戦後、アメリカのニュース映画を見ていて驚いたことの一つに、アイゼンハワー連合国軍司令官が一般の兵隊と冗談を言い合っている場面があった。一方は全軍を束ねる元帥であり、他方は下級の兵士であるにもかかわらず、まるで仲間同士のようにうち解けて談笑しているのである。
この場面に何故驚いたかといえば、日本の軍隊では司令官と兵隊の間に天地の開きがあったからだ。私が最下級の兵隊として地方の部隊にいた頃、師団長が自動車に乗って部隊の門に入ってくると、ラッパが鳴り響き兵隊は全員が門の方向に向き直って挙手の敬礼をしなければならなかった。仕事をしていた者も、休憩していた者も、全員が一斉に立ち上がって敬礼するのだ。たいていの兵隊は、兵舎や倉庫に阻まれて、門を入ってくる自動車などは見えないのだが、それでも兵隊の全員が見えない師団長に向かって直立不動の姿勢で敬礼するのである。
師団長といっても、位は中将にすぎず、中将など軍の内部に掃いて捨てるほどいたのに、兵隊は彼らを神様扱いしなければならない。こうした日本の軍隊に身を置いた私たちから見れば、アイゼンハワーと兵隊が向かい合って冗談を言い合う場面など夢にも想像できなかったのだ。
もう一つ驚いたのは、米軍内に軍人向けに発行された新聞が行き渡っていたこと、そして兵士が読むための軍支給の文庫本が多数配布されていたことだった。兵士用のポケットブックは、戦後東京の古本屋にたくさん出回っていたから、私も英語の勉強用に何冊か購入したことがある(その中に、アメリカの小学生の書いた作文集があって面白かった)。
これに引き替えて、日本の軍隊の何処にも、本はおろか新聞すら見あたらなかった。兵隊たちは完全に外部の情報から遮断されていたのだ。私は軍隊にいた数ヶ月間、営庭に落ちている古新聞の切れ端を拾って読むほど活字に飢えていた。だから、「シャバ」のことは勿論、戦況についても、国内外の政治情勢についても、全く無知のまま敗戦を迎えたのだった。戦況に関して得た知識といえば、広島に原爆が落とされたとき、技術下士官が内務班にやってきて、「新型爆弾」への対処法を説明したことがあっただけである。
情報途絶は、地方の軍隊だけでなく、海軍兵学校の内部でも同じだったというから呆れる。海軍兵学校と言えば、未来の海軍士官を養成するエリート校で、全国から秀才が集まっていたのである。
敗戦当時、そこに学んでいた友人の話によれば、8月15日、皆の集まっているところに仲間が駆け戻ってきて、
「おーい、戦争が終わったぞ」
と知らせたら、学生の間から、
「日本が勝ったのか」
という反問の声があがったというのだ。
こうしたマンガのような光景が、戦時下の日本の至る所で見られたのである。
戦争中の日本は、何から何まで、まやかしで、インチキで、アホらしかった。当時学生だった私は、特に反戦運動をしていたわけでもなかったが、内心で、「こんな馬鹿なことが何時までも続くはずはない」と思っていた。これが態度に表れたのだ。私が民族派の学生たちから白眼視され、担当教授から私宅に呼ばれて指導を受けたのもこのためだった。そして、入営延期の特典が廃止されたとき友人たちは揃って前橋の予備士官学校に入隊したのに、こちらは二等兵として地方部隊に入隊しなければならなかったのも遠因はここにあったのだった。
私は、中学生の頃から軍服を着た人間が大嫌いで(軍服を着た天皇もこの例外ではなかった)太平洋戦争が始まる前から、日本の将来について何の希望も持っていなかった。
戦争中、悲観論者だった私は、戦争が終わってからも悲観論を持ち続けなければならなかった。
敗戦後、政治・社会の一切が新しくなると思ったのに、そうはならなかったからだ。戦後の混乱がおさまると自民党の一党支配が続き、戦争犯罪人だった岸信介のような人間が首相の座についた。そして今や岸信介の孫で、戦前のインチキ国家日本を美しいと考える安倍晋三が、政権の座についているのである。
安倍内閣は、弱者の犠牲の上にエセ「美しい国」を作ろうとしている。
好況を迎えた企業は、その利益を強者に手厚く配分し、株式配当を3倍、役員報酬を2倍に増額したのに、従業員一人あたりの給与を約一割削減している。安倍政権は優位に立った強者をさらに強化すべく、サラリーマンと高齢者からの徴税を強化して、それを財源にして法人税を軽減しようとしているのだ。
日本が金持ちだけに奉仕する片面国家になって行くのを、どうして選挙民は黙って見ているのだろうか。その昔、国民が軍部を支持して侵略戦争に突き進み敗戦の憂き目を招いたように、現代の選挙民は自民党を支持して日本を恐るべき格差社会、貧富対立国家にするつもりらしいのだ。
では、政権が交代して民主党が内閣を組織したら、世の中はよくなるだろうか。
二大政党が交互に政権を担当して行けば、政官の癒着は減り、汚職も少なくなるにちがいない。しかし、民主党議員の半分は第二自民党員と呼ばれるような体質を持ち、自民党員に輪をかけてタカ派色が強いのだから安心できない。
彼らは本来自民党から立候補したかったが、選挙区にはすでに自民党の二世議員などが頑張っているので、やむを得ず民主党の看板を借りて立候補したに過ぎない。
そして、もし自民党と民主党による二大政党制が実現したら、これ以外の政党は矮小化し、現在の某党のように二大政党のうちの強い方にくっついてその集票組織になり下がるしか生きる道がなくなるのである。
悲観論者は、近未来についてこういう希望のない予想図しか描けない。
テレビを見ていたら、ある左派系の女性評論家が、「日本人は、もういっぺん戦争をして、ひどい目に遭わなければ、分からないんじゃないかしら」と最近のマスコミの右傾化傾向を嘆いていた。
とにかく当分は世の中変わらないのである。としたら、悲観論者たちは、いかなる姿勢で時代に臨むべきだろうか。(つづく)