ところが、五〇代の半ばを過ぎると、私の胸に漱石に対する強い
愛情が蘇ってきた。自分の希求するものを暗い坑道を掘り進めるよ
うに追いつづけ、揚句の果て胃袋に穴をあけて死んだ漱石に対する
愛である。
漱石への愛が戻ってきたのと符節を合わせるように、ドストエフス
キーを捨ててトルストイを取るという転換が訪れた。今まで私はド
ストエフスキーに較べてトルストイを軽く見ていたのである。四〇
代の私の文学上の伴侶は鴎外全集とドストエフスキー全集だったが
、これが五〇代になると漱石全集とトルストイ全集に変わったのだ。
漱石もトルストイも、とにかく一生懸命に生きたのだった。二人を
特色ずける「全力性」「愚直な求道性」とでもいうべきものへの
理屈抜きの敬意が「天命ヲ知ル」という五〇代になって初めて芽生
えてきたのであった。
蔵書の整理を済ませてからも尚数日間、私は薄ら寒い書庫の中に
閉じこもって本を読んで過ごした。
本の整理を早く済ませて、畑仕事に取りかからなければならない
時期に来ていた。春の草に覆われた畑が、「鍬入れ」を待っ
ているのである。
畑の全景を見るには、仮橋を渡って畑の脇を流れる用水路を越え、
天竜川の堤防に上ればよかった。堤防の上はクルマが一台通れる
位の道路になっている。この道路に立つと畑が眼下に見下ろせるの
である。
畑は1、3反歩(約4〇〇坪)の広さで、面積の点ではかなりの
ものだが、残念ながら恰好があまりよくなかった。両側を堤防と住
宅にはさまれて、南北に延びた馬鹿にひょろ長い形をしているのであ
る。それはボートを押しつぶしたような形状をして、ボートの真ん
中に渡した横板にあたる部分に「工」の字型の「不生庵」が建って
いる。
この為、畑は家屋によって二っの部分に分割され、居住棟に接する
南側の畑と書庫棟に接する北側の畑に分かれている。玄関は書庫棟
の方についているので、北の畑が「表」、南の畑が「裏」というこ
とになるが、畑としての条件は裏の方がずっとよかった。縁側から
すぐ畑に出られる上に、地味も日当たりもこちらの方が格段にいい
のである。
堤防の上から眺めると、「不生庵」のたたずまい、立木の配列、
畑の区画などすべてが、寸足らずで間が抜けていた。増築つづきの
家屋と同様に樹木の植え方も畑の耕し方も、必要に応じて
段々手を広げて行っただけで、いわばスプロール的に立木・耕地を
増やして行った結果がこうした布置になったのである。しかし見た目
に不揃いな衣装でも、着ている本人にとってはそれが一番ピッタリ
しているということもある。この何と無く締まりのない家や畑は、
私の精神が生み出した産物で、私の内面を具象化したものに他なら
なかった。
農作業の第一歩は、耕運機で畑を耕すことである。午前10時頃、
裏庭に出てみると穏やかな陽光で温められた畑の表土には、一面に
亀の甲羅のような紋様が浮かび出ている。
表土は、寒い冬の間、凍ったり溶けたりすることを繰り返している
うちに自然にこんな瘢痕が刻みこまれたのだ。その土の上にたくさ
んのナズナが生えている。こんなにナズナが多いのは、去年の九月
末から畑を放置して草の生えるのに任せていたからだった。
それらの草のうち、その年のうちに枯れるべきものは枯れてナズナ
などの冬越しの草だけが残ったのだ。
冬の間、シートをかぶせて庭の隅に放置してあった耕運機にガソ
リンを入れ、点火ロープを引っばてエンジンを始動させる。それか
ら両手でハンドルを操作して耕運機を畑の中に入れるのである。
ギァを低速にして水車型の刃を地面にめり込ませると、耕運機はた
ちまち土を砕いて前進を始める。耕運機が掘り返された土を帯のよ
うに背後に残して畑の端まで行ったところで、機械を反転させて逆
戻りさせる。
こうして耕運機と一緒に畑を行ったり来りして、畑の全面を鋤き返
して行くのである。数回往復しているうちに、頭は作業から離れて
自由になる。仕事をすっかり機械にまかせ、牛に曳かれて善光寺参
りといった気持ちになるのだ。
とても、いい心持ちだ。
畑から天竜川をはさむ東西の段丘や雪の残った山々が見える。段丘
の中腹には家々の屋根が重なり合っている。あちこちに咲きかけた
桜の花が白く点在している。
私は今、学校にでかけて新学年度の行事に忙殺されるかわりに、こ
んな絵のような光景を眺めながら何も考えずに耕運機を動かしてい
るのである。
やがて耕運機は熱を帯び、エンジンの焼ける臭いが強くなる。一
時間近くたったのである。機械を休ませるために耕運機をスモモの
木の下に止めて休憩する。スモモの木の周辺には梅・栗などの木が
それぞれ二〜三本ずつ植えられ、ささやかな林地を形成している。
それらの果樹は、家屋に対する目隠しと防風の役割を兼ねている。
一時期、私は今西錦司風の観察願望や隠遁願望にかられて、雑木・
雑草がせめぎ合ったり、折れ合ったりしながら共棲するさまを観察
して老後を過ごせたらと思ったことがある。その後思い直して、雑木
を整理した時、果樹だけが残されてこれだけ大きくなったのだ。
林地の木々はまだ葉をつけていないが、下の地面は草で覆われてい
る。ここに生えている草は厳寒期にも青みを残していて、四月
に入るとこんな風な草地になり、早くもちいさな花をつけはじめる
のだ。花は二層になっている。20センチ位の高さのところにナズ
ナの白い花が咲き、その下層に地面に貼り付くようにイヌフグリの
青い花が散乱する。ほかにもいろいろの花が咲いている。が、花の
形はどれも小さく、米粒か小豆ほどの大きさしかない。
耕運機の振動で、ハンドルを握っていた手が痺れてきた。午前中
の仕事はこれで打ち切りにして、敷地内を歩いてみる。畑の東側は
五軒の家と境を接している。境界を構成しているものは、石垣であっ
たり生け垣であったりコンクリート基礎であったりする。そして、
それぞれの場所にスズラン・シオン・蕗・水仙・ミョウガなどが群
落を作っている。
蕗・水仙を除いてこれらの植物は未だ目を覚ましていない。が、私は
日課のように境界を見回っているのである。こうやって敷地内をたえ
ず巡回するのは、野生動物が自分のテリトリーを回ってマーキング
するのと同じかもしれない。
不思議なことに敷地内を見回る時に隣家との境界線にそうようなコ
ースをとっているし、このコース上の植物の動静には特に敏感なの
である。
畑の反対側は用水路だから、見回る時用水路に接する畦の上を歩
くことになる。冬の間、黄色く枯れていた畦も青く変わっている。
畦に沿って自宅から運んで来たムクゲや樫の木の苗木が植えてある。
ムクゲは自分で挿し木したものだし、樫は自宅の庭に自生したもの
だ。これらには特別の愛着があるので、足を止めてしばらく見守る
のである。
昼食後、午後二時過ぎに再び畑に出る。耕運機をかけるところは、
裏の畑にまだ少し残っているが、それは後回しにしてジャガイモ畑
の下ごしらえにかかる。冬の間物置にしまってあった三本刃と呼ば
れる鍬を取り出して、耕したばかりの畑に畝を立てて行く。ジャガ
イモのために割り当てた四坪ほどの区画の中に七〜八本の畝を作る
のだ。(つづく)