甘口辛口

夫婦愛のかたち

2015/1/16(金) 午後 5:38
 
 先日の朝日新聞に掲載されていた「ひととき」は、妙に印象的だった。「胸元に夫との42年間」と題された投稿で、書き出しはこうなっている。
 「先日、思い切って<遺骨ペンダント>というものを買いました」
 筆者は千葉県に住む野島悠美という67歳の女性で、一昨年に御主人と死別されている。最愛の夫を失ってから野島さんはひどい喪失感に襲われ、ご飯を炊いたり包丁を握ったりという日常の仕事をする気力さえ失っていた。
 49日を過ぎても納骨する気になれず、一周忌すぎてから、筆者は偶然に新聞で「遺骨ペンダント」の広告をみつけたのである。野島さんは、次のように書いている。
 
 <半信半凝でした。私は写真を入れるロケットなどもあまり好きではありま
 せん。けれど迷った末に購入し、「悪いけど骨を少しちようだいね」と、遺
 骨をペンダントに収めました。
 それを首から下げると、彼が「大丈夫。ここにいるよ」と言ってくれた気が
 して安らかな気持ちになりました。
 本当に不思議です。
 毎朝「おはよう」と言って身につけると、一緒に暮らしているように思えま
 す。迎えた新年、彼が望んでいたように、何とか前を向いて進んで行けそう
 です>
 愚老にとって印象的だったのは、遺骨ペンダントの効能についてではなかった。筆者が結婚以来42年間、ずっと恋人同士のように愛し合って暮らし、どんなことも二人で話し合い、相談し合って決めていたという事実についてなのだ。
 離婚した夫婦を見ると、「結婚4年後に離婚」というケースが多いという。一般的には、夫婦が恋人同士のような気分で暮らすのは、3〜4年間に過ぎないらしいのに、野島夫妻は一方が亡くなるまで42年間も恋人同士の関係をたもっていたのである。それが単なる形容詞でなかったことは、二人が何事についても相談し合って決め、3人の子供を無事に育て上げた事実によって証明されている。
 では、二人はどうしてこのような稀に見る美しい夫婦関係を構築できたのだろうか。愚老は、夫妻が大学時代の同級生だったことに関係があるのではないかと考える(筆者は、「夫とは大学時代の同級生」と記している)世には、小学校時代の同級生や高校時代の同級生が結婚するという事例も多い。だが、そのすべてが野島夫妻のように幸福な生活を送るとは限らない。
 これも一般論としていうのだが、交友関係でも、小学校時代や中学・高校時代の友人関係より大学レベルでのそれの方が永続する傾向がある。小学校から中学高校に進めば、それぞれの思考や将来設計が枝分かれ式に分離して話題に食い違いが生じる。高校から大学に進めば、相互の食い違いがますます大きくなる。要するに、各人は最終学歴段階で同級生になった仲間とつきあうときに、一番気安く感じるようになりがちなのだ(もちろん、例外も多いが)。
 この事情は、同級生が結婚する場合にもあてはまり、大学で同級生だった男女は生活感情において、そして人生哲学において、同一の種族だから、心の底に同志的意識や身内意識があり、結婚後、何でも相談することが可能になるのである。
 「隣りの芝生は青い」という言葉があるように、普通は同じクラスの異性より別クラスの異性、あるいは他大学の異性に惹かれるものだ。しかし、人を見る目も備わってきた大学生の段階で、同級生を結婚相手に選べば、通例とは異なる同志的な夫婦関係が生じるらしいのだ。そして、その愛のかたちも通例とは異なってくるらしいのである。