甘口辛口

実録:広津和郎のヒステリー体験(その2)

2007/12/9(日) 午後 7:24

<実録:広津和郎のヒステリー体験>(その2)

広津和郎がX子に悩まされている頃、広津家は別の悲劇に見舞われていた。
息子の賢樹が重い結核になり、腎臓の一つを摘出したものの、結核菌は残りの腎臓をも冒していたのだ。人工腎臓がまだ出現していない時代のことである。腎臓を二個失えば、人間は死ぬしかないのだ。その上、義母も乳ガンにかかり、遠からず亡くなることが予想されていた。そんな苦境にある広津を、X子は容赦なく追い回していたのである。

息子の賢樹が亡くなった時、広津がX子に、「葬式を出すから一週間は家を出られない。どうか、その間はおとなしくしていてくれ」と、休戦を申し入れると、さすがに彼女も承知してくれた。だが、二週間後に、今度は義母が死んだので同じ依頼をしたところ、X子は目を青く光らせ、鼻にせせら笑いの小皺を寄せた。

「また、一週間?──いいわねえ、その間、おうちで奥さんとチンチンカモカモ・・・・」

広津は、「バカ!」と言いかけたが、それを言ってしまえば速射砲のような早口でX子が口汚く逆襲してくる。彼はじっとこらえているしかなかった。

X子の狂態は、日を追って激しくなっていった。
ある日、広津家のガラス戸めがけて、垣根の外から二つの石が飛んできた。その一つがガラスをガチャンと壊した後で、もう一つの石が飛んできた。

三日ほどたって、広津はX子のアパートに出かけて強く抗議した。しかし、X子はケロリとして、
「女の感情が動けば、破壊に決まっているわ。フロイドだってそういっているわ」
「一体、君はこんな生活をどこまで続けようというんだ」
「三人の一人が死ぬまでね」
「なに?」
「あなたか、あなたの奥さんか、わたしか、三人の一人が死ぬまで」

その後、X子は広津が別れ話を切り出そうとすると、「何いってやがるんだ」というような罵声を投げつけるようになった。広津は書いている。

< そして興奮すると、彼女は立上って、髪をふり乱し、どう
いうわけか、着ているものを一枚々々脱ぎ捨てて、まっ裸
かになって、両手を拡げ、「さあ来い!」といって、今にも
掴みかかって来るような気勢を示し出す。それは一物も身に
つけない完全な真っ裸かなのである。彼女の歯については前
にも述べたことがあるが、前歯二本は普通の平たい前歯であ
るが、その両隣りの小前歯は、糸切歯と同じように先の尖っ
た犬歯なのである。一体が細面で鼻筋の通った整った顔立で
あるが、それが蒼白になって、ふり乱した髪を額に垂らし、
尖った四本の歯を剥き出して、痩せた丸裸かで、両手を掴み
かかるように拡げて向って来る恰好は、一種妖怪味を帯びた
異様な感じのするものであった。>

やがて、X子が教養も何もかなぐり捨てて、「こんなキズモノにしやがって」などと叫ぶに至って、広津は相手と縁を切るため最後の手段に出るしかなくなった。世俗の定法に従って、あいだに人を立て手切れ金を払うことにしたのである。

彼は早稲田大学の後輩作家丹羽文雄に仲介を頼むことにした。広津は以前に、丹羽の一身上の問題について相談を受けたことがあったのである。丹羽が引き受けてくれたので、広津は当時としては大金の千円を工面してX子に渡すことを頼み、日本を後にした。作家仲間の真杉静枝の誘いを受けて台湾に渡ったのである。丹羽が交渉してくれている間、日本を留守にしていた方がいいと考えたからだ。

こうして足かけ5年に及ぶX子との関係を、広津はようやく精算することが出来たのだった。

広津和郎のような聡明な男が、どうして女性問題で何度も苦汁をなめることになるのだろうか。広津と親交のあった志賀直哉は、「広津君は年中、女という貨物列車を引きずっているみたいだ」と呆れていたし、身近な友人からも、「君のような浮気者の人情家というのが、一番困る」と苦言を寄せられていたのである。

広津は24歳の時、下宿屋の娘神山ふくと関係し二人の子供が生まれたので三年後に正式に結婚している。だが、その翌年には二人の関係は破綻し、ふくは二人の子供を連れて実家に戻り、夫婦は別居状態になった。二人は離婚しなかったから、形式上の夫婦関係は最後まで続いているが、以後二人が顔を合わせることはなかった。

広津和郎全集をとびとびに読んだところでは、広津は終始ふくに厳しい目を向けている。彼は一点の同情を示すことなく、ふくの無知やだらしなさを数えたてる。衣類はまるめて押入に投げ込み、ぬれたオムツを縁側に放っておいてシミを作る。そしてベットルームでの彼女の鈍感な所作まで作品の中に書きこむのである。その身勝手な叙述を読んでいると、これが周囲へのデリケートな目配りを忘れない公正でストイックな広津和郎の書いたものかと、驚かないではいられないのである。

広津はふくと別居した後で、有楽町のカフェーで働いていた女給のM子を家に入れ、夫婦同様に暮らしている。広津と同居していた両親も、明るくて初々しいM子が気に入り、息子の嫁として温かく迎え入れている。

M子は信州伊那の貧農の子として生まれ、子供の頃から苦労を重ねてきた。小学校二年生の時、母親にそそのかされて他人の山に入り、栗を盗もうとして追跡され、転んだ拍子に木の根で額の生え際を突き刺してしまうという事故に遭っている。そして小学校を出ると直ぐ製糸工場へ働きに出され、繭を煮る熱湯を両手に浴び腕に引きつりを作るという災難にも遭っている。

M子との生活も、6年しか続かなかった。広津が銀座のカフェー・ライオンで働いていた松沢はまと親しくなったからだ。この時期、出版業を始めていた広津は、信頼していた部下に現金その他を一切持ち逃げされて窮地に立っていた。広津が女性に溺れていったのには、こうしたことが背景になっているかもしれない。彼は松沢はまだけでなく、新橋の待合「松竹」の女将をしていた白石都里や、N子と呼ばれる「情熱的な女」とも関係を持っているのだ。

錯綜する広津の女性関係は、結局、M子が家を出て行き、代わりに松沢はまがその後釜に座るという形で決着がついた。広津は両親を鎌倉の家に残し、はまとの住まいを東京の郊外の馬込村に求めて、新しい生活をはじめた。そして、はまとの関係は、彼女が亡くなるまで40年近く続き、世間的にははまが広津夫人ということになっている。ヒステリーのX子が敵意を燃やし続けた広津の「奥さん」は、このはまだった。

(つづく)