雅子妃への包囲網
今週の週刊誌「AERA」は、「雅子さまへの包囲網」という特集を組んでいる。なぜかといえば、秋篠宮が恒例の誕生日会見で、「踏み込んだ発言」をしたことで、雅子妃をめぐる状況が一段と厳しくなって来たからだ。
秋篠宮は、この会見で、天皇の定年制や女性宮家の創設について論じている。政治への関与が固く禁じられている皇族の身で、皇室制度について意見を述べるのはタブーだったから、皇族のみなさんは、こと皇室典範の改廃に触れる質問をされた場合には、「それは国会が決める問題ですから」と返答を避けるのが通例だったのである。ところが、秋篠宮はその禁を破り、予定の時間を倍以上延長して、メモなしで私見を語ったのだ。
「AERA」は、こういう秋篠宮の行動を、「秋篠宮さまの一連の発言は、皇室の将来を担う自負にあふれている」と評している。
皇太子の「人格否定発言」以来、天皇と皇太子の関係は疎遠になり、それを埋めるような形で秋篠宮が天皇に接近し、天皇が「愛子にあう機会が少ない」と不満を漏らすのを聞くと、秋篠宮は家族を伴って頻繁に天皇を訪ねるようになった。悠仁親王などはこの夏、毎週皇居に出かけて天皇・皇后に挨拶した後、庭で昆虫採集をしていたという。こういう秋篠宮の行動を見れば、弟宮が兄と共に、あるいは兄に代わって、将来の皇室を担う存在になろうとしていると取られても仕方があるまい。
秋篠宮には、応援団がついているのである。
「人格否定発言」で皇太子と対立する形になった宮内庁が、秋篠宮に好意的なのは当然だとしても、今や民間にも秋篠宮を皇太子にという運動が起きている。「AERA」誌によれば、この運動の提唱者は、インドネシアの故スカルノ元大統領夫人のデヴィ夫人で、彼女はブログを利用して、「皇太子さまを廃嫡し、秋篠宮さまを皇太子に」と呼びかけ、署名を募っているという。
彼女の言い分は、次のようなものらしい。
「雅子さまは公務や宮中祭祀をしない一方で、愛子さまの校外活動にまで付きそうなど、常軌を逸したお振る舞い続いています。『適応障害』といわれていますが、皇室に入ってもう18年たつのに適応できない・・・・マスコミがきちんと批評しないので、驚きあきれて、私が声を上げる決意をしました」
もっとも、天皇や宮内庁が心配しているのは、それとは別の問題なのだ。
皇太子を入れ替えるという案件以上に緊急な問題は、次々代の天皇、つまり現天皇の孫世代が天皇になる頃(=悠仁親王が天皇になる頃)には、皇族が激減して皇統の存続が危うくなることなのである。
現在、皇位継承権のある男性皇族は7人いるが、これらは現天皇の同世代か天皇の子世代の男性で、数十年後、悠仁親王が天皇になる頃にはすべて死に絶えていると思われる。天皇の孫世代には悠仁親王以外に男性はなく、残りの皇族15人はすべて女性ばかりだ。
女性皇族は、数こそ多いが、彼女らは、いづれ結婚する。すると、彼女らはその瞬間から皇族の身分を失って平民になってしまう。だから、最悪の場合、皇族は天皇になった悠仁親王とその子供たち以外にいなくなり、悠仁天皇に男の子がなければ、皇統は絶えることになる。
こうした皇統絶滅の事態を防ぐためには、皇室典範を改めて女性宮家を創設出来るようにすればいいのだが、15人もいる女性皇族を結婚後も皇族として処遇し続けたら、多額の国費が食われてしまう。それに皇族を増やすと、働かなくても食べて行けるため、「小人、閑居して不善を為す」で、かならずスキャンダルを起こす者が出てくる。敗戦後に、そうした問題で皇室や政府が悩まされた事実を記憶しているものは、まだ多いのである。
では、皇族を増やさないで、しかも皇統を確保する方法はあるだろうか。あるのである。
天皇家の第一子を男であろうが女であろうが皇太子にすればいいのだ。幸いに、「愛子さま」は、学校の成績が抜群に良く、運動能力にも優れているということだから、天皇になってもちゃんとやって行けるに違いない。彼女は、先般、病気治療のため東大病院に入院していたが、この経験は大変為になったと語っているという。
民主主義の確立した国では、王室というようなものを必要としていないだけでなく、しばしば国政の邪魔になっている。すべての問題を国民自身で決めることの出来る民主制国家が、王室を残しているとしたら、それは国民の多くが王室なるものに郷愁を感じているからだ。
合理的に考えたら、王室は不要だが、情緒的には国民が王室の存在を求めているという危ういバランスの上に各国の王室は今も残存している。デヴィ夫人は、「私は皇室を敬愛しているロイヤリストです」といって現皇太子を廃嫡させようとしているけれども、こうした運動を起こして、世間を騒がせること自体が、危ういバランスの上に立っている皇室に負のイメージを与えることになる。
私は、いずれは地球上から君主制は消滅し、皇室も王室もなくなると予測している。だが、デヴィ夫人のような人物の運動で皇室に汚点がつくことは欲していないのである。