甘口辛口

二人の美智子

2007/4/15(日) 午後 5:20


(上図はシモーヌ・ヴェイユ、下図は樺美智子)

フランスには、「二人のシモーヌ」と呼ばれる二名の優れた思想家がいる。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールとシモーヌ・ヴェイユの二人で、両者の著書は日本でも数多く翻訳されている。

シモーヌ・ド・ボーヴォワールはサルトルの妻であり、その著書「第二の性」は日本でもベストセラーになった。私はフェミニズムの聖典とされる「第二の性」を最後まで読み通すことができなかったけれども、彼女の自伝の方は興味津々、数冊続きの本を舐めるように読んだものだった。読んでいるうちにこちらの頭まで玲瓏としてくるような本だったのである。知的で明晰、底の小石まで鮮明に見える澄んだ川のような自伝。

篤信のクリスチャンとして育てられたボーヴォワールは、少女期になって棄教して無神論者になる。そして大学時代に秀才学生と知り合って恋仲になるが、彼よりもっと優秀なサルトルが現れると当然のことのように恋人を捨ててサルトルに走る。ボーヴォワールは出処進退にいささかの遅滞の色がなく、自分の思った通り単純明快に行動する女性なのだ。

シモーヌ・ヴェイユは、ボーヴォワールを裏返しにしたようなキリスト教精神にあふれた女性だった。苦しむ者、不幸な者に対して、これほど無私な態度で献身する思想家を見たことがない。彼女は、東北の農民のために働いた宮沢賢治の生涯を十何倍かに増幅したような刻苦献身の生涯を送っているのだ。彼女の「工場日記」と「重力と恩寵」を読めば、自ずと厳粛な気持ちになる。私なども、「重力と恩寵」を教典のように読み返していた時期があるのである。

「二人のシモーヌ」と語呂合わせの関係で思い出されるのが、わが国の「二人の美智子」だ。正田美智子と樺美智子は対照的な人生を歩み、片や皇太子妃から皇后になったのに対し、他方は安保闘争のただ中で警官隊ともみ合って圧死している。だが、共通しているところもある。その生き方の中に、何となくハッキリしない部分があることだ。

三島由紀夫の評伝を書いたヘンリー・スコット=ストークスによると、正田美智子は皇室に輿入れする前に三島由紀夫と見合いをしている。この話がまとまらなかったのは、いずれかの側で断りを入れたためだが、双方が合意していたら美智子妃は三島夫人になっていたのである。

しかし、この話を取り上げている三島の評伝は、他にはない。事実無根だから誰も書かないのではなく、日本人のライターが皇室に遠慮して書かないでいるのである。皇室に関する内情を外人記者のペンによってしか知り得ないというのは、おかしなことではあるまいか。これ以外にも美智子皇后にはハッキリしない話が多く、皇后が一時失語症の症状を呈した理由も明らかにされていない。

樺美智子については、すべてが明らかにされているように見える。だが、墓碑にも彫られているという彼女の「最後に」という自作の詩がどうもよく分からないのである。

<誰かが私を笑っている
 向うでも こっちでも
 私をあざ笑っている
 でもかまわないさ
 私は自分の道を行く
 笑っている連中もやはり
 各々の道を行くだろう
 よく云うじゃないか
 「最後に笑うものが
 最もよく笑うものだ」と
 でも私は
 いつまでも笑わないだろう
 いつまでも笑えないだろう
 それでいいのだ
 ただ許されるものなら
 最後に
 人知れずほほえみたいものだ>

樺美智子は、あちこちで自分が笑いものにされていると感じ、「最後に笑う者が、最もよく笑う者だ」と反撃する。これは恐らく、東大文学部学友会副委員長になって、安保闘争を指揮する自分に向けられたノンポリの学生や世間の目を意識した詩なのだ。

彼女は、やがて革命によって理想社会が生まれると信じているから、自分を最後に笑う側にいると考える。そこまでは、いいのである。

ところが、彼女は最終的な勝者になっても、笑わないだろうとか、笑えないだろうとかいって、トーンを落としてしまう。が、彼女はそうやって思い上がってはならないと自戒しながらも、未練気に「人知れずほほえみたい」などというのである。

彼女は学究の徒でありながら、政治運動に熱中する自分に劣等感を抱いている。と同時に、専門馬鹿にならずに、未来を見通している自分に誇りを持っている。こうして劣等感と優越感の間で揺れ動きながら、「人知れずほほえむ」というところでバランスを取り、自己慰撫の微笑の中に一切を包み隠してしまうのだ。

フランスの「二人のシモーヌ」は、自らの意志を明確に表明し自分の立場を曖昧にすることはなかった。だが、日本人のアイドル「二人の美智子」は、ともに自分を露出することを避ける。そんなに遠慮する必要はないと思うのだが。