<母も昔は、小さな女の子だった>
何故か私は、以前から白人と結婚した日本人女流作家の作品を好んで読んでいる。
数日前にも、アメリカ人と結婚している伊藤比呂美の著書を大変面白く読んだ。最初は、詩人にして作家・エッセイストである伊藤比呂美がアメリカ人と結婚しているとは知らなかったのだ。そもそも彼女の作品を読んで見ようと思ったのは、「母も、昔は小さな女の子だった」というフレーズが伊藤比呂美の詩のなかにあると知ったからなのである。
「母も、昔は小さな女の子だった」という言葉には、意表をつく衝迫力がある。
父親が昔はどんな子供だったろうと想像することはあっても、母親にも子供の頃があったという事実にはなかなか思い至らない。日夜家族のために奮闘している母親からは、幼児のイメージが湧いてこないのだ。
インターネットで調べたら、伊藤比呂美にはかなり多くの著書のあることがわかった。そのなかの紫式部文学賞と萩原朔太郎賞をダブル受賞した「とげ抜き新巣鴨地蔵縁起」という本が面白そうだったので、楽天ブックスに注文して読んだところ、期待に違わぬ爽快な本だった。著者の伊藤比呂美が米国人と結婚していることを知ったのも、実はこの本を手にしたからだった。
私にはこの著者についての知識が皆無だったから、伊藤比呂美がどのような事情でアメリカ人と結婚することになったか知らない。しかし、この一冊のエッセー集を読めば、著者のプライベートな生活をある程度は推察できるから、それをざっとここに書き出してみる。
伊藤比呂美は東京に生まれた。彼女は一人娘だったが、結婚した相手が熊本の男だったので、熊本で暮らすことになった。それで彼女の両親も娘の後を追って熊本にやってきて、娘夫婦の家の近くに住み着くことになる。
だが、両親は娘が二度の離婚を繰り返した後にアメリカ人と結婚し、カリフォルニアに引っ越したため、夫婦二人で熊本に取り残されることになった。
伊藤比呂美がアメリカ人と三度目の結婚をしたのは、10年前のことだった。当時彼女は40歳で、二人の娘を育てていた。そこへ又新たに娘が生まれてきたから、結局、夫婦で三人の娘を育てることになった。このアメリカ人の夫というのが、やはり過去に二度の離婚歴があり、結婚当時は80歳だったというから、現在は90歳になるはずだ。彼はイギリス系のユダヤ人だということだが、比呂美は彼が何を職業にしているか一言も書いてない。この辺は、ちょっと気になるところである。
カリフォルニアで暮らしている伊藤比呂美の身に、七難八苦がふりかかる。
熊本に残してきた両親が、相継いで病気になったからだ。母は脳梗塞で全身不随になり、父には認知症の傾向が現れる。両親の病状が深刻化するたびに、比呂美は小学生の末娘を連れて太平洋を一飛びして日本に戻ってこなければならない。
ジェット機で成田に着いても、そこから羽田に移動して国内空路で熊本まで飛ばなければならないから、容易なことではない。母を病院に訪ねると、医者は病人を大学病院に移したほうがいいと助言する。何だかんだと滞在が長引くから、その間の二ヶ月、娘を転校させ日本の小学校に通わせなければならなかったりする。
彼女が日本とアメリカの間を頻繁に往来している間に、大学に通っている次女がノイローゼになって休学しなければならなくなる。と思うと、伊藤比呂美自身も子宮の手術をして、退院後その手術が失敗していることが明らかになって再入院の必要が出てきたりする。
無数の棘が刺さったように「苦」の絶えることがないので、彼女は子供の頃、祖母や母に連れられて出かけた巣鴨のとげ抜き地蔵に通うことを考え始める。そして、こんな詩を作るのだ。
わたしは認識する、それを
自分はみぢんの存在であると、そして
わたしは信じる、この巨大な存在を、
わたしは信じる、苔々を、緑々を、
わたしは信じる、ごはんのひとつぶひとつぶに宿る精霊を、
わたしは信じる、人の善意を、犬の善意を、
わたしは信じる、煙を、
わたしは信じる、「とげ抜き」の「みがわり」を、
わたしは信じて、そして認識する、自分は、
この巨大な存在とひとつになり、ちらばった、
みぢんの存在であると
そういう伊藤比呂美を夫は、度し難いアニミズム信者だと批判するのである。
彼は無信仰者であることが、人間として高みに立つことになるという、ユダヤキリスト教文化を裏返した信念の持ち主だった。なにしろ彼の自我の中心には、何も信じない、誰も信じない、信じられるものは自分だけという考え方が牢固として根付いているのだ。
こういう夫婦だから、喧嘩も時々する。
夫婦喧嘩をしてみると、今の夫が日本人の夫たちとは全く違っていることが分かるのだった。
<この夫は、湯ざましのようになまぬるく妥協もすればだんまりも決め込む日本の夫たちとはわけがちがい、ユダヤ系英国人のインテリ文化に生まれて育ち、討論と論争にあけくれ、言葉の白刃の下をかいくぐり、わたしの二倍の年齢を生き抜いてきた夫であります>
これに対して、伊藤比呂美の方は、「文句があれば、だまって相手をたたっ切るか腹を切る文化から出てきた人間」だから、話が合うはずはない。夫婦喧嘩を電話でするのは不毛なので、メールでやりとりするようになった。夫からは、こんなメールが届く。
<おれはおまえをサポートしてきた、おれはおまえの子どもたちをサポートしてきた、おれはおまえの仕事をサポートしてきた、おれはおまえが親の世話をするのをサポートしてきた、それなのにおまえはおれを信じていないじゃないか>
比呂美は、これまでの10年を思い返して、自分が夫を信じていなかったことを発見する。それで、簡にして要をえたメールを送り返す、「あなたの言うとおり、私はあなたを信じていませんでした」と。
すると、サーバ越しに夫のわめき散らす声が聞こえてきた。
<「妻は獰猛で不実で破廉恥で感情も無く、夫を信じてもいない、愛してすらいない、人間ですらない」
夫はキイボードをたたきのめしました。たたきのめしました。たたきのめしました。たたきのめして、夫は、ののしりの言葉をかきつらねました>
そこで比呂美は、再び簡にして要をえたメールを送るのである、「あなたは、あまりにもアグレッシブで、あまりにもネガティブです」。
すると夫は、またもや怒り狂う。
<おまえはおれをネガティブだというが、ネガティブ? おれは仕事の上でほかの人間が為しえないものを成し遂げた男である、それをネガティブであるというか、いえるか。
おまえは家を空けることに引け目を感じている、
おまえは仕事をすることに引け目を感じている、
おまえはおれを置いていくことに引け目を感じている、
ぉまえは引け目をすべてのことに感じている。おまえの引け目を感じるのはもうたくさんだ・・・・さいごのほうはぜんぶ大文字で、文字通り絶叫しておりました>
こういうやり取りをしているうちに、比呂美は夫の憤怒の背後にはセックスに関する彼の劣等感が潜んでいることに気づくようになる。彼女は夫との間にセックスの必要などないと思っていた。互いに空気のような存在であればいいと思い、夫にもそのことを納得させたつもりでいたのだが、「老いた心にある引け目」に気づかず、彼女は相手の劣等感を不用意に刺激してしまったのだ。
──私は何でもかんでもあけすけにさらけ出す伊藤比呂美の文章を読んでいて、何故自分が外国人と結婚した女流の作品を愛するのか、その理由を理解したように思った。彼女らは、外人と夫婦になり、外国で暮らしているうちに日本的情念を超えた精神の地平を領有するようになったのだ。目から鱗が落ちたのである。
彼女は夫から攻撃されれば、おめず臆せず反撃に出ている。相手は老いたりとはいえ、彼女の二倍の背丈を持ち三倍の体重を擁する大男だが、彼女は一歩もひかずに立ち向かうのだ。
伊藤比呂美は、過去を振り返って平然とこんなことも書いている。
<わるいことをいっぱいしてきました。しないではいられなかったんです、女がひとりおとなになっていこうとしたら、生臭いこともわるいことも思いっきりしないではいられなかったんです。そのけっか万の仏に疎まれたようなこの苦労、男で苦労し子どもで苦労し、またまた男で苦労して、一息ついたと思ったらこんどは親で苦労しております>
彼女が、「若い頃は、ソーハ、へでもありませんでした」と書き、何度も堕胎を繰り返して水子を殺してきたことを語るのも、寛容で平明な外国の生活を体験して来たからなのだ。彼女が、母も昔は小さな子供だったことに思い至ったのも、日本的情念を超えた外人の目を持つようになったからであり、というより、人類普遍の目、普遍者の目をを持つようになったからなのだ。