一時期、マスコミは秋田小学生殺人事件の容疑者畠山鈴香に関する話で持ちきりだったが、近頃は彼女の話をとんと聞かないようになった。その畠山鈴香を取り上げた特集記事を、「週刊朝日」が久しぶりに掲載しているので読んでみた。
実は、私は以前にマスコミの扱い方に疑問を感じて、畠山鈴香を弁護する記事を自分のHP上に二度にわたって書いたことがある。
https://amidado.jpn.org/kaze/exp/suzuka.html
私は、無論、その犯罪行為を弁護したのではない。彼女が娘の彩香を虐待していた「鬼母」だったとか、娘をネグレクトしてほったらかしていたとか、マスコミが触れ回っている「通説」に異議を唱えただけなのだ。
当時、畠山鈴香と娘の関係をめぐって、おびただしい情報が流されていたが、その中には鈴香が彼女なりに娘に愛情を注いでいた話も混じっていたのである。例を挙げれば、彼女は生活保護に頼る貧しい家計の中から、娘のために子供向けの科学雑誌を定期購読してやっている。小学生の娘が科学に興味を持っていたからだ。そして、本屋で娘が、「これ買って」といって彼女のところに本を持ってくると、その希望を叶えてやっていたという。
畠山鈴香は自分が本好きだったから、娘の読書のために金を惜しまなかった。これらのエピソードだけでも、畠山鈴香母子の関係が推測できるのに、マスコミは畠山鈴香が娘を虐待していたとはやし立ててやまない。
「週刊朝日」の特集記事には、「娘についてすべて語る」というタイトルが付いている。その中身はと言えば、鈴香の母親が娘について語った打ち明け話なのである。このなかには、畠山鈴香と彩香の母子関係についての話もいくつか盛り込まれていて、世間に流布している虐待説への反証になっている。
彩香は母親の畠山鈴香に向かって、「母さん、ムギュして」と小さい頃からよくせがんでいた。ムギュっと抱きしめてくれと甘えていたのである。それから、畠山鈴香は娘を実家に預ける際、母親に学校の給食表を手渡し、彩香の食事が昼と夜で重複しないように頼んでもいた。
こういうことを身近で見聞きしていたから、畠山鈴香の母親は今も鈴香が彩香を殺したことを信じられないでいる。彼女はこんなことを言っている。
「鈴香が自供したと言われていますが、私は納得できない。自供『させられた』と思っているんです」
この特集記事で最も注意を引かれたのは、畠山鈴香の父親が娘に暴力をふるっていたという事実だった。畠山鈴香の母親の談話。
「私は20歳で結婚し、21歳で鈴香を産みました。鈴香がまだ小学生のころから、夫は酒を飲んでよく暴力をふるいました。子供に対しても、おしりペンペンなんて生やさしいものじゃない。グーで殴る、蹴るだったし、髪の毛も引っ張った。鈴香も鼻血を出したことがありました。
夫は『親に飯食わせてもらつている以上は、親の言うこと聞け』と言っていましたが、私から見たら、躾なんていうものじゃありません。何か気に食わないことがあれば殴った。気分次第なんです。鈴香が高校に入ってからも、『暗くなる前に帰ってこなかった』とバーンと殴られていました。
私も夫に追いかけられ、居間で逃げ回って足首を捻挫したことがあります。父親がそんなふうだったから、鈴香は私になついたし、母親っ子でした。なんでも『母さん、母さん』だった」
父親というのは、ある意味で世間を代表する存在だから、父親から暴力的に扱われた子供は世間や大人に対して正常な態度を取り憎くなる。過度に反抗的になるか卑屈になるか、一番多いのはこの両者を混合した態度をとるようになるのだ。世間に対する畠山鈴香の態度にも、この種の混乱が見られる。
父親=現世から拒まれていると感じた彼女は、小説やコミックの世界に救いを求めた。私はHPに畠山鈴香を「知的な女」だと書いて反発を受けたけれども、犯罪を犯す世の常の女たちに比べて、読書によって培われた知性のにおいを彼女に感じるのだ。
世俗を敵視する畠山鈴香は、愛情の対象を自分よりも目下の人間に向けるようになった。彼女が結婚した男は、彼女がナンパして見つけて来た年下の男性だったし、犯行当時につきあっていて、しばしば彼女の家を訪れていたという男も彼女より年下だった。そして彼女が家族のうちで最も愛していたのは、5才年少の弟だったといわれる。
畠山鈴香が子供の頃から殴る蹴るの虐待を受けてきたことを聞いて、私は何となく話の全体が首尾一貫してきたように感じたのである。