野田政権への懸念
民主党の原本的性格は自民党と変わらないから、民主党にはこれまで第二自民党の名が冠せられてきた。民主党議員の多くは、本当は自民党から立候補したかったが、選挙区には二世議員が頑張っているので、不本意ながら民主党から立候補した議員が多いのである。
だが、双子のように似ている民主党と自民党にも、違っているところはある。
自民党の隠された党是は、エスタブリッシュメントの既得権を養護することだった。そのためには小泉純一郎のように、社会的弱者を「自己責任」の名目のもとに平然と切り捨てて来たのだ。こういう自民党に比べれば、民主党は幅広い政党であって、ウイングを右にも左にも大きく広げている。
民主党の左のウイングを形成するのは旧社会党、旧民社党の議員らであり、右のウイングを支えるのは松下政経塾系の議員だ。この左派と右派が協調して中道を歩めば、何とか国民の期待に応えられる政権を構築できるはずなのである。だが、これまでは、小沢一郎・鳩山由紀夫・菅直人の三人による寡頭支配が長く続き、彼ら三人の個性が強く出過ぎて、民主党本来の持ち味を出せないで来たのだった。
その三人が退場して、ようやく民主党の第二世代が党を動かす時代になり、野田内閣が発足した。待ちに待った第二世代の時代が来たのだ。果たして、左右両派が協調して中道を歩むことが出来るだろうか。
懸念されたのは、松下政経塾系の閣僚が暴走することだった。野田佳彦政権は「松下政経塾政権」と評されるほどに塾出身の閣僚が多い。それで、右のウイングが強くなりすぎて、自民党に輪を掛けたような保守的政権になり、いわばウルトラ自民党になり下がる恐れがあるのだ。
そして、恐れていたように早くも右ウイングの暴走が始まったようなのだ。
民主党の政調会長に就任した前原誠司は、米国のワシントンで講演し、武器輸出三原則を見直す方針であることを明らかにした。そして、国連の決定に従って自衛隊を国外に派遣した際、他国の部隊が攻撃されたときには自衛隊も武器を取って反撃すべきだと主張したのである。
前原誠司は金箔付きのタカ派だということになってなっているけれども、国旗国歌法には反対だったし、外国人参政権にも賛成している柔軟な思考力の持ち主なのだ。その前原が、日本が国是としてきた平和主義を否定するような演説をワシントンで行ったのである。
松下政経塾出身の議員の特長は、日本を普通の国に引き戻そうとするところになる。彼らは、こう考えている・・・・日本は、進駐軍に押しつけられた平和主義などに縛られず、国力相応の軍事力をバックに周辺諸国に睨みをきかせるべきであり、そして、高い技術力を生かして、高性能の兵器を増産し、他国から要請があれば武器弾薬を輸出して、貿易収支をさらに向上させるべきだ、と。必要とあらば、核兵器を持つことも拒むべきではないと考えている議員も少なくない。
要するに、彼らは国益を守るためには、どんなことでもすべきだと考えている。日本以外の他国は、すべてこの方針で動いているのに、なぜ日本だけが国益を放棄してまでも、平和主義を守らなければならないのか。
──国益のために、過去の日本は欧米列強をまねて植民地獲得の駒を進め、朝鮮と満州国を植民地化した。戦争が終わった後で、収支計算をしてみると、朝鮮に鉄道・道路・学校などを建設した費用は、朝鮮から絞り取った収益を上回っていることが判明した。つまり日本の持ち出しに終わっていたのだ。それだけでなく朝鮮の人々の心に消しがたい怨恨を残した。
満州にも多大の資本を投入して重工業施設を建設したが、それらは戦後ソ連が洗いざらい解体して持ち去ってしまった。では、第二次世界大戦に勝ったほうはどうかといえば、「惨勝」の後遺症は深く、イギリス、フランスなどの戦勝国はアメリカの経済援助がなければ経済的に破綻するところだったのである。
日本は、その平和主義によって戦後60年余、一人の戦死者も出すことなく過ごすことが出来た。中江兆民や石橋湛山が予言したように、日本は軽軍備の上に立脚する小国主義に徹することによって、経済的繁栄を招き寄せることに成功している。戦後日本の成功は平和主義を馬鹿正直に推し進めて行くことなしにはありえなかったのである。
政治の世界は、松下幸之助流の経済合理主義とは異なり、理想主義・ヒューマニズムに主導されて動いたものが最後の勝者になるのだ。松下政経塾出身の国会議員は、この歴史的な事実を肝にめいじなければならない。