怒りを覚えたら
昨日、テレビ番組に関する読者の投書欄(朝日新聞の「はがき通信」欄)を読んでいたら、濱本定子さんという78歳主婦の方の投稿が載っていた。次に掲げるのがその全文である。
「怒りを覚えた」11日の「民
教協スペシャル.少年たちは
戦場へ送られた」 (朝日ほ
か)は、当時の自分と同じ年
頃の子どもたちが……と胸が
いっぱいになり、ペンを執ら
ねばという気持ちに駆られ
た。国民学校高等科を出たば
かりの少年たちと先生の一団
が希望に燃えて「満蒙開拓青
少年義勇軍」として満州へ渡
ったのは、敗戦の色濃い19
44年。はじめから戦争にか
り出された子どもたちだった
と知り、戦争の悲惨さと愚か
さに怒りを覚えた。(川崎市
・濱本定子・主婦・78歳)
実は、私もこの番組を見て、投稿者と全く同じ怒りを感じた。国民学校高等科修了といえば、今なら中学二年修了の年齢で、まだ子供なのだ。こういう少年たちをソ連との国境線近くに送り込み、いざとなったらソ連兵を防ぐ盾にしようとしたのである。
今日,別の新聞を読んでいたら、この番組に対する感想が投書欄に載っていた(信濃毎日新聞「建設標」)
先日、第2次大戦中に満州へ
送り出された少年たちのドキュ
メンタリー番組をテレビで見
て、私は涙が止まりませんでし
た。彼らが信州を離れて見知ら
ぬ遠い土地に渡り、過酷な運命
をたどったのは10代半ば。今の
私の孫と同じくらいの年です。
「満州へ行けば地主になれる」
との言葉を信じ、それぞれ希望
と期待に小さな胸を膨らませて
海を渡りましたが、1945年
8月、ソ連の参戦で逃避行や収
容所での生活を余儀なくされ、
その中で多くの仲間たちが亡く
なったのだそうです。
当時の少年たちは現在、80歳。
帰国できた数人が亡き友の慰霊
のために現地を訪ね、地べたへ
ひざまずいて「もっと早く来た
かったのだが…」と涙にくれて
いる姿が痛々しく映りました。
インタビューでも、悔しさを押
し殺しながら、淡々と思いを語
っていました。
外地で散っていった方たちも
どれほどつらく、悔しかっただ
ろうと思います。私は思わず、
画面に向かって手を合わせてい
ました。
飯田市 宮井 幸子
(無職・71)
戦場に送り出された大人の兵士たちも、ニューギニアで、あるいはビルマで悲惨な死に方をしている。けれども、これら少年たちの無残な死には、一層強く心が痛むのだ。そして、その後で別の意味で暗澹たる気持ちになる。それらの受難者たちが現地では住民に対する加害者になっているからだ。
満州に渡った少年たちは、原住民たちの優良農地を没収して自分たちの畑にしたのだった。そのため村から追い出された現地農民たちは、泣く泣く不毛の荒れ地に移って、そこを「開拓」しなければならなかった。戦場に駆り出された大人の兵士たちも、捕虜たちを生きたままで立木に縛り付け、いかに上官の命令だったとはいえ、「度胸試し」のために銃剣で刺殺しているのである。
戦前の日本人は、老いも若きも国家から残酷な扱いを受け、そして国外に出て行くと今度は他国民に対して暴虐な振る舞いをしたのだ。こうした事実は、戦後に人権尊重の教育を受けた日本人なら、誰でも知っていることである。だから、もし現在生きている日本人が、「開拓少年義勇軍」の少年になって満州に渡ったら、原住民を追い払って農地を手に入れたことにやましさを感じたであろうし、日中戦争に出陣した兵士になったら、多分、捕虜を刺殺するようなことはしなかったに違いない。
われわれは、日本軍国主義の非人道性や残酷さに怒りを覚える。だとしたら、われわれは何をすべきだろうか。ただ、「戦争はいやだ」と口にしているだけでいいのだろうか。
安倍晋三は、戦前の「美しい国」に回帰しなければならぬといって、自民党員から支持され首相になった。彼は、戦後教育が個人の権利ばかり教えて日本人を堕落させたから、自分は教育基本法を改正して戦後レジュームを粉砕すると豪語していた。つまり、彼は少年義勇軍を送り出し、中国やフィリピンで住民を虐殺した戦前の軍国日本を「美しい国」だったとして賛美し、そうした残虐な行為に対して反省を求める戦後民主主義を悪だとして頭から断罪しているのである。
こうした政治家は安倍晋三だけでなく、石原都知事、平沼 赳夫衆院議員など数えればきりがない。最近は、デマゴギー専門の田母神元空幕長まで加わって、戦前賛美に精を出している。ドイツでは、ナチスを賛美する運動を刑法によって処罰しているが、日本では戦前の軍国時代を賛美する政治家を首相にしているのである。
戦前の残忍な軍国主義に怒りを覚えたら、軍国主義を賛美する言説に「ノー」といわなければならない。それが戦前回帰を唱える政治家だったら、その政治家に投票しないだけでは足りない、彼に反対する政治家を支援して落選させなければならない。具体的な方法はいくらでもあるのである。