甘口辛口

村井知事の逆コース

2006/10/13(金) 午後 4:13
田中康夫に代わって長野県知事になった村井知事は、その逆コース的反動のきわまるところ、ついに五輪帳簿問題調査委員会を解散させるという暴挙に出るに至った。

成る程、田中前知事は独善的手法のために、次第に評判を落として行ったが、それ以前の知事達に比べたら、彼は断然、優秀な知事だったのである。田中知事が登場する以前の長野県政は、どうにも救いようがなかった。知事という知事は、すべて県庁出身者ばかりで、長期政権を続けた知事が退任すると、その下にいた副知事が知事になり、またぞろ長期政権を続ける。その知事が退任すると、その下にいた副知事が知事になって再び長期政権を――というようなことを延々と繰り返していたのだ。

県会議員も似たようなものだった。初当選以来、10年、20年と連続当選を続ける古手議員が少なからずいて、彼らが県会を思うままに牛耳っていた。ということになれば、県庁出身知事が、古手のボス議員と組んで相互援助条約を結ぼうとするのは当然のことだった。かくて、長野県の県政は、知事とボス議員による密室での談合によって大本が決まり、県会の審議は形だけの儀式に終わっていたのだった。

選挙が近づくと、毎度、茶番のような光景が展開した。
知事はボス議員の地元で、こんなことをいう。

「私が一番怖いのは、**議員であります。**議員にこうせいといわれると、震え上がってしまいます」

一方、ボス議員の方は、県知事選挙になると自分の後援会を総動員して現知事の支援に回る。そして、「知事が替われば、あれもダメになり、これもダメになる」と地元の懸案事項を列挙してみせるのである。

こういう知事と県会の馴れ合い体制のもとで長野五輪の誘致運動が展開し、高速道路網整備事業が推進されたのだ。その結果、総務省が発表した実質公債費比率は20.2パーセントにもなり、全国都道府県中で長野県が最悪になってしまった。

知事・県会馴れ合い体制の生んだおぞましい事件の一つが、五輪招致委員会による帳簿焼却問題だった。この真相は今も伏せられたままで、関係者全員が石のような沈黙を守っている。この問題が闇から闇へ葬られるとしたら、21世紀の現代に封建時代の暗黒政治がそのまま復活することになる。

田中知事は就任すると、直ぐにタブーへの挑戦に乗り出し、五輪帳簿問題調査委員会を設置し、委員会は9000万円の使途不明金があったという報告書を提出した。そして、なおも調査を続行しようとしているところに、村井知事による調査委員会解散の方針が打ち出されたのだ。

調査打ち切りに対する知事の弁明ほど奇妙なものは、近ごろではちょっと見あたらない。

「過去の県政を検証することが、本当に現在や将来の役に立つのか」

「特定の個人やグループの罪科を敢えて暴こうとする作業は、建設的ではない」

政治にたずさわる人間にとって、過去を検証すること以上に重要なことはないはずである。それを知事は、そんなことは一切無用だといっているのだ。また、個人やグループの過去の罪科を明らかにするのは建設的でないという。それなら、悪人はすべて野放しにしておけというのだろうか。知事がこんな子供でも呆れるほどの弁明をして関係者を守ろうとしているのは、帳簿を焼却したグループを守ることで、なおも力を秘めている旧勢力の支援を期待しているのである。

知事が長野県のホームページから田中知事時代の事業や業績を42項目にわたって削除するという暴挙をあえてしたのも、田中知事と対立した県会ボスの機嫌を取るためである。前知事時代の県政について閲覧できなくなったとしたら、長野県は戦前に逆戻りすることになる。さすがに気がさしたと見えて、知事は削除した部分については90円の実費を出せば、光ディスクにコピーして渡すといっている。

村井知事が、前知事の「脱ダム宣言」を撤回したり、一階に設置したガラス張りの知事室を廃止するのは自由だ。だが、帳簿調査委員会を解散したり、ホームページの内容を削除したりするのは、断じて許すことができない。

田中前知事が初回の知事選、二回目の知事選で圧倒的な支持を受けたのは、県庁出身知事時代の馴れ合い県政を県民が嫌悪していたからだ。ところが、村井知事はあの時代の旧勢力に媚びを売って、時代を逆行させようとしている。田中前知事は後期になるとさまざまな批判に曝され、県民の一人として私なども倦厭の情を感じてはいたが、彼は900億円以上の借金を返済するという功績を残している。

村井知事に求められることは、県庁出身知事時代の失政を検証して、「現在や将来の県政に役立て」ることであり、そこから学んだ教訓に基づいて前知事同様、一意専心、借金返済に励むことである。