甘口辛口

マリー・アントワネット VS 皇室

2008/2/22(金) 午後 7:15
<マリー・アントワネット VS 皇室>

WOWOWで、映画「マリー・アントワネット」を見て、今更のように王族の悲劇といったものを感じた。悲劇といってもルイ16世やマリー・アントワネットが処刑されたことをいうのではない。廷臣や女官にかこまれ、赤ん坊のように世話をされて生きる人間の悲劇である。

マリー・アントワネットはベルサイユ宮殿に輿入れして一夜を過ごし、目覚めて自分で服を着ようとしていると、女官たちがわっと集まってきて、寝間着を脱がして裸にしてくれる。だが、すぐには服を着せてくれない。下着や服を着せるのは、女官たちの最上位者の役目と決まっているので、新たに高位の女官がやってくるたびに、服を着せる役が変更になるからだ。マリー・アントワネットは服を着せてくれる者が決まるまで、裸のままでふるえながら待っていなければならない。

それよりも、もっと奇怪で愚かしいのは、出産の場面だった。マリー・アントワネットは、広間の真ん中に置かれたベットで出産するのだが、その周りには女官や廷臣が十重二十重に取り囲んでいて、女王は衆人環視の中で赤ん坊を生むのである。

つまりルイ王朝の王族たちは、お付きの人間たちから赤ん坊のように世話をされ、食事から出産まで何から何まで動物園のパンダのように皆から見物されるのである。

そして皇太子妃や女王は、男の世継ぎを生む義務を負わされている。皇太子妃時代のマリー・アントワネットは、「皇太子弟の妃が男子を産んだのに、あなたはまだ世継ぎを産んでいない」と周囲から責められ続ける。このへんは、わが日本国の光景を思い出させる。

こうして赤ん坊扱いされ、見世物扱いされて生きる王族には、これといって何もすることがないのだ。そこでマリー・アントワネットは伺候してくる貴族の夫人たちと仲良しクラブを作って、トランプをしたり、賭博をしたりして退屈な時間を過ごすことになる。オペラ好きのマリー・アントワネットは宮殿内に舞台を作り、自分が主演してオペラを上演する。そうかと思えば、お気に入りの伯爵とベットをともにするのである。

夫のルイ16世も、錠前を作ったり、狩猟に出かけたりして、空虚な日々を送っている。やがてフランスの国家財政が窮迫し、パリ市民が飢えに苦しむようになると、市民の怒りは外国出身の女王に向けられる。パリ市民がパンを食べられないで困っていると聞いた女王が、「馬鹿ねえ、パンがなかったらお菓子を食べればいいじゃないの」と言ったというデマが流れ、女王は民衆の憎悪の標的になる。

──このTV映画を見た翌日の新聞に、週刊誌の広告が載っていた。「週刊文春」も「週刊新潮」も、宮内庁長官による皇太子批判を大々的に取り上げてトップ記事にしているらしかった。好奇心を感じて読んでみる。

「温厚にして慎重」ということで知られる宮内庁長官が、皇太子批判という思い切ったことをしたのには、裏の事情があるという。その裏事情なるものにもいくつかの説があり、天皇と皇太子の不和が深刻になり、当人同士の間で修復不可能になったので、宮内庁長官が乗り出したというものもあれば、天皇の意を受けて(ということは天皇に命じられて)長官が発言したというものもある。

それは、どっちでもいいが、問題の発端が天皇の皇太子に対する不満にあることは疑いないらしい。何しろ、皇太子時代の天皇は、父昭和天皇のところへ週に一度は顔を出していたというから、年に数えるほどしかやってこないわが子の怠慢に腹も立とうというものだ。

もともと天皇は昔から他者に対して厳しすぎるきらいがあった。だから、学習院時代の級友は、彼を敬遠して陰に回って無礼な綽名で呼んでいたし、学者たちも皇太子に進講するのをいやがったのだ。天皇は31歳にもなって誕生日会見で、「(自分は)言ったことは必ず実行する。実行しないことをいうのは嫌いです」と妙に力んだ言い方をしている。

次に引用するのは、週刊誌に載っていた宮内庁関係者の話である。

「紀官さまがまだ小さい
頃、朝早く、陛下(当時の皇
太子)のために朝刊を取っ
てきて陛下が読みやすいよ
うに机に置いておくという
お役目がありました。でも、
紀官さまは遅れられること
も多く、しょっちゅう陛下
に注意されていた。それで、
いつか陛下が『もうしなく
てよろしい』とピシャツと
仰った。当時から、口にし
た約束は必ず守るというこ
とを厳しく教育されてきた
のです。陛下は本当にでき
ることしか言わないし、口
にしたら必ずおやりにな
る。そこには天皇はかくあ
るべき、というお考えがお
ありなのだと思います」

天皇は故昭和天皇とは血のつながった親子だから、毎週父親に会いに行くのに抵抗はなかった。だが、民間出身の美智子妃にとっては、皇居に出かけるのはそれほど楽しいことでなかったはずである。真偽のほどは保証しないけれども、昭和天皇は美智子妃の影響を受けて娘の紀宮がキリスト教に関心を持ち始めたと知って激怒したという。そのため、美智子妃は床にひれ伏して天皇にわびたと伝えられている。

こういう経験があるからか、美智子皇后の方は皇太子夫妻の来訪が希なことについてそれほど神経質にはならなかった。それどころか、皇太子夫妻に対して無理して定例訪問する必要はないと伝えているという。

週刊誌は、皇室担当記者たちが語った皇太子に関する言葉をいろいろ紹介している。雅子妃同様、皇太子の評判もあまり芳しくないようなのだ。

「これまでも皇太子の言葉には、どこか<軽さ>を感じさせるところがあった」
「問題の本質は、皇太子の言葉の<軽さ>なのです」
「皇太子の言葉については、以前から周囲も心配していたようだ」

しかし天皇が皇太子に不満を抱いているのは、孫の愛子の顔を見せてくれないというようなことではなくて、皇太子が宮廷の儀式の見直しや行事臨席の縮小を発言していることに対してだろう。天皇は、今となってはナンセンスに近い宮廷祭事を忠実に履行し、無理をおして日本各地の諸行事に臨席している。これらを天皇に課せられた神聖な義務だと考えているからだ。

国民の中には、天皇のそうした行動を期待する向きもある。週刊誌は、コラムニスト辛酸なめ子の次のような言葉を掲載している。

「両陛下は毎日、国民の無事や五穀豊穣を祈られている。日本が平和を保ってきたのは、そういう儀式的な、いわばシャーマン的な力のおかげだと思います」

天皇の祈りにシャーマン的な力があるなら、太平洋戦争にも負けなかったはずだし、広島・長崎に原爆を落とされることもなかったろう。若い世代の日本人は、辛酸なめ子の言葉を一笑に付すのだが、日本人の中にはこうした神がかり式の言葉に共感を寄せる層がまだ残っており、その期待に応えるために、天皇は皇居の奥深くで衣冠束帯を身につけ、能舞台上の役者のような所作を繰り返しているのである。

天皇は自らのレーゾンデートルを宮中祭事や国民的行事への臨席に置いているから、皇太子がその見直しを言い出したりすると、自己の存在理由を抹殺されたように思ってしまう。だが、皇室は一代ごとに近代化してきているのである。明治天皇は江戸時代の大奥のようなものを宮中に用意し、そこに通って女官の一人に大正天皇を生ませている。昭和天皇はそれを改めて一夫一婦制にしたし、現天皇もうまれた子供たちを膝下で育てて「マイホーム天皇制」を確立しているのだから、現皇太子が旧態依然たる宮中祭事の見直しを言い出しても、何の不思議もないのだ。

それにしても、ルイ王朝と日本の皇室の違いには驚かされる。
日本の皇族も、あれだけ多数の宮内庁職員に囲まれているから、成人してからも赤ん坊のように面倒を見てもらっているに違いない。そして彼らは宮内庁職員や国民の好奇の目にさらされ、一挙一動を話の種にされている。宇宙人がやってきて、王族や皇族を見たら、これらの人々は公費を使って見世物用に育てられた人間パンダだろうと判断し、深甚なる同情を惜しまないと思われる。

ルイ王朝の王族や、イギリス王室のメンバーは、何もすることがないから社交や恋愛遊戯に明け暮れることになる。だが、日本の皇族は宮中祭事や行事臨席という「公務」を山ほど抱え、疲労のあまり父子・兄弟が隠微のうちに対立しあっている。ヨーロッパの王族も、日本の皇族も、いづれもあまり幸福そうに見えない点は同じである。