甘口辛口

政治家のUFO談義

2007/12/22(土) 午後 2:25
<悪い空想と良い空想>

TVを見ていたら、官房長官や防衛大臣がUFOの話をしていた。なぜか、二人とも、嬉しそうな、しかし、照れくさそうな笑顔を浮かべて話しているのが印象的だった。

世の中には、あれっと思うような人がUFOを信じていたりする。昔、倉本聡の「北の国から」を見ていたら、現代人がUFOを信じないのは心が乾いているからだという趣旨の発言をする登場人物が出てきたのでびっくりしたことがある。どうやら倉本聡は、UFOを信じているらしいのだ。

だが、少し考えてみれば分かる。もし宇宙に人間以外の生命体の住む天体があったとしても、地球との距離は数万光年の遠くにあると想定されている。そうした遠くからUFOに乗って地球にやってくるとしたら、宇宙人は数万年の寿命を持つ長命動物でなければならない。さもなければ、宇宙人は死に変わり生まれ変わりして、数十世代が宇宙船内で生き続けて地球に到着することになる。としたら、宇宙船は、小天体ほどの大きさが必要になりはしないか。

それより何より、宇宙塵のたちこめる宇宙空間を数万年も飛行し続けるほど堅牢なロケットがあるかどうか心配になる。ロケットがどんなに強い材質で作られていても、何万年もしたらそのうちに劣化して壊れてしまうに決まっているのだ。

大体、限りある地球上の事物を素材にして、未知の世界を空想するからおかしなことになるのである。私はSFの最高傑作は、スタニフラム・レムの「ソラリスの陽の下で」だと思っているけれども、この作品で描かれている宇宙人は海なのである。われわれは、宇宙人といえば人間に準じた姿形をしているか、蜘蛛かサソリのような動物を連想する。だが、宇宙人は人間の空想や思慮を絶した、真に未知なるものである可能性があるのだ。

「ソラリスの陽の下で」には、生物の全く見あたらない星に着陸した人間が、一人一人自滅して行く過程が描かれている。人間の乗っている宇宙船のまわりには広漠たる海が広がっているだけなのに、船内の乗組員に次々に悲劇が襲いかかるのだ。犯人は知能を持ち、生きている海だったのである。

人間は、どんなに途方もない空想をしたつもりでも、現に見て体験している事物を越えた空想を展開することは出来ない。そして、その限りある空想パターンには、良いものと悪いものがあるのだ。UFO幻想は根のない空想に過ぎないが、子供心の延長として許される空想の部類に入る。これが罪のない空想である証拠に、UFOについて語る成人は、前述のように、皆、照れくさそうな笑いを浮かべるのだ。

だが、先祖霊だの守護霊だのについて語る者の人相は、あまりよろしくない。先祖霊も守護霊もデタラメな空想の生み出した産物だが、これを語る者の心根に、根元的な愚かしさと狡智が絡み合って存在するからだ。

今回また霊感商法で金を稼いでいる「神世界」グループが摘発された。
信者たちは、「力」「楽」「神力」などという字を書いた紙を数十万円で売りつけられているという。その文字の何と下手くそで下品なことだろう。

こんなインチキ宗教(犯人らは宗教ではないと言っている由)にだまされるのは、だまされる方が「悪い空想」に取り付かれているからだ。自分だけに幸運を授けてくれる霊がどこかにいるという空想である。

江戸時代以来の庶民の念願は、家内安全・商売繁盛ということだった。この願い自体は結構だが、この念願をかなえるのに何処にも存在しない「霊」なるものに頼ることが問題なのである。もし霊があるとしたら、自分だけ幸せになりたいという本人の虫のいい欲念が実体化したものに他ならないのだ。

テレビに出て、先祖霊について宣伝する女性タレントを観察していると、化け猫の化身のように見える。別の番組に出演して守護霊について語るデブ男は、ぽんぽこ狸が化けて出てきたように見えるのである。

とにかく、霊力とかタタリとかいうような「悪い空想」を頭の中から一掃して、虚心になってあたりを見回すことである。そうすれば、世界は一挙に拡がり、無垢な自然が目に映って来はしないだろうか。