(上図は児玉せき 下図は森志げ)
<鴎外の婢>
森峰子は恐るべき母親だった。
目的を達するためには手段を選ばなかった。鴎外の出世のために有力者の私宅を歴訪するだけでなく、孫の家庭教師をしていた大学生のためにも裏面工作をするような女だったのである。大学生が単位を落としたと聞くと、担当の大学教授を訪ね、単位の件で掛け合っているのだ。
そんな母親だったから、息子の森鴎外が離婚後独身でいるのを放っておくはずはなかった。鴎外は28才で離婚してから、荒木志げと再婚するまで13年もの間独身でいたのである。28才から41才までといえば、心身共に充実した壮年期だから、母親は息子の性欲処理の問題を懸念し、児玉せきという士族の未亡人を探してきてあてがっている。つまり、彼女を自宅の近所に住まわせ、鴎外の妾にしたのだ。児玉せきは、「うまずめ」だといわれていたから、峰子は安心して彼女を雇ったのだが、実際は彼女には子供があった。
峰子は万全の状況を整えておいて、息子の鴎外が所在なさそうにしていると、「せきのところに行ってお出でよ」と妾宅に出向くように促した。すると、鴎外は、ぶらり家を出て、「生理的な処理」を済ませて自宅に戻って来るのだった。
文壇でも、軍医の世界でもソツなく生きてきた鴎外は、女中や馬丁など私的な使用人をコントロール出来ず、何時も手を焼いていた。先へ先へと手を打つ峰子は、九州小倉に赴任した鴎外が女中の問題で四苦八苦していると知ると、使用人と鴎外の間に仲介者を置く必要を感じ、息子に児玉せきをそちらに派遣しようかと提案している。児玉せきを主婦代わりにして、女中や馬丁を取り締まらせたらどうかと考えたのである。
しかし、鴎外は母の提案を拒んでいる。児玉せきは、容貌もかなり美しく、性格も素直だったといわれるが、エリスの前例もあり、鴎外は女と深い関係になることを避けたのだ。後年、鴎外は息子の於莵に「きまった女を相手にするのはよくないな。その時々にした方が無事だ」と忠告している。
峰子は、それではと次に思い切った提案をしている。以下は、於莵の手記。
<宅にいた上品で怜例で心がけのよい、みめも悪くない
(原注。ちょっとモナリザか聖母マリアを思わせるよう
な所があった)女中にYというのがいた。
私もなついていたのでどうかと思ったらしい祖母は、
かねて父もそれを賞めていた所から『まさかあれでもい
けまいが』位に軽く父の気を引いてみたらしく、小倉か
らの父の手紙に、御言葉通り人物としては申し分なく、
身分なぞ自分は何とも思わぬが、種々の関係でそうも行
くまい『世間は面倒なるものに候』と書いている。>
息子の再婚相手に厳しい条件をつけていた峰子だったが、背に腹は代えられず、あえて女中を鴎外の妻にと考えるようになったのだ。
母親をこれほどまでに心配させた女中問題とは、いかなるものだったろうか。松本清張の「鴎外の婢」は、この問題を取り上げている。
鴎外が単身で小倉に赴任したとき、男盛りの38才だった。師団の軍医部長という地位もあり収入もある鴎外は、小倉に着任すると独身男には不相応な家を一軒借りて暮らすことになった。早速、小女を雇ったが、周囲の嫌疑を避けるために、夜は家主の女中を一人借りて自家の女中と一緒に寝かせるという方法を取っている。だが、小女も、そして家主から夜だけ借りてきていた女中も、間もなく鴎外のもとを去ってしまう。
鴎外が雇った小女は、行水をしているところを家主の女房に見られ、妊娠していることを知られてしまう。鴎外が女を呼んで問いただすと、16才の小娘は妊娠の事実を頑として否定し、そんな噂が立っているなら辞めさせていただくと暇を取ってしまった。泊まりに来ていた家主の女中も、軍人の家の仕事量の少なさと給料のよさに惹かれて師団長の家に移り住んでしまう。
そこで鴎外は、口入れ屋に頼んで、今度は女中を二人まとめて雇うことにした。
年長の女中は木村元といって20才、年下の方は春といって14才だった。鴎外は年長の木村元が気に入り、目をかけるようになる。鴎外は、この木村元について「小倉日記」の中に次のように書いている。
「京都郡(みやこぐん)の小学校にありて諸礼及裁縫を女生に授けたりき。祖父母ありて二親なく、をぢに後見せらる。をぢの己のために婚を議するに及びて、出でて婢となる」
木村元は、小学校で女生徒に礼儀作法と裁縫を教えていたが、後見人の叔父が意に染まぬ結婚を強いたので家を飛び出して女中になったというのだ。
二人の女中をやとったものの、年下の春は一週間とたたないうちに辞めている。理由は、鴎外の家が彼女にとって寂しすぎたからだった。そこで、新たに久という女中を雇い入れたが、これは三日目に辞めさせた。手癖が悪かったからである。
鴎外はこの時期をテーマにした作品に、周囲の嫌疑を避けるため自分と女中が二人だけにならないように注意したと繰り返し書いている。彼は自宅で客を接待するようなとき、行きつけの料理屋三樹亭の美人姉妹を呼んでコンパニオンの仕事を依頼していた。この時にも彼は、客が多くても少なくても姉妹二人を一緒に呼んでいる。
だから、読者は何となく鴎外の所には、何時でも女中が二人いたと思いこまされるのだが、鴎外の日記を読むと、手癖の悪い久を辞めさせてから48日の間、鴎外宅に木村元一人しかいない状態がつづいているし、その後ようやくハマという女中を雇って「女中二人体制」を実現したけれども、この女中も半月後には辞めて、それからはまた鴎外と木村元の二人だけの生活に戻っている。
鴎外と木村元との一対一の生活は、新たにもう一人女中を雇うまで更に三ヶ月足らず続いた。二人の水入らずの生活が終わったのは、妊娠していた木村元の産期が近づき、宿下がりする日が迫ったからだった。彼女は鴎外に雇われてから七ヶ月ほどして出産しているから、鴎外の子供とは思われない。
松本清張「鴎外の婢」によると、鴎外は木村元の叔母から木村元の妊娠について次のような説明を受けていた。それによると、木村元は結婚するのを嫌って家を飛び出したのではなく、いったん嫁いだ後で婚家から逃げ出したのだった。
先般、親族が相談してモトを無理にある男のもとに嫁入
りさせた。モトはすぐに婚家から遁げて帰った。当時は先
方に義理があって親戚がモトのわがままを叱り、夫のもと
に戻るようにすすめたが、モトにその気がない。
幸いにあなたさまのところに奉公できたので、親族はみなよろこん
でいる。ところが、あなたさまに申し上げなければならな
いことがある。それはモトが妊娠していることである。嫁
入りした日から推察すると、子供が生まれるのは来年の春
と思われる。こういう次第だが、モトをもうしばらく、こ
ちらさまで使っていただけないだろうか。
木村元の跡を継いだ玉という女中は、とんでもない女だった。昼間から酒を買ってきて飲むかと思うと、鴎外の金を盗んで逃亡してしまったのだ。
玉の後釜に雇い入れたまさという女中も、玉に劣らぬ剛の者で、毎晩情夫の所に外泊して朝になって帰ってくる。その上、料理も出来ないし、裁縫も出来ない。おまけに、性病を患っていた。
木村元は鴎外宅に雇われて7ヶ月後に女児を出産し、体調が戻ると、赤ん坊を他家に預けて再び鴎外の所に戻っている。そしてさらに7ヶ月働いた後に、木村元は結婚のため鴎外のもとを去ったということなっている。小倉日記の明治33年11月24日の項に次の記述がある。
<婢元罷め去る。
まめなりし下女よめらせて冬ごもり>
松本清張の「鴎外の婢」は、浜村幸平という文筆業者が、鴎外のもとを去った木村元のその後に興味を抱き、その系列を調べて孫娘のハツにたどり着き、ハツが殺されたのではないかと疑って犯人の探索に乗り出す話である。作品の前半は文学散歩風の考証、後半が推理小説仕立てになっているのだ。
その前半の部分を読んでいて、私は鴎外がしきりに「女中二人体制」について強調するのは何か別の意図があるからではないかという気がした。小倉日記も独逸日記もフィクションを交えているとは思われない。しかし、独逸日記にエリスに関係した記事は、一言半句もないのである。独逸日記と小倉日記は、鴎外自身の手によって不都合な箇所を削除されていると思われるのである。そして小倉日記から削除されているのは、木村元に関する部分ではないかと思われるのだ。
荒木志げ子と再婚した鴎外は、彼女と小倉で暮らし始める。小倉日記には、これ以後女中に関連した記事はぴたりとなくなるのである。