<自民党を再生させるには>
自民党を再生させるには、保守右派をアテにしてはならない。
谷垣自民党総裁は、これまで党内ではリベラル派の一人と見なされていた。だから小泉純一郎や安倍晋三の靖国参拝に批判的で、そうした行動は自粛すべきだと言って来たのである。それが、前言を翻して10月19日に靖国神社に参拝しているのだ。この矛盾を記者たちから問われた谷垣総裁は、「あれは首相が参拝するのは自粛すべきだと言ったので、党の総裁に関する発言ではない」と苦しい弁明をしている。
彼の切ない胸の内は、分からないではない。「苦しいときの神頼み」という言葉があるけれども、自民党の領袖は反転攻勢を狙うときには決まって靖国参拝を持ち出すのを例としてきた。彼らは、そうすることで、保守右派の支持が得られると信じていたからだ。
靖国参拝そのものが悪いというのではない。有力な政治家になったら、靖国参拝という行為を軽々に弄んではならないといっているのである。靖国参拝に対しては近隣諸国の強い反発があるのだから、政治家たる者、参拝によって得られる保守右派の支持と、参拝によって招き寄せるであろうアジア諸国民の反発を秤にかけて、そのプラス・マイナスを計算しなければならない。
ところが小泉純一郎は、中国や韓国の怒りを無視して、国内における自分の立場だけを考えて靖国参拝に踏み切っている。当時、中国は日本から「新幹線」を導入する計画を立てていたが、小泉に対する抗議から、この計画を中止してしまっている。彼は自分の政治的立場を強化するためなら、国益を損なっても意に介しなかったのだ。
保守右派の誤りは、近隣諸国民の心に今もなお戦争中の日本への嫌悪感が残っていることを知らないことだ。田母神元空幕長などは、中国侵略は日本の自衛戦争だったと宣伝するだけでなく、臆面もなくアジア人は日本を敬愛しているなどと放言している。
東南アジアの民衆の間に、「醜いアメリカ人」という言葉が流行したことがある。ベトナム戦争でアメリカと戦ったベトナムには、特にその声が高いとされていた。自国の富強を誇るアメリカ人は、アジアにやってきて傍若無人な振る舞いをするという理由でこうした言い方が行き渡ったのだが、アジアには、実は、「アグリー・アメリカン(醜いアメリカ人)」という言葉以上に、「アグリー・ジャパニーズ」という言葉が普及しているのである。
ベェトナムの元外相、グエン・コ・タクは、一九八六年に記者にインタビューされたときにこう答えている。
「私が見たところでは、はとんどのベトナム人はベトナム戦争中に米軍が犯した残虐行為に対してアメリカ人を許しているが、私を含めた同胞の多くは、太平洋戦争中に日本軍に痛めつけられたことに対し、いまだに日本人を許してはいない」
彼らの遺恨がこれほど根深いのは、日本人が初めはインドシナの解放者のふりをしながら、たちまち本性を現して住民への憎むべき圧政者となった為だ。
堺屋太一監訳の「嫌われる日本人」(NHK出版)には、戦争中のフィリピンで日本兵が何をしたかが赤裸々に記されている。
<「大東亜という日本帝国主義の夢が灰燵に帰したのは、ここマニラででした」と、フィリピン人ジャーナリストで出版業者のマックス・X・ソリグェンは回想する。一九八八年二月、彼は四三年前にこの市で起きた数々の血なまぐさい出来事の回想録を書いた.
それによれば、もっともひどい蛮行のいくつかは、マッカーサー元帥指揮下の連合軍がマニラ北部の港湾地区バターンを奪回したあとで、日本の占領のまさに最後の数日間に起こった。
当時(一九四五年二月初め)、何万人ものフィリピン人が日本軍の人質になっていた。
「日本兵たちはレイプと殺人の狂宴にふけっていた。家々に手榴弾を投げ込み、人びとが固まって隠れているシェルターを空爆し、不運な市民を建物の中へ押し込めて火を放ち、残りは銃剣で突いたり首をはねたりした。何百人もの女が強姦されたあと惨殺された。男はブタさながらに四肢を一緒に縛られ、軍刀で止めをさされるか、単に銃殺された。性的暴行だけで満足せず、野蛮な兵隊たちは女の乳房をナイフや銃剣で切り取った。赤ん坊や子供は目をえぐり取られたり、壁に頭を打ち付けて殺された。全体で一五万人以上のフィリピン市民が虐殺された」>
フィリピン作家のホセ・F・シオニルによると、フィリピン人の日本に対する怒りは凄まじいものになっていたので、日本に原爆が落とされた時に、
「アメリカは手ぬるい、なぜ東京や京都や日本の他の都市にも 原爆を落とさないのか」
と思った者が多かったという。フィリピン人だけでなく、東南アジアの諸国民の多くは、米国が日本に原爆を落としたのは正しいことだったと肯定している。彼らの胸の内には、戦争中にあれだけの蛮行を働いた日本人が、原爆を落とされたことで殉教者のような顔をするのは虫がよすぎるという思いがあるのである。
──戦前の日本を知らない国民は、こうした話を聞いても切実感がないこもしれない。もし日本が戦争をしたとしても、日本の兵士は二度とこんな蛮行を働くことはないだろうからだ。日本人は、戦後民主主義の洗礼を受け、人権思想についても十分に教育されて来ている。これが、現代人の頭から簡単に消え去ることはないのである。
だが、戦前のわが国では愛国教育が中心で、人権尊重の考え方など「米英思想」だとして学校教育から排除されていた。そして日本人は世界一優秀な民族で、天皇を中心とする神の国だと教え込まれていたのである。保守右派とは、今もまだ戦前の夜郎自大的国家観を持ち続けている面々なのである。
安倍晋三は、戦後レジームからの脱却を唱え、人権尊重の戦後教育を否定して、戦前の愛国教育を復活させようとしたのだった。彼に言わせると、南京虐殺・マニラ虐殺を実行した過去の日本こそが「美しい国」なのだから、戦後の堕落した日本を戦前に戻さなければならないというのである。何たる罰当たり。
何たる価値観の顛倒。
「嫌われる日本人」という本には、こんな一節もある。
<精神分析学の権威、小此木啓吾教授は、日本人はもっと公に過去を吟味する必要があると言っている。日本をドイツと比較して、小此木は道徳感の違いを指摘する。ユダヤ・キリスト教に基づいた信念は、ひとたび罪を犯した者は、生きている限り、その結果を背負い続けねばならないとしている。
だが東洋の哲学では、人はみずからの過ちを認め、謝罪し、償いをすれば、新規蒔きなおしで出直せるとされている。西欧文化では罪を認めることは強さのしるしと見なされるが、日本では逆に弱さのしるしだ。
そんなわけで、一九九一年春、海部首相はシンガポールで行なったスピーチで、「謝罪」という言葉をわざと避けて、「深い反省」を表明したにとどまった。>
ユダヤ・キリスト教の倫理観を東洋哲学の上に置くという考え方には、俄に同じがたいけれども、過去の日本を美化して戦後の日本を否認する安倍晋三や保守右派を眺めていると、憂鬱な気分になるのである。彼らは、戦前の日本の非を認めず、謝罪することなど夢にも考えていない。
だが、過去の日本が犯した罪を認めない保守右派には、未来がない。良識ある国民の右派への批判は年々厳しくなり、国民の保守離れが静かに進行しているからだ。保守右派をアテにして自民党の再生をはかるとしたら、それは自身の墓穴を掘るようなものなのだ。