甘口辛口

海も暮れきる(1)

2015/3/28(土) 午後 4:39
 海も暮れきる
 テレビで渥美清の評伝を取り上げた番組を見ていたら、彼の経歴に自分のそれと共通している部分があることに気づいた。
 
 渥美清は、結核を病み、手術をしている
 彼は俳句を愛し、自分でも数百の俳句を作っていた
 彼は尾ア放哉を愛していた
 渥美清が尾ア放哉を愛し、放哉をモデルにした映画を作ろうとまで考えたのは、吉村昭の著した「海も暮れきる」という作品を読んで感動したからだった。ところが、この著者である吉村昭もまた、結核を病んで手術をしている。そして、当の尾ア放哉も結核を病み、そのために小豆島で死去しているのだ。
 愚老が「海も暮れきる」という本にたどり着いたのは、結核という病気が仲立ちになり、赤い糸ともなって、愚老を導いてくれたからであった。この赤い糸を逆にたどれば、こうなる、吉村昭が「海も暮れきる」という作品を書いたのは、尾ア放哉が結核患者で惨めな死を遂げていたからであった。そして、渥美清がこの本に惹かれたのも彼が結核患者で、同病の放哉に興味を持っていたからであり、愚老がこの本を注文する気になったのも、結核患者だった渥美清に同志的感情を抱いていたからだった。
 インターネットで注文したこの本が手元に届き、そのページを繰るまで、尾ア放哉の生涯はサマセット・モームが描いた「月と六ペンス」の主人公と同じようなものだと考えていた。モームは、「月と六ペンス」を書くに当たってゴーギャンの生涯を頭に置いている。株式仲買人として裕福な生活を送っていた主人公が、一転して仕事を捨て家族を捨て、貧乏画家になって、最後は南海の孤島で孤独な死を遂げるという生涯。
 尾ア放哉も一高・東大というエリートコースを歩み、保険会社の重役にまで昇進しながら、ある日、一切を投げ捨てて放浪の生活を開始し、最後は小豆島の小さな庵にこもって、「咳をしてもひとり」という孤独な生活を送ることになる。
 これまでに愚老が読んで来た放哉伝によれば、小豆島に落ち着いてからの放哉の日常は満ち足りたものらしかった。庵を出れば、彼が好きだった海が目の前に拡がっていたし、温暖な島の気候に守られて肺患も悪化せず、彼は興の赴くままに美しい作品を生み続け、眠るように静かに死んでいったようなのだ。小豆島に移ってからの彼の後半生は、悟りを得た名僧のように穏やかなものだった・・・・
 「海も暮れきる」を読めば「妙好人放哉」のイメージは、一挙に消え去って、我執にまみれたエゴイストの陰惨な人生というイメージがが浮かんでくる。彼には酒癖の悪さという欠点があったのである。
 <「層雲」(放哉の所属していた同人句誌)の同人たちは、放哉が酒を所望すると、恐れに似た表情をみせる。ビール一、二本ですめばよいが、それが誘い水になって酒を次々に強要し、見境いもなく人にからみ、罵倒し、怒声をあげる。時には、他家へ深夜押しかけて、家人が主人は不在だと言うとそれを疑い、家中を探しまわり、押入れの中まで調べたりすることもある(「海も暮れきる」)>
 大学を卒業してから、彼は生命保険会社など、いくつかの会社を転々としたがそのいずれからも退職を迫れている。理由は、気ままな勤務態度と酒乱のためで、詩人としての生き方を求めて自ら退職したのではなく、行く先々で馘首されていたのである。
 妻と別れたのも、放哉が妻を捨てたのではなく、放哉が妻に捨てられたのだった。
 「海も暮れきる」には、就職先を求めて満州に渡った放哉が、湿性肋膜炎を発症して帰国の途についたときの挿話が載っている。日本に戻る船中で、彼は妻に一緒に死んでくれと頼んでいる。病を得た上に勤めを辞めさせられた彼に、生きる望みがなくなって心中を持ちかけたのだ。同書からその部分を引用する。
 < 「死んでくれないか」
 かれは、海に眼を向けながら傍に立つ妻に言った。美しく若い馨を残して死ぬ気にはなれなかった。自分だけが死ねば、馨は再婚するかも知れない。妻が他の男に抱かれる姿を想像することは堪えられなかった>
 しかし、妻の馨は、黙っている。放哉は、海面から視線を妻の横顔に移して、妻を凝視した。すると体が、冷えた。これまでに見たことのない表情が、そこにあったからだった。他人の顔だったのである。傍に立つ放哉を見知らぬ男としてしか感じていないような冷えびえとした顔であった。
 
 <かれの訴えには、妻に対する甘えがあった。妻がかれの言葉に驚き、いさめ、慰めてくれることを望んでいた。が、妻は、なんの反応もみせず、口をつぐみつづけている>
 帰国して、長崎にある従兄弟の家に立ち寄った際、放哉が「一燈園に入って、一人で過ごしたい」と言ったときも、妻は引き留める気配も見せず、そのまま去って行った。(つづく)