甘口辛口

芥川龍之介の死(その1)

2007/8/26(日) 午後 10:33

(平松麻素子)

松本清張の「昭和史発掘」を読んでいたら、「朴烈大逆事件」につづいて「芥川龍之介の死」という章があった。芥川龍之介についても、私は自分のHPにかなり長い記事を書いている。それで、何か自分の知らない新しいことが記載されているのではないかと、松本清張の文章を注意して読んだ。

私にとって収穫だったのは、芥川が帝国ホテルで実行したとされる「自殺未遂事件」の真相を知ることが出来たことだった。私がこれまで読んだ本によると、芥川龍之介は平松麻素子と心中しようとして帝国ホテルに泊まっているところを発見されたとあったのだが、松本清張によれば、事実はこれとは異なり、女は芥川と帝国ホテルで心中する約束をしたものの、直前になって約束を破ったため心中には至らなかったというのである。

この間の事情は、芥川の友人だった小穴隆一が著書「二つの絵」のなかに克明に書いているという。けれども、小穴は芥川の研究者達からその発言の信頼性を疑われていたから、小穴証言は無視されて来た。それを松本清張は、正面から取り上げて上記のような記述を敢えてしたのである。

小穴隆一=松本清張の語る事件の推移を、もっと細かに書けば次の通りである。

芥川の妻文子は、夫の言動から彼が自殺を計画しているのではないかと疑うようになり、不安に襲われて突然二階に駆け上がって夫が無事を確かめたりするようになった。

彼女は彼女なりに思案し、芥川に文学の分かる女友達をあてがえば、夫の孤独感が解消するのではないかと考え、幼友達の平松麻素子に救いを求めた。平松麻素子は文子より2、3才年長の独身の女だった。父親は弁護士で裕福な暮らしをしていたが、生まれつき病弱だったため、結婚しないで弟妹の面倒を見ていたのである。彼女は短歌などを作り、芥川の作品をすべて読んでいた。

平松麻素子は文子から事情を聞いて、芥川の話し相手になることを承知した。文子は、彼女が訪ねてくると二階の芥川の書斎に案内するようになった。しばらくの間、平松麻素子が芥川の書斎で竜之介と文学談義をしているところへ、文子がニコニコしながら茶菓を運ぶという光景が見られた。

やがて芥川と平松麻素子は、文子に隠れて二人だけで外で会うようになる。
芥川は麻素子との逢う瀬を重ねているうちに、彼女をスプリングボードにして自殺を決行しようと考えるようになり、下谷を連れだって散歩している折、一緒に死んでくれないかと切り出した。

もっとも、プライドの高い芥川は、「或阿呆の一生」の中で、話を持ちかけたのは女の方からだと書いている。

<彼女はかがやかしい顔をしていた。それは丁度朝日の光の薄氷にさしているようだった。彼は彼女に好意を持っていた。しかし恋愛は感じていなかった。のみならず彼女の体には指一つ触れずにいたのだった。

「死にたがっていらっしゃるのですってね」
「ええ。──いえ、死にたがっているより生きることに飽いているのです」>

二人は、心中する約束を交わし、帝国ホテルで実行する日時を決めた。皮肉なことに、芥川の死を思いとどまらせる役目を負った女が、芥川の心中相手になったのである。

約束に日に(昭和2年春)、芥川は家を出た。
文子が、「お父さん、どこに行くんですか」と尋ねても応えないで、彼は黙って歩み去った。芥川は散歩する様子でもないし、何処かに原稿を書きに行くふうでもなかった。胸騒ぎを感じた文子は、小穴隆一の下宿に駆けつけた。
「どうも主人の様子が変です」

文子が小穴と話し合っているところに、意外な女性がやってきた。平松麻素子であった。彼女は芥川との約束を破って帝国ホテルに行かなかったが、何となく気になって芥川と親交のある小穴のところにやってきたのだ。彼女は文子が来ているのを見ていった。
「まあ、いまお宅にあがろうと思っていたところよ」

文子もほとんど同時に言った。
「わたしも、いま、お宅にあがろうと思っていたところなの」

とにかく、芥川の行方を捜さなければならない。小穴には心当たりがあったから、
「これから探しに行きます」というと、文子は家のことが気になるのか、「では、どうかよろしく」といって急いで家に帰っていった。

小穴が下宿を出ると、平松麻素子もついてくる。小穴は、まず芥川が原稿執筆のためによく利用している帝国ホテルに行くつもりだった。省線電車の田端駅まで来たとき、平松麻素子が不意に秘密を打ち明けた。
「さっき文子さんの前では言えなかったけれど、私は芥川さんのいるところを知っているんです。帝国ホテルです」

二人は揃って省線電車に乗って帝国ホテルに出かけたが、カウンターで聞いてみると、芥川は確かにホテルにやってきて部屋を取ったが、また何処かへ出かけていったという。小穴は迷ったけれども、一旦、田端にある芥川家に戻ることにした。すると、平松麻素子も一緒に行くという。

芥川家に着き、小穴が二階の書斎に駈上って調べると、「小穴隆一君へ」と記した遺書らしい封筒があった。彼は文子に、とにかくこれからホテルに行こうと誘い、小穴、文子、甥の葛巻義敏の三人で帝国ホテルに出かけることになった。さすがに平松麻素子は、芥川に合わせる顔がなかったらしく、近くにある実兄の家に去った。

松本清張は、その後の状況を次のように書いている。

              ・・・・・・・・・・・・
              
< 芥川の泊っている部屋のドアを叩くと、
  「お入り」
  と、大きな声で芥川が怒鳴った。小穴がドアをあけ、う
 しろから文子と葛巻とが従った。
 
 芥川はベッドの上にひとりで不貞腐れて坐っていたが、
 甥の葛巻を見ると、
 「なんだ、おまえまで釆たのか。帰れ」
  と、叱りとばした。
  
 葛巻が泣きながら出て行くと、あとは芥川と、文子、小
 穴の三人だけになった。
 「M子さんは死ぬのが怖くなったのだ。約束を破ったのは
 死ぬのが恐しくなったのだ」
 と、またベッドに仰向けになっていた芥川は、怒鳴るよ
 ぅな、訴えるような調子で言って起き上がった。
 
 「わたし、帰ります」
 と、文子は廊下へ消えて行った。
 その晩、小穴は芥川と一緒に夜明けまで話した。朝にな
 って文子が来て小穴と替った。(二つの絵)>
 
              ・・・・・・・・・・・・
              
松本清張はいっている、平松麻素子に逃げられたのは芥川の側に過信があったからだと。芥川が平松麻素子と体の関係を持っていなかったことは、事実だと思われる。肉体的交渉のない女が、自分と一緒に死んでくれると思いこんだところに芥川の甘さがあり、その甘さは自己の名声に対する過信から来ているというのである。

この事件があってから平松麻素子は芥川家に寄りつかないようになった。
松本清張が平松麻素子の裏切りについて縷々述べているのは、彼がこの一件を芥川自殺への重要なステップと考えているからだった。芥川はこれ以来、自殺に対して一歩踏み込んだ姿勢を示すようになり、スプリングボードなどを当てにせず、単独で自死を決行する決意を固めはじめるのである。

そして彼が自殺のために使用した青酸カリは、平松麻素子が彼に与えたものだったのである。

平松麻素子のその後について、松本清張は、「その後、肺患のため清瀬療養所に入り、文学愛好の患者達のリーダーのようになっていたが、昭和32年1月に死んだ」と書いている。勘定してみると、私が清瀬の病院を退院するのと入れ違いに彼女は療養所に来たことになる。もしかしたら、彼女と一目会う機会があったかもしれないのだった。

(つづく)