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日本への違和感(3)

2014/11/2(日) 午前 10:30
 日本への違和感(3)
 日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の兵器は欠陥だらけだったといえば、保守陣営から反日だとか、日本を貶める妄言だとか、聞くに堪えない非難が浴びせられる。だが、軍の上層部は、兵士がいくら苦労していても、ほとんど意に介しないで欠陥兵器を押しつけ続けていたのである。
 第一、欧米人に比べ体が小さく体力も不足している日本兵に、あんなに重くて扱いにくい三八式小銃を持たせて平然としているのは、尋常な神経ではなかったのだ。日本の軍用トラックは数が少なかった上に、アメリカ製トラックのイミテーションで故障が多かった。だから、日本兵は前線へは徒歩でたどり着かねばならず、そのため兵隊は普段から射撃・銃剣術と並んで「行軍」の訓練が必須になっていた。とすれば、いよいよ小銃の軽量化を計らなければならぬはずだったのである。
 これに加えて陸軍は、前線への食料補給体制を整えないまま兵士を戦場に送り出したから、食料は現地で調達しなければならなかった。そのため「陸軍の戦死者165万人中の70パーセントまでが餓死」という惨状を呈していたのだ。
 太平洋戦争中の日本軍ほど、哀れなものはなかった。敵を前にしながら、飢えに苦しみ、戦友はバタバタ餓死して行く。武器は欠陥品で、敵から集中射撃を受けても対等に応戦できない。靖国神社に祀られている戦死者の過半は、自らの運命を呪いながら「無念の死」を遂げていったに違いないのだ。
 愚老が自国に対して違和感を抱くようになったのは旧制中学三年生の頃からだった。それは学校や新聞・雑誌で耳にタコができるほど聞かされた「世界に誇る国体」への疑問が発端になっている。日本を統治する万世一系の天皇は「現人神」、つまり生きている神だとされていたものの、まともな人間なら到底信じられないこんな話を、すべての日本人が嘘だと知りながら信じているような振りをしていたのである。実際、大人たちは陰で「大正天皇はバカだった」と噂していながら、公式の席上で誰かが、演説や挨拶で、「畏くも陛下は・・・」と切り出すと、全員がぱっと姿勢を正していたのだった。
 ヨーロッパ諸国でも、当初、国王は王権神授説をバックに国民の前で神の代理人として君臨していた。だが、民衆が人間尊重の意識に目覚めはじめると、国王は先手を打って自分は国家・国民の下僕であると宣言し、積極的に民衆の啓蒙に乗り出した。その啓蒙活動とは、国民をして理性に基づいて合理的に生きるように導くことだった。
 しかし日本の明治維新では、欧米に倣って政治体制・社会制度を近代化することを目指しながら、全国民は天皇に奉仕する下僕として位置付けられ、生命を鴻毛の軽さにして「おおきみ」のために死ぬことを求められていた。その一方で、国民は家内安全・商売繁盛を願う現世利益主義に徹してもいたから、その意識は建前と本音に分裂し、日々、二重原理で行動していたのであった。
 天皇は太平洋戦争について形式的な責任を負いながら、敗戦後も退位しなかった。その代償として天皇や皇族は、自発的に天皇制の自己変革に乗り出し、現在も彼らは皇室を民主社会に相応しい形に改めつつある。愚老はweb上で天皇制の全面的な否定論者であるかのごとく攻撃されているが、現憲法の規定する枠内にとどまるかぎり天皇制を批判はするけれども、否定しないという立場を守っている。
 (つづく)