<ヒラリー危うし>
ビル・クリントン大統領が人気絶頂だった頃、こんな笑話が雑誌に載っていた。
──夫妻がクルマで、ガソリンスタンドの前を通りかかったときに、客と話しているマスターを眺めてヒラリーが言った。
「あの人はね、昔、私の彼氏だったのよ」
クリントン大統領は、ちらっと男を眺めて軽蔑したような口調で、
「すると君は、僕と結婚しなかったらガソリンスタンドのカミさんになっていたわけだ」
ヒラリーは答えた。
「いいえ、彼と結婚したら、彼が大統領になっていたわ」
この笑話が受けたとしたら、「ビル・クリントンが大統領になれたのは、ヒラリーのおかげだ」という世上の見方が背景にあったからだ。実際、クリントンは妻に助けられていた。
大統領選挙に出馬したクリントンが、女性問題のスキャンダルを暴かれて苦境に立ったことがある。Wikipedia からその部分を引用してみよう。
「同年秋、ビルとクラブ歌手ジェニファー・フラワーズの不倫問題が公になり、この両者の間で交わされた電話の会話の一部を録音したテープがマスコミに流出すると、それまで選挙戦を優勢に戦っていたビルの支持率が急落した。
これを受けて、ビルとヒラリーは危険を覚悟で報道番組『60 Minutes』に出演、ここでビルは素直に非を認め、ヒラリーはそうしたビルを一方的に弁護、この一件は<過去のこと>と自信を持って言い切った。
このインタビューが1992年1月、全米一の視聴率を誇るスーパーボウル生中継の直後に放送されると、これを好感した世論はクリントン夫妻擁護に傾き、「ヒラリーはこれまでの大統領候補夫人とはまったく違った存在」という認識が一般に広まることとなった。ビルはその後各州における予備選を優位に勝ち進み、同年8月に民主党の大統領候補指名を受け、11月の大統領選では現職のブッシュ大統領を破って当選した」
クリントンも、大統領選挙ではヒラリーを積極的に利用している。
クリントンは、ヒラリーとのコンビを「ひとつ分のお値段で、ふたつ分のお買い得 ("get two for the price of one")」と言って、有能なヒラリーの存在を大いに宣伝したのだった。
今週の「週刊文春」で、立花隆もヒラリーの有能さを強調している。
「ヒラリーは、有能という点では驚くほど有能な女性である。クリントン時代、夫人の方が有能といわれたくらいだから、大統領の仕事を明日からでもバリバリこなせるだけの能力を持っている」
だが、ヒラリーの存在があまりに大きくなると、米国人の間に「ヒラリー・ヘイター(ヒラリー嫌い)」の群れを生み出した。彼女の他者を小ばかにしているような話し振りが、批判者たちの憎悪を加速させたのである。
立花隆も、「(ヒラリーの)常人をこえた有能さと強固すぎる意志力が一部の反発をまねき、当初絶対有利といわれた選挙戦でズルズルと星を落とす原因を作った」といっている。
しかしヒラリーが嫌われる最大の理由は、彼女がリベラル左派であるからだろう。
彼女は、ベトナム戦争や人種差別に反対した。そして彼女は急進的フェミニストであり、妊娠中絶に賛成している点で、アメリカ民衆の主流をなす宗教右派と反対の立場に立っているのだ。
アメリカは日本以上に格差社会だから、知的な面でも国民の格差は日本以上に大きい。ニューヨークタイムスを読む大学卒業者が多数いる反面で、文盲の民衆も想像以上に多く、そうした遅れた階層をバックに学校で進化論を教えることに抗議するような地方議員を続出させている。
そこに行くと、日本の「遅れた民衆」もアメリカの無知蒙昧の大衆ほどではない。アメリカの政治家が日本にやってきて驚くのは、わが国のホームレスが新聞や週刊誌を読んでいることだという。
野心的なヒラリーは上院議員に当選した後に、大統領になることに目標を定めた。この時点から、彼女は、国内の宗教右派との妥協を考えるようになり、ブッシュのイラク戦争に賛成票を投じた。これが間違いだったのである。
これまでヒラリーを支持していた若い世代が、彼女を見限ってオバマ支持に回ったのだ。オバマは、とにかく最初からブッシュのイラク戦争に反対し、信じるところを曲げなかったのである。
大統領予備選挙の結果がどうなるか分からないけれども、政治家はヒラリーが追いつめられた理由を省みて、これを他山の石とすべきではなかろうか。政治家たる者、一時の打算に目をくらまされて、遅れた世論に迎合してはならないのである。