甘口辛口

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」

2007/12/1(土) 午後 2:06
<「少将滋幹の母」>

本についても「相性」ということがあるらしく、私はほとんど谷崎潤一郎の本を読んだことがない。谷崎原作の映画もそうで、せめて映画化された作品でも見て話の筋を掴もうと考え、TVで放映された「細雪」にチャンネルを合わせてみたことがあるけれども、とうとう最後までTVを見ていることが出来なかった。

しかし、以前から「少将滋幹の母」という作品なら何となく読み通せそうな気がしていた。題名の感じから、この作品には谷崎作品につきものの妙な「あくどさ」やおどろおどろしたところがなくて、淡々と読み進められそうな気がしたのである。それに、この作品は谷崎作品の中でも五指に数えられる傑作だという批評家の言葉もあった。

そこで昨日これを読んでみたら、まことに風変わりな小説だった。作品の全体が考証風、随想風の文章で縁取られ、その中にイレコ細工のように本筋の物語が織り込んである。それに、題名が「少将滋幹の母」となっているのに、ヒロインと目される滋幹の母親がチラリとしか登場せず、彼女がどのような性格の女か皆目分からないのである。物語というにはあまりにも内容希薄な話で、期待を大きく破られたが、そのくせ読後の余韻はなかなかに深かったのだ。

とにかく──話の筋はこうである。
左大臣藤原時平は政敵の菅原道真を九州の配所に追放した悪名高い政治家である。この時平が、伯父の大納言藤原国経から美貌の若い妻を奪い取るところから話は始まる。時平は老齢の伯父に普段からプレゼント攻勢をして恐縮させておいて、ある日、伯父の屋敷に押しかけ、相手に返礼を要求する。酒を強いられて酔っていた伯父は、時平に何でもほしいものを返礼として差し上げると約束したために、美貌の妻を奪われてしまうのだ。どうやら、王朝時代には、妻を贈答品のようにやり取りしたらしいのだ。

少将滋幹は、大納言藤原国経と美貌の妻の間に生まれた子供で、母が時平に奪い取られたとき5才だった。滋幹が母を恋しがるので、侍女が手引きして時折時平の屋敷で母子を会わせていたけれども、やがて母が時平の子供を産んでからはその機会もなくなってしまう。

一方、自らの失言で妻を奪い取られた滋幹の父も、妻恋しさのため錯乱状態になる。そして、彼は妻への未練を断ち切るために仏法にすがり、不浄観を実行する。不浄観というのは、女の死体が腐敗し崩れて行く様を直視することによって、女色への迷いを断つ修行である。集英社版日本文学全集の解説は、この部分に着目して次のように賞賛している。

<物語の中心部である、宅人の藤原国経がひょっとしたこと
から、権勢者の時平に美しく若い妻を拉致されたため、孤
独と寂寥に耐えかねて、死屍の捨てられた秋の夜に鴨の河
原にうずくまりながら、不浄観を行ずるくだりは、まこと
に鬼気迫るものがある。

前半の陽気さや賓族の恋愛遊戯の花やかさとの対比もあっ
て、その効果ははなはだ強烈である。>

確かに、滋幹の父が不浄観を行ずる場面には、谷崎潤一郎式のおどろおどろした光景が描かれて読者の興味をひく。しかし、無論、山場はここにあるのではない。

物語は、この父もなくなり、時平も、時平と母の間に生まれた腹違いの弟も死没し、母と滋幹だけが残された時点で大団円を迎える。

ある夜、滋幹は、今は出家している母の庵室近くを通りかかり、ふと、その庭園に入り込むのである。庭には月に照らされた満開の桜が白々と咲いていた。そこへ老尼が出てきて山吹の枝を手折りはじめた。作品の末尾はこうなっている。

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

「お母さま!」
と、突然云った。尼は大きな体の男がいきなり馳せ寄っ
てしがみ着いたのに、よろよろとしながら辛うじて路ば
たの岩に腰をおろした。
「お母さま」
と、滋幹はもう一度云った。彼は地上に跪いて、下か
ら母を見上げ、彼女の膝にもたれかかるような姿勢を取った。

四十年前の春の日に、几帳のかげで抱かれた時の記憶が、
今歴々と蘇生って来、一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童
になった気がした。彼は夢中で母の手にある山吹の枝を払
い除けながら、もっともっと自分の顔を母の顔に近寄せた。

そして、その墨染の袖に沁みている香の匂に、遠い昔の移
り香を再び想い起しながら、まるで甘えているように、母
の袂で涙をあまたたび押し拭った。   (終)

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

読み進んできて、最後のこの部分に来ると、読者は長い間引き裂かれていた恋人が、ようやく再会を果たす場面を思い出す。そして、「少将滋幹の母」という作品が恋愛小説の構造を取っていたことに初めて気づくのだ。滋幹の母は、母であると同時に滋幹の恋人であり、滋幹は驕慢の権力者時平に恋人を長い間奪い取られていたのである。

そして読者は、滋幹の物語を通して聖母マリア以来の「聖母伝説」に潜む謎の一つに気づく──。

そのほか面白かったのは、この作品の中に紹介されている「大智度論」の妊娠理論だった。参考のために、そのくだりを引用して終わりにする。

「身内の欲虫、人の和合するとき男虫は白精、涙のごとくにして出で、女虫は赤精、吐の如くにして出づ、骨髄の膏流れ出て此の二虫をして吐涙の如くに出しむ」

「大智度論」のこの言葉をどう解釈すべきか正確なところは分からないけれども、昔のインテリは人間の骨髄のなかにある膏が流れ出て男性の精液になり、女性のメンスになり、この紅白の二つが結びついて妊娠すると考えていたらしいのである。