会」を目指して世俗に対して戦いを挑むが、「戦いに敗れて」ぼろぼろになり、根本に帰って社会革命よりも自己革命にとりかかる。外部世界によって動揺されない自分を育てたうえで、何食わぬ顔をして世の凡愚人と同様な生き方を始める。

日本人が「凡愚社会」からの脱出という生き方を変更して、振り出しに戻って凡愚人を目指す「還凡愚人」型になるのは、結婚して第一子が生まれる頃からであり、年齢からすれば30前後の頃合いになる。

勝者を目指して上昇中のエリート候補生らは、コースから脱落して「うつけもの」になった仲間を敗北者として見るようになる。だが、彼らは自分たちこそ、その脱落者から憐れみの目で見られていることに気がつかない。競争から下りてしまった「還凡愚人」型の人間の多くは、心に自らの俗情を振り切った者が感じる自己超脱の喜びを抱いている。そして彼には、今や自分は世界を大観する覚者になったという自信もあるので、世間的な成功者を見ても何の感慨もないのである。

「還凡愚人」が成功者を眺めて、(あれは、昔からああいう男だったな)と冷淡に眺めていることを知ったら、成功者は激怒するかもしれない。だが、この「還凡愚人」が冷眼を持って成功した仲間を見ているうちは、まだ彼の人生行路は「道半ば」の段階にとどまっている。人が本当の慈眼をもって人の世を眺めるようになるには、老年をまたなければならないのだ。 
(つづく)