甘口辛口

神が消えた(2)

2006/8/25(金) 午後 0:12
目の前から神が消えた理由に、直ぐに思い当たった。年末の休日を利用して読んだブルトマンの著書のためだった。この本がこれほどの影響力を持っていようとは思っていなかったから、山脈の輪郭線上がからっぽになっていることに驚いたのだ。

ブルトマンは万人を光被するような神など存在しないと言っている。大半の人間にとって、主観的にも客観的にも神は存在しない。世界に対して決定的な態度転換を行い、自己を全面的に放棄し、イエスと等しい生き方をする人間の内面にのみ神は留まるが、その姿勢を変えるや否や、神は消えてしまう。思い出してみれば、私はブルトマンを読みながら、自分が唯物論者であって、内面に神の宿るような人間ではないと感じていたのだった。

神を失うことは「逆回心」と呼ばれている。ボーボアールは神を失ったときに、世界が空き家になったように感じ、気が狂いそうだったと告白している。しかし、私は逆回心によって蘇生したように思ったのだ。これまで神という無色透明な「透体」によってコーティングされていた世界が、覆いがとれたように明晰に見えてきたのである。私はその後の数日間、日に日にクリアになって行く世界を前にして、喜びに身をふるわせていた。

逆回心を体験し、自分が唯物論者であることを確認するようになると、政治意識も自然に変化し始めた。私は少数派であることに徹したアナーキストの態度に小気味のよいものを感じるようになった。彼らは自分の木の枝に、今すぐ多数の鳥を集めようとしない。無理して集めた鳥は間もなく散って行ってしまうことを知っているからだ。彼らは多数に依存しない。

一羽でも二羽でも自発的に鳥が飛んでくればよし、そうでなくても一向に困らないのだ。川の水はあちこちに流れ動き、どこかの沼に停滞することもある。しかし、最後には海に流れこむのである。鳥たちがほかの木を見棄てて、いずれこの木にやって来るものなら、大きく枝を張って、たゞその存在を示しているだけでいいのだ。他者に依存せず、反権力・無支配の原則を黙って実践して行けば、それが最良の宣伝法になる。真理は力によらないで着々と自己を実現して行くのだ。
                                        「不思議な体験」のメカニズムを明らかにしようと思い立ったのも、逆回心以後だった。あれは確かに神秘的な体験には違いないけれども、時代や国籍の違いを越えて人間の内面に廣く現れる現象であるとしたら、その背景を論理的に解明する必要がある。

私が先ず考えたことは、「不思議な体験」が精神的に行き詰まった人間や難問にぶつかって動きがとれなくなった人間に現れるという事実だった。ブレークは、「欲望するだけで行動しない人間は、心に疾病を生じる」と言っている。この「心に疾病を生じた人間」に例の体験が起きるのだ。つまり、はけ口のないままにエネルギーをうちに溜め込んだ人間が体験者になるのである。

体験者達は、うちに溜め込まれた過剰エネルギーを未知な力が押し流してくれたと感じ、その未知な力を神・霊・大我だと考える。古い自己を一掃するほどの力を持っているのだから、この背後にある未知なる力は想像を絶するほど巨大だと思いこむのである。

ここで自分というものをエネルギー容器だと考え、古い自己を「表自己」、その背後の自己を「裏自己」と命名して、それぞれのエネルギー保有量を比較してみよう。すると、裏自己の保有エネルギーでは、とても表自己を押し流すほどの容量はないと考えざるを得なくなる。古い自己が消えたあとにあらわれる裏自己の世界は、光に包まれ、愛と喜びに溢れた世界であり、力のイメージを全く含んでいないからだ。

見方を変えて、こう考えれば、辻褄が合ってくるのではないだろうか。
本来、外に向かって放たれるべきエネルギーが出口を封じられ、方向を転じて自己の内界、すなわち裏自己の世界を照らし出した。すると、そこに光に包まれ、愛と喜びに溢れた世界があらわれた、というふうに。

裏自己は眠っているのではなかった。自律神経が常住働きつづけるように、裏自己も間断なく働き続け、世界の全体像を営々と構築しつづけている。夜にどうしても解けなかった数学の問題が、朝になったらすらすら解けたりするのは、睡眠中に裏自己がポイントを整理してくれているからではないか。

何もすることがなかった夏休みは長く感じられ、好きなことに熱中した夏休みはあっという間に過ぎ去ったように思う。だが、後になるとその印象は修正されて、前者は短く後者は長かったと記憶される。この修正作用を行うのが裏自己であり、裏自己は表自己の主観的な印象を修正し、個人の抱く世界像を真正なものに作り変えているのである。

表自己がエネルギーを外に向かって投出しないで、うちに向けて裏自己の世界を照明するときに、「不思議な体験」が生まれると仮定して、話を進めよう。
(つづく)