甘口辛口

開国日本の評判(2)

2015/2/12(木) 午後 3:02
 開国日本の評判(2)
 幕末の日本人が、貧しいながらも心豊かに暮らし、現世の生活に満足しきっていると外人ライターはいう。その文章が、なぜこれほどまでに愚老を驚かせたのだろうか。愚老が考えていた幕藩時代の庶民像と、あまりにも距離があったからだった違うからだった。
 外国からやってきた観察者たちは、こぞって日本を「仙境」として描き、そこに生きる小柄な体の日本人たちを悟りを得た達人として描いている。だが、学生時代の愚老は、歴史書を読んで江戸時代をそれとは逆のものとして考えていたのだ。
 江戸時代には、各地に百姓一揆が頻発し、佐倉惣五郎のような人物が民衆から英雄視されていた。都市では貧民による打ち壊しが続発したし、外人ライターが極楽とか天国と呼んだ当時の日本社会はこの世の地獄だったのだ。その証拠に江戸時代の人口は3000万人で頭打ちになり、それ以上になることはなかったのである。
 愚老が「逝きし世の面影」を90ページまで読んで先へ進めなくなったのは、既述のように自分の描いていた江戸時代庶民のイメージと外人ライターの記述する庶民像があまりにも違いすぎるからだったが、では著者は外人がこぞって幕末の日本を賞揚する理由をどう考えているのだろうか。
 欧米社会で工業化が進み、何でも合理主義で割り切る風潮に疲れてきたからだと解釈している。工業化以前の前近代への郷愁が、まだ手仕事が中心になっている後進国の日本を賛美させることになったというのだ。
 当時の日本の知識人たちは、欧米の人間が日本を仙境だと讃えることに怒りを感じていた。日本は文明開化を進め、欧米流の工業化社会を実現しようとしているのに、彼らは我が国を、古い日本・遅れた日本に逆戻りさせようとしていると思ったのだ。
 著者がこう見るのは正解だろうけれども、愚老はこれだけでは満足できなかった。日本の貧しい民衆が、明るい表情で生活を楽しんでいたのは、その貧しさが食べるに事欠くような絶対的貧困ではなかったからではないか。その理由の第一は当時の日本人が何の罪悪感も無しに生まれてきた子供を闇から闇に葬っていたことに関係がある。あの頃の親は、生まれたばかりの嬰児の顔に濡れ紙を貼り付けて窒息死させていたと言われるが、このために江戸時代の人口は3000万人でストップし、それ以上増えもしなければ減りもしなかったのである。
 これを残酷と見る現代人も、平気で生まれてくるはずの胎児を掻爬して水に流し、結果として総人口の増加を抑えている。家が貧しくても、生まれてくる子供数をコントロール出来れば、何とか暮らして行くことができる。そして現世利益の宗教を信じていれば、精神的に安定することも可能になるのだ。
 日本人の神仏に対する信仰ほど奇怪なものはない。神社に行ってお賽銭をあげて来れば神は願いごとをかなえてくれ、お寺に行ってお布施を払えば仏は先祖や自分を守ってくれると信じている。こういう金で買収できるお手軽な神や仏に守られているから、日本人は日々平安、温泉場に行ったように気楽な顔で毎日を過ごせるのである。
 しかし、19世紀の日本人を幸福にしていた前近代的行動特性も日露戦争、第一次世界大戦以後に消滅し、日本人の意識は工業社会を蝕んでいる功利的精神によって毒されるようになった。現代の日本人にとっても幕末の日本の映像は「逝きし世の面影」になってしまったのだ。
 愚老が「逝きし世の面影」の90ページ以降を読むためには、江戸時代に関する知識を増やし、19世紀の日本が本当に「古くよき時代」であったかどうか、自らの手で確認する以外にないと思われる。