甘口辛口

三四郎と小泉純一(3)

2014/10/19(日) 午後 10:56
三四郎と小泉純一(3)
初めて「それから」を読んで以来、それが「三四郎」とどう繋がっているのか見当がつかなかった。「それから」は題名通り、三四郎のその後の生き方を描いた作品だと漱石自身が語っているいるけれども、この二つの作品に何らかの関連があるとは思えなかったのだ。三四郎は九州の田舎から出てきた純粋無垢な若者で、「それから」の代助はブルジョアの家に生まれた「高等遊民」なのである。

代助は大学を出てから父親に金を出して貰って、どこにも就職しないで無為の日々を送っている。それなのに、庭付きの一戸を構え、婆やを雇い書生を一人養っている。そして、生きるためにあくせく働く世人を高みから見下ろして、何となく軽侮の目を向けているのである。彼が気にしていることといえば、自分の健康と見栄えについてだけだった。彼は朝目覚めると、まず自らの脈拍をはかり、それから洗面所に行って鏡に映る自分の顔をほれぼれと眺めながら髪をとかす。三四郎が純情な「負け犬」だとしたら、代助は「勝ち犬」として生まれた幸運を楽しんでいる遊民であり、両者の間に共通点は一つもないのである。

代助は大学在学中、学友が腸チフスで急死したので一人遺されたその妹の相談相手になっていた。裕福な彼には妹を援助する経済力があったし、密かに彼女を愛してもいたから喜んで亡友の身代わりになって彼女の面倒を見ていたのだ。だが、平岡という友人が彼女との結婚を望んでいることを知ると、彼は亡友の妹三千代を平岡の妻にするために仲介の労をとるのだ。代助を愛し、代助を頼りにしていた三千代は、代助に捨てられたという絶望感を胸に抱きながら平岡の妻になるのである。

この点でも三四郎と代助の立場は異なっている。三四郎は里見美禰子に捨てられたが、代助は三千代を捨てているのである。

代助が30歳になり、平岡夫妻と別れてから三年たったとき、彼の前に平岡と三千代が再び現れる。失職した平岡は、就職口を求めて代助を訪ねてきたのだ。代助は平岡を父や兄に紹介して就職させてから、三千代を慰めるために留守を守る彼女のところを頻繁に訪ねるようになる。平岡がこれまで三千代を苦しめていたことを知ったからだった。そうしているうちに代助は、遂に三千代を愛していることを打ち明ける。三千代の方もこれに応える。

代助と三千代の関係を知った平岡は、このことを手紙で代助の父親に告げる。代助は、父親から今後金銭の援助をしないと通告されただけでなく、親子の関係も断つと宣言される。この奇妙な小説は、代助が、「僕はちょっと職業を探してくる」と書生に告げて家を飛び出すところで終わっている。

とにかく、「それから」は漱石の長編の中では、最も奇妙な作品なので、批評家の中にはこれを一種の同性愛小説だと解釈すものもいる。代助が愛している三千代に因果を含めて平岡の妻にしたのは、代助と平岡が同性愛の関係にあったからだというのである。代助は三千代を愛していたが、それ以上に平岡を愛していたので、平岡の要求を拒否できなかったというわけだ。

この説に同調できなかった愚老は、「それから」が三四郎と里見美禰子の二者関係を追尋した作品であるとすれば、三四郎と里見美禰子の両名を性転換させれば筋が通るのではないかと考えたのである。作品「三四郎」では美禰子が三四郎を捨てたことになっている。この美禰子が「それから」の代助になり、美禰子に捨てられた三四郎が「それから」の三千代になっていると仮定すれば、作品「三四郎」で結ばれなかった代助と三千代は「それから」において結ばれることになる。

こういう想定に無理があるとしても、単に<美禰子→代助>、<三四郎→三千代>という変換をしただけで「三四郎」から「それから」への人物像の移行として通用するのではないか。単純な三四郎がいくら教養を積み、思索を重ねても、到底、複雑な代助にはなり得ないけれども、美禰子なら大した苦労もなく代助のレベルに到達できそうだからだ。

愚老は長い間、代助=美禰子という図式で「それから」を解釈してきたが、「それから」が日根野れんの死後に書かれたことを知ってから考えを改めるようになった。土居健郎の『漱石文学における「甘え」の研究』を読んでいたら、三千代を妻にした男が「平岡」という姓を持っていることを指摘していたので、閃くものがあったのである。
「それから」は漱石と日根野れんを主役にした作品なのである。漱石は、失われた夢を呼び起こすために、自らを隠された主人公として、この奇妙な小説を書いたのであった。

(つづく)