甘口辛口

善意の人の殺人

2011/11/23(水) 午後 9:01
善意の人の殺人

オウム裁判が終結したのを受けて、多くの国民が今更のように、「なぜ高学歴のインテリがオウムのような教団に加入して、大量殺人に手を貸したのか」と疑問を感じている。

その理由を、彼らが善意の人だったからだと説明したら、きっと人々は憤慨するかもしれない。だが、事件後の新聞、雑誌の報道を思い出して欲しい。誰もが、これらを読んで、オウム真理教幹部の経歴や人柄が想像していたのとは全く違うことに驚いたはずだ。

彼らは、みな、社会人として誠実であり、周囲から尊敬されている者ばかりだった。例えば、幹部の一人だった林郁夫医師は、貧しい患者の為に骨身を惜しまず働く「赤ひげ」先生のような人物だった。私が特に注目したのは、麻原彰晃から寵愛されていた井上嘉浩という若者で、高校生だった頃の彼は、学校の教師や級友が大学受験のことしか考えていない点に反発して、大学入学直後に出家してオウム真理教の信者になっている。そして、彼は、誰もが賛嘆する純粋無垢の修行者になるのである。

では、一般の信者たちはどうだったか。彼らは、ただ、ヨガの秘儀を求めてに教団に加入したから、彼らの合い言葉は、「修行するぞ、徹底的に修行するぞ」だった。そこには、世俗的な野心はほとんどなく、あるのは子供のような好奇心だけだった。

とすると、オウム真理教の幹部や信者たちは、何処で間違ってあんなことをしてしまったのだろうか。

その遠因のひとつに、教団幹部の多くが理系の人間だったことがあげられる。理系のインテリが宗教や哲学に関心を持ち始めると、ヨガとか苦行とかいうものに盲目的な敬意を払いがちだ。これは文系のインテリが、現代物理学の啓蒙書を読んで奇妙な宇宙観を持ち始めるのに似ている。小林秀雄はエントロピーに関する理論を生齧りした結果、近い将来に宇宙は崩壊すると信じるようになり、至る所でエントロピーと言う言葉を振り回していたという。

文系の人間なら、インドのヨガがどんなものか知っている。だから、ヨガ僧が苦行40年の末にようやく開悟したとか、未来透視の眼力を身につけたとか聞かされても、そんな夢のような話を信じない。苦行をいくら積んでも、体力と知力を劣化させるばかりで、得るものは何もないことを知っているからだ。

かくて、人のいい理系人間は、麻原彰晃のヨガ体験記を読んで感動し、彼を現世的欲求を超越した先導者だと思いこんでしまう。一般信者は一般信者で、麻原彰晃の指導を受ければ、「空中浮揚」のような超能力を獲得できると錯覚してしまうのだ。

要するに信者たちは、自己救済を夢見てオウム真理教に加入したのであり、入門当初に社会変革を志した者など皆無に近かったのである。彼らは、「出家」するに当たって、全財産を教団に差し出している。それは、別に社会改造の軍資金にするためではなく、無一文になって修行に打ち込むためだった。

その教団が次第に政治的色彩を濃くして行くのは、オウム真理教に対する社会各層からの非難が激しくなったからだった。新興宗教は、教団を支える資金を信者からの寄進によって得ている。だが、オウム真理教のように出家者から全財産の寄進を要求したりすれば、生活の基盤を失った家族およびその親族から苦情が出るのは当然のことなのだ。

これに対して麻原彰晃は、被害者側の弁護士一家を殺害し、さらに国会への進出を企てて、「真理党」の名の下に25人の信者を国政選挙に立選挙させている。この頃までの麻原はオウム真理教の将来を楽観視して、教団が日本を支配する日が来ることを疑わなかった。彼が日本を敵視するようになるのは、国政選挙に立候補した全員が落選した時からだった。彼はこんな日本はいづれ滅亡するだろう、いや、滅亡させなければならぬと考えるようになり、当時流行していた終末論(2012年に人類は滅亡するという説)と結びつけて日本の将来像を思い描くようになる。

麻原彰晃が日本支配のための行動プランをどんな風に考えていたか不明だが、彼は上九一色村にサリン製造工場を建設し、ソ連から武器弾薬を輸入するルートを探っている。彼は、武力蜂起の準備を開始したのである。
オウム真理教の幹部が、麻原の計画に反対しなかったのは、彼らが坂本弁護士一家殺害など、不法行為に手を染めてしまっていて、毒を食わば皿までといった心境になっていたからだった。

というより、彼らは本質的に悲観論者だったからだ。彼らは善意の人であり、誠実に実社会と向き合って生きて来ただけに、潜在意識の片隅で、こんな日本に光明が訪れることはないと信じていたのである。だから、麻原から1975年にハルマゲドンが起きると予言され、その時にこそ、わが教団が立ち上がって戦わねばならぬと説かれると、それをそのまま受け取ってしまったのだ。