(ワイエス「納屋」)
ネズミと暮らしていた頃(その2)
精米屋の物置に移ってからしばらくして、田舎の母親が様子を見に訪ねてきた。自炊して暮らしているという息子のことが心配になったのだ。
母は、すっかりびっくり仰天したらしい───がらくたを詰め込んだ物置の二階に万年床を敷いて、私がネズミと一緒に暮らしているのを見たからだ。肥満気味の母は、二階に上がるのに、危険を冒して植木屋が使うようなハシゴを上らねばならなかったのだ。
私が自炊をしていると聞かされていたのに、物置には台所もないし、トイレもないのだ。飯を炊く時には、戸外にある手押しポンプ式井戸で米を洗い、七輪を軒先に置いて炭火で炊かねばならない。そして、雨が降れば、傘をさして、畑の隅の外便所に走るのである。
母は息子とゆっくり話せるように日曜日にやってきたのだが、折悪しく勤務先の学校に用事ができて、私は急に登校することになった。それで母を物置に残して駅に急いだら、これから畑に向かうところだというKとぱったり顔を合わせた。Kは、思わしい就職口がなかったので家にいるのだった。
「どこに行くんだ?」
と、Kに質問されて、「学校だよ。お袋が来ているのに、呼び出されたんだ」と答える。
「そうか、たいへんだな」といって彼は畑の方に歩いて行った。
結局、学校の用事は午後までかかり、私は急いで精米屋に戻った。これから母を泊める場所を探す必要があったのだ。まさか、物置の二階に母を泊めるわけにはいかない。連れだって駅に向かう道すがら、母はこんな話をした。
「お前の留守中にKさんが、来てくれたよ」
Kは一人で物置に取り残された私の母が退屈しているだろうと思って、物置にやってきて話し相手になってくれたらしかった。「Kさんって、面白い人だね。ボクは、どんな偉い人とでも対等に話せるといっていたよ」と母。
母がKに、わざわざ来てもらって申し訳ないと礼をいったら、Kは自分の特技は誰とでも話せることだといって母を安心させたのだ。実際、Kはいろいろな人間と話をすることを楽しみにしていた。
──母は田舎に帰ってから、家族や親戚などに私の暮らしぶりを一つ話のように話したらしかった。帰省したときに私は、知り合いから「えらいところに住んでいるんだってね」とよく話しかけられた。だが、母が物置で一夜を過ごしたとしたら、もっと驚いたに違いない。
物置に移ってすぐに、ネズミが多いらしいことを感じたが、昼間のうちはあまり気にならなかった。ネズミというのは、人間が寝静まってから活動を開始するのである。私がびっくり仰天したのは、電灯を消して床についてからだった、二階のあちこちからネズミの動き回る気配が一斉にはじまったのだ。
ネズミが走ったり、堅いものをカリカリ囓ったりしても、それほど気にならなかった。問題は、歯で紙を引き裂く高い音で、これが変に神経を逆なでにするのである。ネズミは子供を生む前にお椀型をした巣を作るのだが、その巣作りの素材として藁くずやボロのほかに細長くちぎった紙を使用する。あっちでも、こっちでも母ネズミが競って巣を作るから、ピリピリ、ビリビリという音が絶えなく聞こえてくるのだ。いったい、彼らは材料になる紙をどこから持ってくるのだろうか。
最初の夜も、次の日の夜も、そのまた次の夜も、ネズミが紙を裂く音が気になって寝付けない。ノイローゼになった私は、正気の沙汰とは思えないような阿呆なことをした。「にゃー、にやー」と暗闇に向かって、猫のなき声をしたのである。
当時、米は配給制だったから、配給所にいって買ってきた貴重な米をネズミに食われてはならなかった。そこで米を麻の袋に入れて、頭上の梁に吊しておくことにした。この袋は口を巾着袋のように紐で閉じる仕掛けになっているので、いかにネズミでも内に入り込むことができないと思ったのだ。
翌日、帰宅してハシゴを登り、階上の机の前に座ろうとしたとき、肩が麻袋にぶつかった。すると、驚くべきことが起きた。キッチリ口を閉じておいたはずなのに、袋の中から子ネズミが現れて、紐を伝って梁に上がり、暗闇に姿を消したのである。ボー然としていると、その後に続いて、袋の中から次々にネズミが姿を現すのだ、二匹、三匹、四匹・・・・
もっと驚くべきことが起きた。
私は田舎から出て来るときに、布団のほかに短冊型の経机を持参した。学生の頃、この机の前にあぐらをかいて座り、本を読んだりレポートを書いたりしていたのだった。物置の二階に移ってからも、この机を壁際に置いて、授業の下調べなどをしていた。
夜、この経机に向かって本を読んでいたら、目の前の土壁に埋め込んである横柱の縁に子ネズミが現れ、一方から他方へ通り過ぎていった。その横柱は土壁の中に塗り込んであるけれども、その一部が壁の外にはみ出ている。といっても、はみ出ているのは1〜2センチに過ぎない。その僅か1〜2センチ幅の上端を廊下のように使ってネズミが通り過ぎたのである。
やがて一匹が通り過ぎると、次の一匹がその後を追い、何時の間にやらネズミの往来が絶えないようになった。山深い森の中などに「けものみち」が出来るというけれども、ネズミも「ネズミみち」を作って移動する習性があるらしかった。古今亭志ん生の自伝を読むと、「ナメクジの艦隊」という話が載っている。貧乏時代の彼の借家にナメクジが這い回り、艦隊のようだったというのだが、その伝でいえば、目の前に見るネズミの行列はネズミの騎馬隊ということになる。
ネズミの騎馬隊は、目の前50センチの至近距離を行き来しているのだから、手袋をはめて片っ端からネズミをつかみ取ることも可能だった。捉まえたネズミを袋に入れて用水路にでも放り込めば、少しは彼らの数も減るかもしれない。が、ネズミの鋭い歯をみると、下手に掴んだりすると噛みつかれそうで怖くなる。私は天性の臆病者なのである。
それから、こんなこともあった。
ある日、帰宅して壁に掛けてあった衣類を取ろうとして手を伸ばしたら、ぐにゃりとした暖かなかたまりを掴んだ。とっさに、(あ、ネズミだ)と思って、振り払ってから、よくよく見たらコウモリだった。物置の窓は、ガラス戸ではなく全面板の板戸になっている関係で、私は採光のため窓を昼夜開け放しにしていた。それで、コウモリも平気で窓から出入りするようになり、天井裏に住み着いていたのだ。
とにかく、ネズミはあきれるほどたくさんいたのである。だが、私が見かけるのは、ほとんど子ネズミばかりだった。子ネズミは、まだ生きることに拙だから、人を恐れることを知らない。空のバケツに落ち込んで息絶えたり、私が飯を炊く鍋に入り込んで外に出られなくなったりするのは、そのためだった。こんな子ネズミだから、猫の格好な獲物になるのである。
私は、物置を餌場にしている猫を見たときの驚きを忘れることが出来ない。その猫は精米屋近辺をテリトリーにして、ほかの野良猫を寄せ付けないでいる凶悪なボス猫だった。彼は、毎日好きなだけ子ネズミを食べているために骨格から何から猫のレベルを超えて大きくなり、見たところ中型犬並の大きさになっていた。凄みのあるのがその猫の目で、まさに猛獣の冷たく据わった目なのである。
・・・・というような話をしていると切りがないが、私が物語ろうとしたのは、このネズミと一緒に暮らした精米屋寄留時代こそが、私の人生で一番幸福な時代だったらしいということなのである。
(つづく)