若作りするジジ・ババたち
この間、池部良が久しぶりにTVに顔を出したのを目にした。
池部良といえば、戦後10年ばかりの間、映画で活躍していた青春スターである。石原裕次郎が出現するまで青春スターとしての彼の人気は他に並ぶ者のない状態だったが、やがて出番が少なくなり何時となく忘れられた存在になっていたのだ。その池部良が何と黒々とした頭髪で、まるで未だ若者のような顔をしてTVに登場したのだから、びっくり仰天した。
1916年生まれだというから、池部良も今は89才になるはずである。それが,やけに若々しい風貌で出現したのだから、唖然としない方がおかしいのである。
同じような印象を与えるタレントに黒柳徹子がいる。
彼女は1933年生まれだから、本年72才になる。にもかかわらず、やはり髪は黒々として、はたちになったばかりの娘みたいな顔でTVに出ている。
池部良も黒柳徹子も、髪を染めたり入れ毛をしたりして、精一杯若作りをしているのである。だが、若作りをしているのは、タレントばかりではない。性格分類学者のシェルドンは、人間を青春志向型、老年志向型、家族志向型の3タイプに分類し、このうち青春志向型の人間は年齢に不相応な若作りする傾向があるといっている。
しかし私は池部らの若作りには、性格論とは違った理由があるような気がする。青春スターで売り出した池部良は、昔の夢を捨てきれず、意識の底で何時までも若者であろうとしているのである。挙げ句の果て、彼は自分が今もなお若いという錯覚にとらわれるようになってしまったのだ。
「窓際のトットちゃん」で有名になった黒柳徹子も同じである。彼女は、ベストセラー本を書いて評判になったとき、マスコミの前で今もなお少女の自由な発想を残す女として振る舞い続けた。そして、少女のような髪型や服装をしているうちに、70を過ぎた今も自分を少女だと信じるようになったのである。
恐ろしいのは、若さを売り物にしていたタレントたちが、年老いてからもその好みを若かった頃惹かれていた対象に固着させていることなのだ。以前にテレビを見ていたら、ロカビリー全盛の頃に少女たちを熱狂させていた男性歌手が、自分はこの年になっても少女にしか魅力を感じないと打ち明けていた。その歌手は、すでに初老期にさしかかっていたのだ。
過去を知っている視聴者は、若作りをする昔のタレントたちをTVで見ていると、何となく目をそらしたくなるのである。自分の老いさらばえた姿と比較するからではない。若さを装う彼らに一種「不自然」なもの──自然な摂理を超えようとする妄執のようなものを感じるからだ。
私はTVに光市母子殺人事件で妻子を失った男性が登場して犯人に極刑を加えよと訴えたり、藤田憲子(元若ノ花夫人)が登場して大相撲問題・花田家問題についてコメントを加えたりするのを見るときにも、思わず目をそらしてしまう。やはり彼らの行動に自然の摂理を無視した妄執のようなものを感じるからだ、なぜ妄執のようなものを感じるかについては、説明の必要があるかもしれないけれども。